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現代騎士  作者: 深月 優
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二章『とんこつラーメン』

二章『とんこつラーメン』

 コツコツコツコツ。

 階段を硬い靴で降りる音が響く。ビルから出て程なく、俺は別のビルに入っていた。

 勿論、デパートではない。薄暗い雑居ビルの一つの、地下二階に降りていく。この階に来る前の扉は『Staff Only』となっていたが、当然無視だ。地下一階には扉はなく、二階に降りて初めて無表情な鉄扉に出会う。

 扉の横のカードスリットに、懐から取り出した『Knight card』と書かれた黒いカードを通すと、扉は自然に開いた。

「やぁ、久しぶりじゃないか。前回は中東に行く前だったから二年ほど前か? 騎士団からジャンボジェットの使用料と回収料が要求されてるがどうする?」

 内装は、バーのカウンターのようになっているが、薄暗い店内に並んでいるのは武器や防具の類だ。剣から、スティンガーミサイルまで置いてある。また、バーカウンターの中央においてある大型のコンピューター端末が、ミスマッチだ。

 話しかけてきたのは、そこでコーヒーを飲んでいる小柄な、少々表に出るには辛い顔――出っ歯に片目でハゲ頭――の男だった。

「やぁ、ネズミ、確かに久しぶりだな。ちなみにそいつは無視しておいてくれ」

 ネズミ、と呼ばれた男はケシシと笑いながら言う。こんな顔だがこいつは超一流の『流通屋』だ、その気になれば金次第でトイレットペーパーから核ミサイルまで仕入れてみせる。そして騎士団との流通も手広い。実際騎士団の流通はこいつ等『流通屋』が仕切っていると言ってもおかしくなかった。

「お前さん、騎士団を抜けたんだってな。早速一億円ほどの懸賞金がかかってるよ、最終的には二億は超えるだろう」

 俺は、カウンターの方に向かいネズミと向き合わないようにしながら、スツールに座り、カウンターに肘を置く。ここ『流通ネットワークギルド』の存在は騎士にとっては大きい。とにかくでかい金で出来た流通屋のネットワーク。個人のつながりだから騎士団が脅そうにも、のらりくらりと来たものだ。なおかつ各社会からかけられた賞金の取りまとめや、ナイト専用のカード『ナイトカード』の取り扱いなど業務は多岐にわたる。俺のナイトカードが騎士団を抜けたにもかかわらず止められずに使用できるのも、そのほうがギルドの利益になると言う理由からだった。とにかく、信頼はともかく信用はできる、そういう組織が、ギルドだった。

「騎士団を抜けた時点で、その人間は国際指名手配の危険人物だからな。ぶっちゃけどんだけ懸賞金がかかってもおかしくねぇよ、むしろ俺は安いほうだろ」

 普通二億くらいは騎士団内にいてもかかっていて当たり前の金額だ。それだけ、俺は騎士団内でも軽視されていたことが伺える。

「違いねぇ、で、お前さんどうするつもりだ。何しろお前さんは騎士団でも最弱の名をほしいままにしてきた身だろ」

 騎士同士の戦いは、スピードが命だ。先手を取って心臓を一突きすればそれで終わる。よってタフネスの俺ではライトスピードの連中には絶対に勝てないだろう。“スロースターター”とまで呼ばれた俺では尚更の事だ。

「逃げ隠れし続けるよ。一人で生きていくだけなら、そう難しくはない。日本という国なら尚更だ。強盗職でもしながら、なんとか食いつないでいくさ」

 その言葉を、ネズミはバッサリ切る。

「嘘だろ、騎士が騎士団に頼らずに生きていくのは難しい。特に下級騎士はな」

 俺は、言葉に困った。確かに騎士は、騎士団の保護があって何とかなっているような物だ。自由騎士とは聞こえがいいが、騎士団の保護なしのフリーランスでは何をするにも足枷と追手が付く。

「ともかく武器をくれ、リミテッドソードだ。逃げるときに壊しちまった」

 ネズミは、ホコリをかぶった在庫から鞘に収まった剣を一振り取り出して、カウンターに置く。そして一言。

「四千万円だ」

 その一言に俺はカウンターを叩きながら。

「嘘だろ!? 武器防具はタダだったじゃねぇか!!」

「そりゃ、お前さんが騎士団にいた頃の話だ、その費用は騎士団が持ってたんだよ。この武器は、本来これでも安いくらいの性能を持ってるんだ。ちなみに甲冑服は一揃いで八千万だぞ」

 俺は、言葉に詰まりながらも、答える。

「――『アンプル』は?」

「一千万だ」

 ぎりりと手を握りしめながら俺は俯いた。なるほど、これは何をするにも手枷と足枷がつく。特に、アンプルは痛い。アンプルがなければ、騎士は大幅な能力低下、特に視神経の低下が著しい。音速戦闘を目で見て戦えるのは、あくまでアンプルのおかげなのだ。

