偏差値5...病照(ヤンデレ)
朝。汐音は嫌に目覚めが悪かった。
昨日の悪夢のせいだろうが、その悪夢を見た原因のせいで、よく眠れなかったのだ。眼鏡が壊れたことが気がかりで気がかりで、昨日昔の度が合わない眼鏡を引っ張り出したものの、叔母が気になって仕方がない。
寝ぼけ眼でぼやける視界のまま目覚まし時計を見ると、まだ5時半である。道理で眠いし暗いし、そして寒い。
このまま二度寝したら二度と朝には起きられない気がしたので、渋々暖かい布団から出ると、まず顔を洗いに行った。度が合わなくぼやける視界の中、手探りで洗顔剤を探す。
(本当に私…目悪くなったなぁ)
下のリビングでは既に母が弁当の準備をしていた。いつもご飯の炊けるいいにおいを嗅いで目を覚ますのだが、今日は卵的な何かを焼いている匂いがする。
まだ早いが髪を整えて制服に着替えると、下へ降りた。足音がしてきたことにびっくりした母は、こちらを見て目を丸く見開いていた。
「…おはよ」
「えっ!?…あ、ああっ。おはよう…早いわ、ね?」
何故疑問符が付くのか。いや、それよりも一文字一文字を発言する度に時計をチラ見するのは止めてほしい。幾ら私が遅刻ギリギリに起きるからって、時間を疑わないで欲しい。
汐音は微苦笑を浮かべながらテーブルに就くとリモコンを手に取って、最近買い換えた小さい液晶テレビを点けた。お馴染みのニュースを点けて天候を確認すると、ぼうっとお馴染みの12星座占いを見つめる。内容など、頭に入ってくるはずもない。
外が明るくなってきて、漸く目玉焼きとベーコン、サラダ、食パンが汐音の目の前に置かれた。バターとイチゴジャム、二種類が机の上に置かれると、汐音は真っ先にイチゴジャムと手に取った。
赤く粒粒の入った甘いイチゴジャムを食パン一面に塗りたくると、大口を開けて耳からがぶっと、食パンにかじりついた。特別美味いという訳ではないが、いつもの味なので安心する。
もしいつものジャムより酸っぱかったり甘ったるかったりしたら、きっと汐音の動きは今頃止まっていただろう。本人はその味に安心していることなど、自覚していないのだが。
「…穂香がね、これあんたにって。ずっと持ってたんだけど、渡すタイミングが見つからなかったって。」
卵の黄身を崩している時に、母がいきなり小さな箱を取り出してきた。よく見えなくて眼鏡を上げて目を凝らすと、その箱には“コンタクトレンズ”と書かれていた。
「…え、なに?」
「だから…もう、一回で理解しなさいよ。穂香があんたに眼鏡を買ってあげた時、実はコンタクトも買ってたんだって。」
「……ありがと」
汐音はその箱を受け取るとすぐ様箱を開け、目を凝らしてコンタクトを見た。これがコンタクトなるものか、と。
昔からずっと目の良かった汐音は、いきなり視力を落としていきなり眼鏡を着用するようになったので、慣れない眼鏡に頭痛を起こすことが多々あった。コンタクトレンズを羨ましいと感じたこともあったのだが、中々怖くて手が出せなかったのだ。
入れる時とか、ずれたりした時とか、外すときとか…そんな様々なことを考えると、段々と恐怖感が襲ってきて、コンタクトなんて要らないやと思えるようになったのである。
「コンタクトなんて、どうやってつけるんだろ。目とかにぐりぐり押し付けて、痛くないのかな…裸眼だと手元が良く見えなくてイマイチ怖いわー…」
家を出る前まで着けるか着けまいか悩んだ後、結局着けずに家を出た。余裕の時間に家を出たのは久しぶりで、まだ外は日が柔らかく、人通りも少ない。いつも忙しなく小走りで駅のホームへ向かうサラリーマンや学生たちが、いつもの時間よりも少なかった。
そういえば長谷寺は何処に住んでいるのだろうかとか、電車で出くわしたら嬉しいのにとか、そんなことを考えながら汐音は電車に乗り込んだ。
当然の如く座席には座れないが、何とか鉄棒には捕まることが出来た。つり革に掴まっていると腕の血がなくなっていくような気分になり、気持ち悪いのだ。だから極力つり革は利用しないことにしているのだが、満員電車だとそうも行かない。
早起きは三文の得と言うのは、正にこのことであろう。
(今更ながらに眠いなー………ん?)
