試衛館の隆盛
姉ののぶは歳三が本格的に道場に通うことに反対していたが、行商の際の護身のため、という名目でなんとかやりすごしていた。
姉が自分を心配していることはわかっているのだが、それなりの年になっている身としてはやはりいたたまれないのか、日野の宿場に行きづらいという思いもあり、自然と試衛館に通い寝泊まりすることが多くなった。
とは言っても、歳三が天然理心流での立場は微妙なものであった。
というのも天然理心流では他流試合などは許されていなかったからである。
歳三としては試衛館で土台を気づきつつも、余所の技を見て学ぶことにも貪欲であった。
そこで、建前上、行商を行いつつ道場に売り込みをしているが、喧嘩を売られて仕方なく相手をしている風を装っている。
「そんなことをせんでも、うちの道場で引き取ろうではないか」
と近藤は言うのだが、歳三としては都合が悪いので
「そんなことは一回でも薬代を払ってから言え!」
というのがお決まりである。そして真実そう思っている。
ちなみに歳三は薬の効果を身を持って知っているので、どこぞの薬屋で売っている奴より効果は上なんだからそれより高値でよかろう、と相手を見てはふっかけている。意外と行商のセンスもあったようだ。
天然理心流の技を道場破り紛いの方法で確認し体得しながら余所の技を盗み、対策するという日々を続けていた。
近藤の剣は、鍾乳洞が時間をかけて造られるように、愚直に繰り返された神秘さと美しさを感じさせた。
一方で総司の剣は天性のものだ。剣における呼吸のしかたから始まり体の動かし方を自然とわかっているとしか思えない。
だが、二人が共に稽古をするとお互いに不協和音を奏で合う。
近藤は総司の天賦の前に、積み上げてきた鍛錬への不信を隠せないでいたし、総司は総司で、剣しか自分にはないと思っているから、普段温厚で子ども好きな癖に剣の稽古においては自他ともに厳しい。
門下生は総司と相手するのを嫌っているし、総司自身それを知っている。まともに相手ができるのは近藤か師である周助だけであり、周助の歳を考えれば近藤だけと言ってもいいのだが、その近藤も自分と戦うのを避けている節がある。
自分の道は剣しかないと思っている、いやわかっていたのだ。
ただその道の行く先は暗かった。
そこに現れたのが歳三である。
ーーー近藤が連れてきた薬売り。
総司としては自分のことを知らない人なら、最初くらい本気でやってくれるんじゃないか、という消極的な希望を抱いていた相手は、予想外な戦いぶりを見せた。
明らかに格が違う近藤相手に善戦、いやあれは、あれが”命懸け”というやつだったのだろう。
多分近藤さんは薬売りまでが剣をやっている、というのに感動してちょっと面倒をみてやろうとでも思ったのであろう。
それがどうしてか相手が命懸けでくる、という事態にあしらうはずが本気で向かいあってしまった。
幸い薬売りさんは無事だったが、なぜか道場に通うことになった。
どうしてそうなったのかは未だにわからないが、そんなことは些事でしかない。
”歳三”というらしい薬売りはいつでも全力であった。
その熱意は、迷っていた近藤を立ち直らせ、自身の剣を取り戻させた。
総司にとっても絶好の相手だ。
最初は全力でかかってくる熱意意外にそれほど魅力のなかった相手が、
近藤からは修練の成果である技を、総司からは天性の身体操作を一試合、いや一合ごとにものにしていく。
歳三の来る日とそうでない日の道場のやる気具合は雲泥の差で、それは近藤と総司のやる気と完全に比例関係であった。
もちろん門下生も新入りに先を越されてたまるかという思いがあるのか以前とは熱の入り方が違う。
歳三という潤滑油を得て試衛館は幕末という乱世の大火へと身を投じていくことになる・・・。