「――確かに、これは俺が甘かったな。生きていくのは、容易なことじゃない」

 ネズミはしたり顔で頷きながら。

「そうだろう? ちなみにお前さんのナイトカードの残金は二百六十万だったな」

 俺の金は、この誘拐事件の準備のために殆ど使い切っている。全ては身代金を当てにしての行動だった。

「……こいつはいくらになる?」

 宝石箱から、予めイミテーションではないと抜き出しておいた宝石を二つほどカウンターに差し出す。ネズミは白い手袋を嵌めるとそれを手にとって覗きこむ。

「ふぅむ、二つで六百万ってところだな、売るか?」

 渋い顔でそれを聞いて、一つ頷きながら。

「ああ、とりあえず頼む、代金はナイトカードに入れておいてくれ」

 それだけ言うと、俺は店を後にした。


 場所は変わって部屋の中、エッタは目を輝かせながらはしゃいでいた。

「まぁ、凄くいい靴ね! ブランド物ではないけどしっかりしてるわ」

 赤い靴を履きながら彼女は言う、サイズはピッタリのようだ。

「ま、異人さんを攫ってきて赤い靴っていうのもナンセンスだがな」

 俺はため息をつきながら、ラッピングをゴミ箱に捨てる。街の中心部に居を構えるというのは便利なのはいいが、人混みで疲れて溜まったものではない。

「もう午後の一時か、この三時間、暇じゃなかったか?」

 エッタは、満面の笑みを浮かべながら答える。

「大丈夫! このビルの中を探検しながら色々考えてたから! 本当にこのビル五階建てなのにこの三階以外にはなにもないのね、逆に何を置こうかわくわくしちゃうわ!」

 三階も急遽人が住めるように改造したもので、他には何もない。ぶっちゃけて言うと、このビルは鉄筋コンクリートでできたハリボテのようなものだ。何かのテナントが入る予定だったが、不況でそれが中止になった不良物件だった。