何やら急にお尻の方に違和感を感じた。もぞもぞと何かが、蠢いている。皆から聞くパターンだと、これはもしかして…もしかすると。
(痴漢!?)
汐音は生まれてこの方痴漢に遭ったことがない、と言うより、痴漢されるような場所に行くことがなかったからだろうが、それでもナンパされるとかいうことがなかった。
よく見れば可愛い(?)地味で地味なこの顔のせいだが…せいと言うには甚だしいだろうか、良く言えばこの地味な顔のお蔭で男に悩まされると言ったことがないのである。
と言うかこれは本当に痴漢なのだろうか、今一確信が持てないのだが、今後ろを振り返るのは怖い。それに駅毎に乗ってくる人ごみのせいで、振り向けない。
すると、背後から声が聞こえてきた。
「う~ふ~ふ~ふ~♪汐音ってば可愛いお尻してるぅ~☆」
「!!?」
聞き覚えのある甘ったるい声だった。女の子らしい声音で紡がれるのは、何ともオヤジ臭い台詞である。ピンクブラウンのふわりとした髪の毛が汐音の肩に触れれば、お馴染みにがっつり化粧された葩が顔を出した。
汐音は一瞬悲鳴を上げそうになったが、そのことを悟った葩が汐音の口を押えて何とか恥を掻くことは免れられた。愉快そうにチークの乗った頬を緩めれば、やっと朝の挨拶が葩の口から出されたのだった。
「くすくすっ、おはよー汐音!」
「おはよう…もう、びっくりしたよ」
「えへへ~、ごめんねぇ。女の子を見つけてしまったからつい!…あれ?眼鏡変えた?」
「中身がオジサンですか、白石さん。…ああ、昨日ちょっと壊れちゃって。」
「えぇっ!?そぉなのお~!?…さては昨日、かいちょーとなんかあったなぁ?」
からかう気満々の葩の言を聞いて、汐音はやっと昨日の出来事を色濃く思い出した。抱き着いてしまったこと、先輩に答えを先延ばしにされてしまったこと、先輩に送ってもらったことなど、疎らに。何かあったと言えない訳ではないが、これは何かあったというのだろうか。
答えを出し渋っている間に何を悟られたのか、葩の表情はにやけ顔に変わっていた。可愛らしい容姿からオジサンのオーラが現れ、汐音は顔面蒼白にした。これはやばい、と。
「ふふふ~…何かあったんだぁ~…?あ、まさか彼女になったとか??あり得そう~!!」
「ちっがうよ!違うよ!…先輩が何考えてるのか、分かんないや」
思わず声がひっくり返り、恰好が悪いが、以外にも葩は信じてくれたようだ。残念そうな声を思いっきり上げるとグロスの塗られた艶のある唇を尖らせ、如何にも拗ねている体を表現した。
「ぇえ!?はなゼ~ッタイ脈ありだと思ったのにィ~!かいちょー大抵人選ばずにOK出すし…」
「…それじゃ私はその大抵の人にも入らなかったクズだと…?」
「あっ!ちがうよぉ~汐音は誰がどこを見てもカワイ子ちゃんだよぉ~っ!?きっとかいちょーが見る目ナイだけだって!」
葩のお世辞はいつものことなので(葩は大抵女の子にはそう言っているから)もう気にも留めないが、誰がどこを見ても汐音が地味だということは一目瞭然である。頭脳も容姿も中の中の下で、眼鏡を掛けてからは、赤茶の眼も目立たなくなり、銀髪だというのにも関わらず地味なのである。
いい加減自分が地味だということも自覚し始めているので、否定もできない。この頭ではきっと平均点どころか、赤点をギリギリ免れることが精一杯だろう。
そんな訳で汐音と付き合っても何の利点もないので、鶴伎に振られても仕方のない事なのである。しかし昨日の微妙なあの受け答えは訳が分からない、振ったのか振っていないのか、白黒はっきりしてほしいものである。まぁ振られても振られても、この気持ちは消えないし諦めるつもりも更々ないのだが。
そんなことを話している内に、いつの間にか駅に着いた。人ごみに押されて電車から出ると、やっと外の空気が吸えるようになった。
葩と一緒に改札をくぐり、途中で飲み物を買って駅の外に出ると、ある目立つ人物がいた。女の子に囲まれている、長身細身の綺麗な男性が。…お馴染みだが。