「そりゃあ良かった。だが勘弁してくれよ、こちとら殆ど金がないんだ」

「あら、そうなの? お父様からのお金は?」

 きょとんとして首を傾げながらエッタは尋ねる。

「昨日の今日では入ってないよ、一応、五日以内にって言ってあるしな」

 後、ここに住む気満々かこの子は、などと考えつつ、エッタに声をかける。

「まぁ、買い物に出かけるから、とりあえず適当な服に着替えろ」

 すると彼女は、表情を明るくさせ。

「何? 何を買いに行くの!?」

 はぁ、と一つため息をつきながら俺は答える。

「服だよ、服、結局ろくな服は持ってこれなかったじゃねぇか」

 そうなのだ、クローゼットから持ちだした服は、高級そうではあるもののろくな服、つまり実生活に耐えられるような代物ではなかったのだ。

「まぁ、お前が五日間ここから出なくても構わないって言うんなら、それはそれで俺は楽だけどな」

 エッタは飛び跳ねながら。

「お外に出ていいの!? なら出る! 出る!」

 余計なことを言ってしまったようだった。まぁ、最大五日の自由、せいぜいローマの休日でも気取ってあげようか。


 沢山の人が行きかう街の中、それは、ちょっと……いや、かなり浮いている代物だった。

「あはは、やっぱりお外はちょっと寒いね!」

「ああ、もう冬だからな」

 お姫様が繁華街に現れたら、それは庶民も騒ぎもするだろう。

 ローズエッタは、それくらいの気品を揃えていた。そして極めつけに気合の入ったドレスである。街中の注目も集めてしまうと言うものだ。

 福岡市天神は便利だがいかんせんゴミゴミした街である。

 だが、その人混みを押しのけて、彼女のオーラは人々の目を釘付けにしていた。

「うむ、想像以上に目立つ」

「凄い人だねーハルト、私こんなにたくさんの人を見たの初めて!」

 そしてお姫様はローマの休日よろしくはしゃいでこの街を歩くのだった。

 それをエスコートするのは、肩口が破けた日本人、これでは余りに釣り合わない。先ほどデパートに行った時に、自分の服も買っておくんだったなと改めて反省する。

「まぁな、世界でも有数の都市でも更に中央部だ。言っておくが、ロスの中心部のほうがもっと凄いんだからな」

 だが、ここはビジネス街と言うよりは、商業地区としての動きが強い。特に休日ということもあり、街中は買い物客で溢れていた。

「そっかー、でも私この街好きよ! 何か名所とかあるのかしら」

「この国は旧跡名所の類は郊外に密集してるからなぁ、まぁ、そのうち回ってみるか。とりあえずまずは服だ、服。全く目立ってかなわん」

 出来れば、早く歩いてしまいたいところだが、流石に少女とのコンパスの差を考えるとそうも行かない。

「そう? これ、そんなに目立つかな?」

 エッタがふわっと回ってみせると周りから感嘆の声が漏れる。どこの舞踏会かと。

「世紀末にシンデレラがやってきたくらい場違いだよ。くるくる回ってないでキリキリ歩く」

 その手を取って、歩き始めると、それを手繰り寄せるように腕を絡めてきて。――もとい、しがみついてきて彼女はえへへと笑った。


 お姫様の手を取り足を取り、たまに躓いたりしたりするのを抱いてやり。なんとなく短かったのか長かったのかの道のりを少し。

 やってきたのは子供服のブランド店だった。エッタは、十二歳のアメリカ人にしては小柄過ぎる。日本人同様の服装でいいだろうと考えたのだ。

「とりあえずここで好みの服を何着か買って、そのうち一着を着て行こう。出来れば帽子も欲しいな。お前の容姿、目立つし」

 フランス人形のような、と言う表現があるが、まさにそれはエッタのために用意された表現なのではないだろうかと思うくらい似合っていた。

「うん、私、かわいいのには自信があるんだ。メイドや家庭教師もみんなかわいいかわいいって言ってくれるんだよ」

 そこでまたくるりと回ってみせるエッタ。店員が自分の仕事を忘れて見とれてる。駄目だ、これは間違い無く明日の街の話題だ。

「はいはい、かわいいかわいい。すいません、店員さん、この子に似合うのを何着か見繕ってくれませんか?」

 呼ばれた若い女性の店員さんは、はっと何かを思い出したかのように目を丸くさせ、そして笑顔を輝かせ。

「はい、かしこまりましたーっ!」

 と、極上の笑顔で言った。

「……何か嫌な予感がする。俺はちょっと自分の服でも用意するからまた後でな」

 エッタは不満気に袖を引っ張りながら。

「えーっ、一緒に選ぼうよー、そっちのほうが楽しいって」

 それを振りほどきつつ。

「女の買い物に付き合わされるなんていくらなんでもゴメンだ。なにより黒いから目立たないが、俺の服は血まみれだしな」

 さすがにこの格好で出歩くのは避けたい。甲冑服を着て騎士に見つかったら一発でバレるわけだし。


 とりあえず紳士服売場で適当な服を買う。できるだけ、格好は地味に目立たなく、黒のスーツに身を包み、子供服売り場に戻ってくる。スーツアーマーは紙袋に収めてある。

 嫌な予感は的中した。

 公式としては絶世の美少女+無駄に気合の入った店員×充実した在庫=Xといった所だ。

「余計に目立ってねぇか、これ」

 俺は、呆れ顔で言う。

「いやー、お嬢さんなんでも似合って苦労しちゃいますよ! ほんっとにかわいいですね!」

 無駄に気合の入った店員は肌をツヤツヤにしながら、力いっぱい『力作』を披露する。

 Xの答えは真っ赤なゴシックロリータにおもちゃ屋から持ってきたのかテディベアまで持っている。リボン付きの帽子がアクセントとして、もはや完璧なかわいい異人さんだ。

「ねぇ、私、これかわいい? 似合ってる?」

 またもスカートをふわりと浮かし回ってみせるエッタ。もはや堂に入っている。

「ああ、うん、かわいいかわいい……で、服が積み上がってるけどあれのうちのどれを買ったんだ?」

 店員は、すかさず答える。

「え? 全部ですよ。服が三十二着の小物が二十三点で七十万二千円になります」

「ちょ、ちょっと待てー!」


 結局金はカードから払うことになった。後でナイトカードから引き出して補填、と言う形になるだろう。実際にはナイトカードから全てのカードへの互換は可能なのだが、見たこともないカードをいきなり突き出されては店側も混乱する。その為に俺は普通のカードも常備していた。……一言で言うと借金なわけなのだが。

 そして、大荷物を抱えて、階下の世界一有名なファーストフードチェーン店に二人で入っていた。遅い昼食というやつだ。

「ねぇ、これおいしくないよー」

 ハンバーガーをちびちびかじりつつオレンジジュースをちびちび飲んでいるのは世界的子供モデルかと見まごうような美少女ゴシックロリータ。当然周囲の視線も釘付けである……明日あたりニュースになってたりしねぇよな、これ。

「世界的にはスタンダードな店なんだけどな、ここ、日本のは特にジャンキーな気がする。まぁ、まずかったら残してもいいぞ。なによりさっきおにぎり六個も食ってたら普通入らないだろう」

 渋い顔でハンバーガーとにらめっこした後、こちらの方を見る。

「ねぇ、ハルトのととっかえっこして」

 子供か! と言いたいところではあるが、相手は子供である。目くじらを立ててもしょうがあるまい。

「ほら、大して違いはねぇぞ、ジャンクはジャンクなんだから」

 理由もなく嬉しそうに、俺の食べかけを取るエッタ。お嬢様としてこの行儀はどうだろうかと思うが。まぁ、所詮はマフィアの娘だし。

「……あ、こっちは美味しい! ソースが甘いのね。ちょっとびっくりしちゃったわ、見た目なんかちょっときちゃないけど」

 と言って、てりやきタツタバーガーをはぐはぐと食べ始めるエッタ。さらば俺のてりやきタツタ。そしてこんにちは、世界一味気ないと言われ続けたハンバーガー。

「ところで、これから何を買うの?」

 ポテトをポリポリかじりつつ尋ねてくるエッタ。見た目がミスマッチだ、これ以上無くミスマッチだ。この格好で小洒落たレストランにでも行けば似合うのだろうが、流石に服を買いすぎたのでここは倹約である。

「買うって……帰るに決まってるだろ、これだけ荷物があるんだし」

 先ほど買った服で、荷物は席の横に高々と積んであるほどだ。これ以上買って買える余裕もない。何より持って帰るといった時に、宅配の用紙を出していた店員が驚いたほどだ。といっても気軽に宅配業者などを隠れ家に入れるわけにも行かない。

「え……でも、色々と買うものあるよ」

 首を傾げながら言うエッタ。油だらけの手で上等な服を汚されてもかなわないので手をナプキンで拭いてやる。

「他に何買うんだよ、生活用品は暫くお預けだぞ」

 それに対して真っ直ぐな視線で一言、エッタは答えた。

「ぱんつとか」


 そうか、確かに生活していく分には必須だな。自分の分は普通に用意しておきながらすっかり忘れていたよ、はっはっは。

 というわけで、女性用下着売り場である。二度言うが女性用下着売り場である。

「この空間は男が入るには世界一勇気のある場所ではなかろうか」

 戦場で孤立無援だった頃よりも更に凄まじい孤独感に襲われる。

「しかし、不審がられては駄目だ、冷静に、平静になるんだ俺。たかだか子供の連れ添いではないか」

 顔に手を当てて試着室の横にもたれかかり冷静に努める。

「ねー、ハルトいるー?」

「なななな、なんだ!?」

「何慌ててるの?」

 女の買い物には付き合うべきではない。とはいつ、誰の言だったのか。俺はぶっちゃけ限界だった。だってあれである、女性用下着コーナーをくるくると回りながらあれはどーのこれはどーの言ってくる少女相手に、俺の心は既に折れているのである。いちいちどう対応すればいいのだ、と言うか、やっぱさっきの購入金額を考えると任せるのもどうかなと思った俺自身が悪い。

「い、いやなんでもない。で、決まったか?」

「うん、こういうのはどうかなーと思って」

 はて、と思って試着室の方に目をやると、シャッと勢い良く試着室のカーテンが開く。

 中にいたのは、当然エッタである。

 どっからそんなん持ってきたのか、シースルーのキャミソールに純白のブラとローライズのレースのパンツというのも、ミスマッチなように見えて彼女によく似合う組み合わせではないだろうか。言う人は『天使のようだ』と言うだろう、決して俺は思っていない、俺は。

 ジャッ!

 無言でカーテンを閉める、ここまでの間僅か半秒。待て落ち着け俺、俺にそのケはないはずだ。ローズエッタが余りにもな器量を持ち合わせているだけの話だ。一瞬ときめいたりなんかは本当にしていない、いないはずだ。多分きっと。

「なんでー似合ってないのー?」

「ああ、似合ってる似合ってる、だがそういう姿は気軽に人に晒すもんじゃないだろうが。つーかいつの間にそんなもの選んでやがった。ってか、ブラとかいらないだろお前の歳なら」

 試着室の中から抗議の声が聞こえる。

「いるよー。私ちゃんと膨らんでるもん、ちょっとだけど。第二次性徴も始まってるんだよ」

 どこで覚えてきた、その言葉、次の瞬間開けようとしたカーテンを無言で閉じる。

「……ひょっとして、ブラしてないほうが良かった?」

 カーテンの向こうから、弱々しい細い蠱惑的な声。これは間違いなくあくまの囁き。

「やかましいわっ!」

 カーテンを硬く閉めながら言う俺、流石にいい加減疲れてきた。

「とりあえずちゃんとした服着ろ、もうなんにもないな、帰るぞ?」

「あ、もういっこだけ」


 最後に買ったのは、裁縫道具だった。どうしてこんなものをと言うとなんでもエッタは裁縫を習っていて、趣味らしい。この道具と材料を買ったのはいいが、これがまたかさばる上に良い物から選んでいくのでかなり高くついた。

「まったく、散々だった」

 やっとビルに戻ってくることが出来て、荷物の積まれた部屋で椅子にもたれかかって呟く。六百万円の負い目があるとはいえ、正直甘やかしすぎたかもしれない。たった五日間の付き合いだというのに。

「やっぱりハサミは日本製に限るねー、職人技が光るよ」

 ちょっと大きそうなハサミだがエッタは軽々と振り回している。慣れているのは間違いないだろう。赤い服も相まって、気分は攻撃的な赤頭巾ちゃん(頭巾無しバージョン)を彷彿とさせる。

「良かったな、いい土産ができて」

「うん、私の部屋にぬいぐるみがあったでしょ、あれは、ほとんど私が作ったんだよ」

 さすがに良くは覚えてはいないが、確かにたくさんあったはずだ。お嬢様ということでプレゼントか何かかと思っていたが、違ったらしい。

「それは凄いな」

 確かに、あれだけの量を縫うとなると相当な労力がいるだろう。屋敷という籠の中から出して貰えずに、ひたすら針を動かす少女、か。そう考えると彼女を返すという行為に少し罪悪感を覚える、だが、ここにいても良い事は一つもない。一つ下手を打てば、俺の命は風前の灯だからだ。