「あ、汐音ちゃん。おはよう」
「…!?」
正直名前を呼ばれて嬉しかったことは否めないが、周りの女の子達から一斉に降り注がれた痛々しい眼が怖かった。それと、何故ここにいるのだろう。
誰を待っているのかと考えただけで、またもや制御が難しい黒い靄の様な感情が汐音の胸中を巡った。思わず眉根を寄せて両目を閉じると、次に目を開けた時には知らない間に鶴伎が目の前に居たのだった。それと、そのお蔭で更に痛々しい視線が降り注いでいるのであった。
「学校、行こうか。その眼鏡…あんまり見えてないんでしょ?」
「え…いや、そりゃ見づらいですけどでも先輩」
「いいよ、どうせ行き先は途中まで一緒だから」
「…先輩…」
黒い靄がすうっと音を立てて汐音の胸中から消え去ると、次には頬が火照り始めた。春の陽気のせいだと、汐音は自分に言い聞かせた。それと、いつの間にか距離を置いて歩いていた葩にも同様に春の陽気のせいだと言い訳をした。
―
4時限目、汐音のクラスは教室移動…選択美術の時間であった。チャイムが鳴り、生徒たちは昼飯時だと早々に教室へと帰って行ったが、汐音は課題が終わらずに居残りをしていた。
腹減りの峠が過ぎもう腹も鳴らない頃、コンビニ弁当を食しながら汐音に指導を続ける美術教師永山とともに、納得の行かないデッサンを続けていた。
絵心のない汐音にとっては、地獄と言っても過言ではないだろう。ならば何故美術を取ったという話だが。
「まだ納得しないのか?十分上手いと思うんだが…」
「う~~…」
先の丸くなった鉛筆をカッターで削りながら唸り声をあげる汐音は、もう気力的には限界点を達しそうであった。手元が危うくて、このまま指の皮をむいてしまうのではないかと思ってしまうほど乱暴なカッター使いに永山は不安でしかたがなかったが、今の汐音にそのことを注意してもきっと直りはしないだろう。
永山は緑茶を片手に汐音に近づき、それを飲みながら汐音の頭をポンと撫でた。鉛筆を削る手をぴたりと止めると、汐音は廊下の方向を見つめた。
「…どうした?」
「この声…先輩?」
廊下からふと聞こえてきた声は、とても聞き覚えのある声であった。透き通っていて、決して低音ではないが、男性と思える心地よい響き。この声はまさに、長谷寺 鶴伎のものであった。
それと聞き慣れぬ女の声も混じって、汐音の無駄に良い耳に届いてくる。これは、どういったものだろうか。
赤茶色の瞳は虚を見ているようで、確かな物体を捉えているようにも見える。永山はまた緑茶を一口口に含むと、頬に汗を浮かべながら汐音を見遣った。
『長谷寺君~、聞いたわよ。今フリーなんでしょ?あたしと付き合わない~?』
『先生、そんなんだと彼氏に愛想尽かされますよ?今何股してるんですか』
『うふふ…付き合ってくれたら教えてアゲル。どう?貴方同い年とか年下ばっかじゃなくて、大人とも遊んでみない?』
『遊びは付き合いとは違いますから。それと、先生を巡るいざこざに巻き込まれるのはごめんですね。』
『ンもう連れないわね~。好きな人でも居るの?』
汐音は思わず息を呑んだ。そこまではよかったが、気づいた時にはカッターを片手に、美術室を出て行っていたのであった。
無意識に溢れる黒い感情が肥大化していくうちに、カッターの刃先が伸びていく。汐音は震える手を一生懸命に抑えながら、目的人物のところへ急ぐ。
「好きな人でも居るの?」
そんな質問の答えなんて聞きたくない。もしそれが私でないなら、きっと私はその“好きな人”をこのカッターで傷つけてしまうと思うから。
「好き?…誰が好きかなんt」
「!?な、なに?貴女…!」
「触るな…」
理性を具現化した人間と感性を具現化した人間があったとして、感性を具現化した人間が汐音だと、鶴伎は思った。
この、校長室呼び出し決定となるような事後のあと。
中途半端(笑)
鶴伎は理性の塊です。欲情しても限界まで我慢できる人です。
あと食欲とかない。睡眠欲とかはありますが。
だから細いんだよ((