「これが、ハルトの服? うわ、これはなんか血だらけでパリパリだね、洗わないとダメかも知れないね」

 荷物の中から、甲冑服のスーツ部分を取り出しながら言うエッタ。

「おい、それは、重いし堅いし危ないぞ」

 何しろ、鋼鉄以上の強度を誇る繊維なのである。下手な扱いをすると手を怪我する。エッタは、それを椅子にかけて、コートの方を手に取った。

「だから、危ないって……」

 エッタは、その言葉を気にも止めずに、コートを膝にかけると肩口を見て。

「パックリ切れちゃってるねぇ」

 そう言いながら切断面を開いてみせた。確かに、コートの肩には大きな一文字の切り跡が残っている。それはスーツの方も同じだ。

「まぁ、槍が貫通したからな、それは仕方がない。替えもないしそのまま行くさ」

 それを聞いたエッタは嬉しそうに針に黒い糸を一本通し。

「それじゃ、縫っちゃうね」

 などと言い始めた。なるほど、裁縫用具などを買い始めたのはその為か。しかし、それは無駄である。

「無茶言うな、そのコートがどんな繊維で出来てると思ってるんだ。針どころかニードルガンだってそう簡単には貫けないはずだぞ……」

 そう言う俺を尻目に、コートに視線を落とし、すっすと針を動かすエッタ。

「ちょ、ちょっと待て! 何やったお前!?」

 慌てて椅子から立ち上がって、コートを見る。

「何って、縫ってるんだよ? 大事なものなんだよね」

 きょとんとした顔で言うエッタだが

「縫えてる……」

 確かに、二針、きちんと縫えている。自慢していただけあって、きちんと縫い目も綺麗で目立たない。

「縫っちゃダメだった? これ」

「いや、いいか悪いかで言えば、確かにいいんだが。ちょっと貸してみろ」

 針を借りて布に当てる。ガチン、と音がするほど力を込めたが、針が曲がりそうになるばかりで針は進みそうもない。当然だ、この布が何でできていると思ってるんだ。オーヴァーテクノロジーの結晶、防弾防刃防火機能に特化したスーツアーマーの布だぞ。いくら日本の技術が発展してるとはいえ、いくらなんでもこの布は貫けない。

「それじゃあ、だめだよ、こう、ね」

 にも関わらず、エッタは俺から針を奪い取るとさも当然のように布に針を通していく。

「こういうのはね、ごく細心にそれでいて大胆に、かつ慎重にさらに素早く通して行かないとダメなのよ、特にこの布は分厚くて堅いし」

 彼女のそれは、一種の特殊能力ではなかろうかと見紛うほどの精緻さで、針と糸を踊らせていく。ただの子供かと思っていた少女の意外な一面だった。


 甲冑服の布は、実は保水性や通気性とは無縁の着心地は最悪の服である。よって、血は適当に水で洗えば落ちた、鋼鉄に血をたらしたようなものである。よって乾かす必要もない。ちなみに中に着ていた普通の服は、とっくの昔に捨てている。

「~♪」

 そして、鼻歌を歌いながら服の糸を通しているエッタを見ること暫く。いやはや、まるで手品を見ているみたいだ。本来なら甲冑服には針が通らないので、全ての部位が一枚布でできている。この堅い布を縫い合わせるよりも、そのまま服の形にしてしまったほうが良いのだ。

「ほら! 出来た! 凄いでしょう」

 縫い終わったスーツを手に自慢気に見せびらかすエッタ。しかし、これは本当に自慢しても良い。

「凄い、本当に凄い、お前ひょっとしたら騎士団に高額で働けるかもしれないぞ。その縫製はどんな職人でも機械でも成し得なかった一種の奇跡だ」

 同じくオーヴァーテクノロジーの塊であるリミテッドウェポンを使い、音速で切りつけないと貫けない布だ。騎士団が知ったらさぞかし重宝がられるだろう、甲冑服職人として。

「でも、ハルトはいないんでしょ? ならいいや」

 そんな宝物を、あっさり手放してしまうエッタ、こういう所は少女らしい。まぁ、ぶっちゃけ騎士団は良い組織ではないので、あまりお勧めできないが。

「これが、戦闘技術に使えたらなぁ」

 これが一般の技術として普及した場合、甲冑服は地に落ち、騎士団はその存在意義を失うだろうか。……いや、それを差し引いてもそもそも騎士は強い。騎士そのものが、騎士団の象徴といえるだろう。

「そんなことより、お腹すいちゃった」

 ふと時計を見ると、もう八時を過ぎている。なるほど、腹が減ってもおかしくない頃だ。

「しかし、よく食うやつだな、お前は」

 わしゃわしゃと、金色の髪を撫で回してみる。撫でられた子猫は気持ちよさそうに『みゃー』と鳴いた。

「よし、どっか行くか、と言っても遠出したい気分じゃないな。近場で何か無いかな?」

「ハンバーガーはやだよー」

 プルプルと顔を揺らしながら言うハンバーガーの国のお姫様。

「分かった分かった、とりあえず出るか」


 道を歩くこと少し、エッタは、光り輝く看板に目をやった。

「あのお店、なんだろう」

 本気亭と書かれた店は、換気扇から湯気を出しつつ、何やら独特の匂いを漂わせていた。独特の獣臭は何らかのスープをとっていることを窺わせる、インドネシアの屋台料理屋で嗅ぎ慣れた匂いだ。ここが、何らかの食事屋であることは間違いないだろう。問題は、それが『彼女が食えるもの』かどうかだ。俺は、ガソリンと鉄以外はだいたい栄養に出来る。戦場では虫だけ食って数日間なんてこともざらにあったからだ。

「さぁ、ラーメンって、書いてあるから、それを食うんだろうな」

「気になった! 行ってみよう!」

 エッタはチャレンジの子である。まぁ、他に目ぼしい店があるわけでもなし、入ってみるだけはタダだろう。

「いらっしゃいませー!」

 店に入ると複数の店員に声をかけられる。店は満席に近い状態のようだ。

「二名様カウンターでよろしいですか? それではまず食券をお買い求めになってください」

 女性店員に対して首肯で返すと、券売機に案内される。券売機をじーっと睨むエッタ。

「ねぇハルト、これ何?」

 振り返りながら、基本的なことを聞いてきた。まぁ、彼女ならば仕方があるまい。

「これで食券を買ったら、それと同じ物が食えるんだよ」

「ふんふん、ご飯って言うのはライスのことね、小と大ってあるけど、お米が小さかったり大きかったりするのかな?」

 そんなご飯の売り方聞いたことない。ここに来て初めて外国に来た外国人風なので黙って見ていると。

「ねぇ、ハルト。ラーメンが書いてない」

 本当だ、券売機のどこにも看板メニューであるはずの『ラーメン』とやらがない。

「ん? 本当だ。 一番上のメニューは白と、赤と、黒? なんだこれ」

 券売機を睨んでいると、下からエッタがメニューの下を指さした。

「この替玉ってのなんだろ、百円っていくら?」

「なんなんだろうな? 一ドルくらいだな」

「やっす! ドリンクメニューか何かかな? コーラやオレンジジュースが隣にあるし」

「んじゃ、とりあえずそれを頼んで店主のおすすめを貰うとしよう」

 券売機に二枚小銭を投入していく。

「そうだね、そうしよっか」

 エッタがポチポチと二回ボタンを押すと二枚食券が出てきて「おおー」と、エッタが感嘆の声を上げる。二人でカウンターに座ると、手早く目の前に氷水の入ったグラスが出された。二枚の食券を渡しながら。

「とりあえずはこれを、あとはお勧めってありますか?」

 なぜか、食券を受け取った店員が硬直した気がした。

「あれ、どうしました?」

 エッタも首を傾げながら。

「なにか違ったのかな?」

 店員が顔を微妙にひきつらせながら。

「あの……お客様」

 と、言い始めた時だった。店の端からシュタッっと立ち上がる音が聞こえ、割り箸が突っ込まれた黒いドンブリを持ってこちらに向かって突進してくる影が一つ。

 未だに分からない、店に入った瞬間に、こいつの姿を確認できなかったことは。その男は、ハンプティ・ダンプティのように丸々と太っていて、その胴体に三つ揃いのスーツがまるで絵で描いてあるように張り付いている。そして顔は、形容しづらかった。

 そう、バケツなのである。

 なんの因果か金属製のバケツを首までかぶった男が、こちらに近寄ってきたのだ。

 その異様さは『普通見りゃ分かるだろ』レベルなのに何故か俺はその存在に気がつくことはなかった。たった今、この瞬間までは。

「バケツ……?」

 エッタが、はてと首を傾げる。この子はこれが日本の最新流行なのだとか勘違いしてはいないだろうか、甚だ不安である。

「ちょっと待ったー! 店員さん! その説明は是非私にさせてください! 実は私! 連れなんで! こいつらの! それはもう前世からの因果が断ち切れないほどに!」

 大声で勢い良くまくし立ててくる、スタッカートが効きまくりである。

「は、はい、わかりました。とりあえず。食券お返ししますね」

 店員は、その勢いに負けて引き下がった。いや、引き下がらないで欲しい。

「私のことは……そうだな、バケツとでも呼んで欲しい」

 こほんと一つ咳をし、ドンブリ片手に会釈するバケツ。

「まんまだな、おい」

「とりあえず、君たちはラーメン屋が初めてだということは分かった。君は日本人に見えるがどうやらラーメン素人のようだね……どこかの東洋人かね?」

 バケツは、自慢げに胸だか腹だかわからないものを張り。

「まずは出会った祝福として、私が奢ろう。君、唐辛子は平気かね?」

 ドンブリから箸を取り出してこちらを箸指す。なんか汁が飛んでくるからやめろ。

「ああ、大丈夫だ」

 答えるとドンブリを持ったまま、器用に懐から札を出して券売機に向かい、バケツはボタンを二回押した。

「では、店員さん、これを、普通麺で」

「はい、かしこまりましたー。赤白入りまーす」

『赤白入りまーす』

 店員たちの唱和を聞く、素早く無駄に回転しながら、店員に食券を渡すと、俺の横に座るバケツ。

「さて、君たちが入ったのはラーメン。つまり『コレ』の専門店だ」

 と、割り箸で自分のドンブリを指すバケツ。そこには、緑色の……ネギに覆われたドンブリがあった。

「わー、サラダ?」

「いや、ネギをサラダと言わんだろ、見てもなんだかさっぱりわからんぞ、ネギの専門店か?」

「これは失礼、この店はネギだくが無料なのでつい調子に乗って頼み過ぎてしまった。ちなみにネギだくとはこのようにネギを無料で追加トッピングしてくれることだ。なお、このネギだくは出来る店と出来ない店があるので気をつけるよう」

「その店は、どうやって見分けるんだ」

「店の空気を読め」

 バッサリと切り捨てたな、このバケツ。

「まぁ、こういうものだ」

 バケツはドンブリに箸を突っ込んで中から麺を引きずり出し、それをバケツの中に手繰り寄せ「ずぞぞぞぞぞー」っと啜ってみせた。

「何だ、麺料理か」

 こういう物なら、何度かアジアで食ったことがある。確かに、思い起こせば日本で麺というと立食い蕎麦くらいしか食ったことがなかったな。

「おおー、曲芸みたい」

 確かに『啜る』と言う行為に縁のないアメリカ人には、この行為は奇異に映るだろう。エッタは、物珍しそうにそれを覗き込んでいる。

「博多のとんこつラーメンをそんじょそこらの麺料理と比べるなよ、これぞ博多が世界に誇る至上の食い物なんだ。豚の骨の液から取った白いスープに、極細の小麦が香る麺が非常に相性のいい、博多を代表するソウルフードといったところだな、ちなみにネギを盛ると、非常にさわやかに食べることができる」

「ほー、さいですか」

 流石にこのバケツの言うことを一から十までまともに聞いてもしょうがないので流すことにする。

「そこ、生返事しない! 私のことはとんこつマイスターと呼んでもらおうか!」

「うわ、だからさっきから汁が飛ぶっつーの」

 ネギの中からほじくりだした肉を、俺に突きつけながら言うバケツ。

「お待ちどうさまです。こちら赤、こちら白になります」

 俺の前に赤いドンブリ、エッタの前に白いドンブリが置かれる。ドンブリには先程突きつけられた肉が三枚に、ネギに、ノリ、あとはもやしと赤いものが、丸くなってドンブリの中央に鎮座している。その下に麺が見える、というものだ。

「これはなんだ? エッタのドンブリには入ってないが、豆板醤か何かか?」

 割り箸を歯でバキッっと割りつつ言う。エッタが真似しようとするが、上手くいかない様子なので代わりに取って割ってやったら、なんかむくれられた。渋々と割られた箸を受け取る、どうやら自分で割りたかったようだ。

「ああ、それは、この店特製の辛子赤味噌だ、だから赤という。そちらの外国人のお嬢さんには普通のラーメン、どんこつラーメンのスープの白さから白、だな。それで俺のが特製のマー油、黒い焦がしにんにく油が入ってるので黒、というわけだ」

「緑じゃねーか」

「ネギが入ると濃い目のニンニクマー油とネギが複雑に絡まって絶妙なんだ、まずはスープを飲まずに麺と具だけを楽しんでくれ、飲んでも一口、二口程度にとどめて置くように、もし、薬味がほしいのなら、そこにあるごま、にんにく、紅しょうが、辛子高菜を入れてみてくれ。だが、東洋人の君はその特製味噌をスープに溶かして薬味なしで食べて見ることをお勧めしよう。あと辛子高菜は好き嫌いするから気をつけて、まずは皿にとって食べてみるのがいいな。これも店によっては『辛し』なんだか『高菜』なんだか分からないものが存在するが、この店は比較的良心的でそんなに辛くはないはずだ」

「ちゅ、注文が細かいな、おい、すごい饒舌だったぞ今」

 麺を啜りながらそれに――どうやってかは分からないが――答えるバケツ。

「それだけ奥が深いということだ、さぁ、博多のラーメンは加水率が低く細麺な分伸びるのが早い、できるだけ美味いうちに食ってやってくれ」

 言われるがままに赤味噌を溶かし、食してみる。なるほど、豚の骨から取ったというスープは癖があるが、面白い味がする。独特の獣臭さも、食っているうちに薄れていく感じだ。その代わりに、塩気とネギとの香りが混ざってきて、複雑な味になっていく。赤い味噌は、最初こそピリッと来るが、それほど辛いものではない、むしろ旨味を足しているといえるだろう。それに、細い麺は小麦の風味がし、さくさくとした歯ざわりや、つるりとしたのどごしもよく、これはなかなかの美味だ。試しにスープも飲んでみるが、獣味のスープは、塩気が強く。どちらかと言うと、麺の引き立て役のように感じる、しかし、これは後を引く味だ、ジャンク風とでも言えばいいのだろうか。上に乗っている具も、肉は、薄いながらも味付けが良くされており、むしろ厚いと邪魔になる、絶妙のモノだった。やわらかい食感ばかりの所にたまにはいるもやしやネギのしゃきっとした感触もまた楽しい。

「んっ、んっはふ、んぐ」

 隣では、箸の握り方は完璧なようだがドンブリ相手に苦戦しているお子様がいた。どうも、上手く啜り込めずに麺を口元に手繰り寄せている。

「外国の人は『啜る力』が足りないといわれるが本当のようだな、お譲ちゃん、そういう場合はこうして見たらどうかな」

 バケツは、レンゲを取り出してその上に麺を乗せ、それをバケツの中に入れる中で『ちゅるん』と音がした。……どう考えても目の前で、怪奇現象が繰り広げられているような気がするのは気のせいだろうか。

「ん、わかった、やってみる」

 見よう見まねでレンゲを使って食べてみるエッタ。なるほど、こうして見ると啜らず、麺を飲むことも出来るのだと思う。

「しかしお前、箸上手いな」

 ニマニマ笑いながら箸を上手に動かしながらエッタは言う。

「えへへー、日本の礼儀作法は練習中だったの。お箸の使い方は最近習ったのよ、オサシミも食べられるよー」

「そうか、なら、今度回転寿司にでも行ってみるか」

「カイテン寿司?」

「ああ、お寿司が回ってるんだ、見たら驚くぞ」

「わー、それ行って見たい見たいー」

「私も行きたいのだが、あいにく私は生物が苦手でな」

「お前の話は聞いてねぇ」

 食べ進めていると、麺が終わってしまった。横を見ると、エッタはまだ半分くらい、バケツはただ座して待っている。俺に気がつくと不意に話しかけてきた。

「どうやら麺が終わったようだな、ここからが本番だ」

「本番って、もう食うものねぇよ」

 言うやいなや手元の食券を掲げるバケツ。

「替玉一つ、ハリガネで」

「はい、ハリガネ入ります」

 即座に対応し、食券を持っていく店員。

「ちなみに今頼んだのは、替玉、即ち麺のおかわりだ。私は麺の硬さをハリガネで頼んだが、君はどうする?」

「麺の硬さ?」

「ああ、ナマ、ハリガネ、バリカタ、カタメ、普通、やわから麺の硬さを選ぶことが出来る。ちなみに言った順番に硬い、ちなみに初心者にはハリガネ以上はお勧めできない。というか、博多の人間でも人を選ぶ」

 バケツが言い終わると同時に、店員が皿を持ってくる。皿には、麺の塊と、上にネギが散らされていた。

「替玉ハリガネお待たせしましたー」

「早っ」

「それは替玉を優先で茹でている上に、ハリガネは十五秒ほどしか茹でないからな、早くもなるさ、ところでお前はどうする」

 確かに、手元には二枚の替玉の食券。食い足りないとは思っていたところだ。先程は、別段感じなかったが、もう少し噛みごたえがある方が好みだと思う。

「分かった、俺はカタメくらいで。すいません、替玉カタメで」

「はい、カタメ入りますー」

「あ、こっちも替玉、ハリガネで」

 食券を持ち更に手を挙げるバケツ。

「はやっ」

「実はお前たちを待っていただけで私はラーメンなら三十秒もあれば食える。茹で時間も含めて、今から頼むのが理想的なんだ」

 ずぞぞーっと麺を飲み込んでいくバケツ。

 俺の麺とバケツの麺は同時に来た。当然バケツはもう二杯目を食い終わっている。ちょっと引いた。

「ああ、ちょっと待ち給え」

 俺が麺をスープに投入すると、バケツが声をかけてきた。

「二杯目は、薬味を入れて味を変えてみると更に楽しめるぞ。辛子高菜は特にお勧めだ、ここのは美味いと特に評判だからな」

 三杯目の麺を啜り始めるバケツ。それを見て俺は不思議と違和感を覚えた。

「あれ? お前は入れなかったよな」

「ああ、私はカプサイシンが世界で一番嫌いだからな」

 何故か自慢げに言うバケツ。

「お前確かとんこつマイスターだったよな!?」

「まぁ、細かいことを気にするな、麺が伸びるぞ。あと、流石にこのお譲ちゃんに替玉は無理だろうから、お前のノルマは二つな」

「まぁ、それはいいんだけどよー」

 とりあえず、辛子高菜と紅しょうがを入れてみてごまを振りかけてみる。にんにくは三杯目に入るときにバケツが大量に入れていたのでやめておく、臭いのも嫌だし。何よりにんにくは人を選ぶと感じたからだ。

 味が変わったという麺を啜る。なるほど、紅しょうがの酸味と、辛子高菜の発酵臭が加わって、これは複雑な味だ。二杯目はもう別物と考えてもいいだろう。スープも一口飲んでみる……やはり、これはさっきとは別物の味だった。こうやって、味の変化を楽しむのか。

「しかし、少しヌルくなってきてるな。麺もさっきに比べて随分固い、これはこれで味わい深いが」

 バケツは三杯目を啜りながら。

「それはお前が単純に食うのが遅いのと、辛子高菜を入れたからな。麺は茹でたてが来るのだから、物理的に冷えることはない。俺の場合、十三杯食っても平気だぞ。麺が固めなのは、替玉の麺が一杯目の麺より固めに茹でてあるからだ。一杯目なら、アルデンテ風に芯に余熱で火が通って行くが、二杯目ともなるとそうは行かない。だが芯を楽しむのも博多風の心意気よ、何のためにナマなんてあると思ってるんだ、もっとも、初心者には危険だがな」

「お前の話聞いてると奥の深さの前にお前の恐ろしさを感じるよ」

 まぁ、確かに話を聞けばそれはそれで美味い。

 そこで、隣で手を上げるのが見えた。

「私もカエダマッ!」

 元気いっぱい、僕らのアイドルエッタちゃんだ。

「麺の硬さはどう致しますか?」

「最強っ!」

「とりあえずカタメで」

 暴走加減のエッタを片手で抑えつつ、言う。固めを宣言したのは、エッタの食べるスピードを考えての事だった、こいつなら、食べ終わる前に伸びる。

「えー、最強じゃないのー?」

「いや、どう考えても生の小麦粉麺って腹壊すだろ、何より最強ってなんだよ最強って」

「私が考えた最強のトンコツ!」

「なんか変な言葉創造しやがったこいつ!」


 タンっとカウンターにドンブリが置かれる音が響く。

 最終的にエッタは替玉をギブアップせずに食べ終え、スープまで全部飲み干した。

「おおー」

 ぱちぱちぱちとバケツとともに拍手。

「ちなみにスープまで全部飲むと、ちょっと塩分量的に体に悪いので控えたほうが良い」

「先に言えよそういうことはっ」

 ハッハッハと笑って返すバケツ。

「美味かったかい? 二人共」

「うんっ、ありがとーバケツのおじさん」

「ごちそうになりました、美味しかったです」

 いやいやと手を振りながら照れるバケツ。何故俺は今バケツの表情が見えた……?

「いや、初めての人にとんこつラーメンの美味さを味わって貰って嬉しかったよ。是非ともまた来て欲しい。あとお兄ちゃんだ」

 ペコリと頭を下げエッタは言う。

「はいっ、お気に入りにしますっ」

 バケツはコートを着て、立ち上がる。

「それでは、私はこれで御暇しよう。また会うこともあるだろう」

 手を振りながら、出来れば会いたくないなぁ、と思った。



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