偏差値1...入会
汐音が生徒会室に着いた頃、既に室内は女子でごった返していた。汐音は少し悔しげに目を伏せ、床を見遣る。
私が一番だと思ったのに…まぁ、あんなカッコイイ生徒会長が居たら無理もないと思うけれど。でも…そうか、ここに居る女子全員、“彼”目当てで来てるのか。
嫉妬に似た黒い感情が、汐音の平たい胸に靄の様に広がってゆく。
まぁそんなことは置いておいて、入会しに来たのにこんな浅はかな感情に気を取られて本来の目的を忘れてはいけないだろう。
ちらりと汐音の想い人―生徒会長を見遣ると、やはりチャラついた女が群がっていた。何故この学園に入れたのか不思議でしょうがないが、見た目で判断するのはよい事ではないだろう。
「長谷寺先輩って~、全然おカタそうじゃないのにこんな地味~な仕事してンですかぁ?」
「地味~って、阿達さん生徒会に入会しに来たんじゃないの?」
嗚呼、やっぱりカッコイイ。と汐音は感嘆の息を漏らした。生徒会長は俗に言うイケメンと呼ばれる人種なのだ。
少し長めの黒髪、切れ長な昏い瞳、長身で細身、低くて耳によく響く落ち着く声…。脇から甲高い耳障りな声が聞こえて来なければとてもオアシスなのだが。
「え~、どぉしよっかなぁ~。長谷寺先輩が付き合ってくれるって言うんなら入会しないでもないですよ☆」
何を言っているのか、阿達と呼ばれる女性がそんなことを口にすれば、馴れ馴れしくも生徒会長に大きい胸を押し付けて抱き着いていた。
黒い靄だけだった感情が肥大化していき、ぐるぐる、ぐるぐると汐音の胸中を渦巻く。「あの女…今すぐにでも殺してやる…!」と考えてしまいそうな汐音が何処かに居る。と言うか、考えてしまった。
そんな汐音に止めを刺すような一言が、生徒会長の口から紡がれた。
「ならこの入会届は無効だね、俺彼女居るしさ。」
………はい?
一瞬、汐音の思考が一時停止した。顧問の斧原に入会届を渡す手も、フリーズして動かない。その時は気づかなかったが、その時の斧原はかなり困惑していたらしい。
汐音がフリーズしたのもそうだが、その時周りの女子全員(一部除く)が一斉に固まっていたらしい。一部というのは先輩や、本気で生徒会に入会しようと考えていた女子等々だ。
当然、フリーズした女子共は早急に全員室内から出て行った。汐音も逃げ出そうかと考えたが、既に紙を渡してしまっていて逃げるに逃げられなかった。
「毎年恒例だな、長谷寺ァ。あんま女子誘惑してっと、野郎どもに目ェつけられっぞォ?」
「…好きでこんな顔してる訳じゃないです、斧原センセ。」
「へぇへぇ、まぁ好きにやんな。どーせまたもうすぐ別れんだろ?…あ、悪い藍沢、ほったらかしにしちまって。」
毎年恒例、誘惑、好き、別れる…様々な単語が汐音の右耳の中へ入り、頭の中を通り過ぎて、左耳から抜けて行く。
つまり、どういうことだろう。生徒会長は私の嫁ということでいいのだろうか?
混乱しすぎて訳のわからない事を考える汐音に、斧原の汐音への言葉が届く訳もない。
「…おい、藍沢?」
斧原のまだ若い褐色の肌が急に視界に入り、汐音は心臓が縮む様な感覚を覚えた。真っ黒な瞳がメガネからはみ出る勢いで目を見開き、ビクンと肩を震わす。
「あっ、は、はい、?」
この挙動不審な動きのお蔭で、完全に斧原からの評価は「変な生徒」という認識になってしまった気がする。これが気だけなら良いのだか。
いや、今のは斧原先生が悪いんだ、絶対そうだ。汐音はそう、自分に言い聞かせたのだった。
「新入部員…会員か?まぁいいや、として自己紹介しろ。白石と…あとお前もな。」
今まで生徒会長にばかり気を取られて気づかなかったが、そういえば周りに結構人が居た。男子が一人に女子が一人…結構と言うほどでもなかったか。
斧原の指示が終わるや否や、白石と呼ばれていた女の子らしい女子が大きく手を振り上げて元気よく返事をした。余りに急すぎてまた汐音は目を見開いた。
「はーいっ!そんじゃあ、白石ちゃんが最初に自己っちゃうぞぉ!
えー、4年5組の白石 葩ちゃんでーす!常にハイテンションでーす!チャームポイントは首にあるハートの痣…なーんちゃって☆あ、あと中等部時代にも生徒会やってましたー、どうぞよろしくね♪」
事故っちゃう…?とは、この場にいた生徒全員が考えたことだろう。それにこの異常なまでに高いテンションは、何かあったのだろうかと思わせるまでだ。
普段そんなに(白石ほど)テンションの高くない汐音は、「見習いたいけど尊敬はしたくない」と感じたらしい。でも可愛いから許されちゃう感じもあると。
ゆるゆるふわふわなピンクブラウンのロングにリボンって、可愛すぎるだろう。汐音なんかは地味の極みと言っても過言ではない。
「おう、基本この部…いや会か。まぁそれはいいとして基本テンション低いんでな、お前みたいな異常者が居てくれると助かるわ」
斧原が褒めているのか貶しているのか分からないコメントを白石に言うと、白石はわざとらしく拗ねたように唇を尖らせた。普通ならうざったいと思われても仕方ない行為だが、不思議なことに可愛らしい。
非常に狡い立ち位置だと思った。
「オノ原せんせー、異常者って何ですか!白石ちゃんは普通ですぅー。」
「はいはい、んじゃ次…藍沢。」
「えぇっ!?」
そこで私に来るのか…。
汐音は困惑した。何故ならば自己紹介が非常に苦手だからである。何故わざわざ自分を紹介しなくてはならないのだろうか、名前クラスだけでいいではないか。と自己紹介の度に愚痴を零すくらいだ。
まぁ、そんなこと言っていたら生徒会なんてやっていられないのだが。
「…えと、4年9組藍沢 汐音です。趣味は日記を付けることです。あ…あと生徒会長が好きです。よろしくお願いします!」
「!?」
汐音のあり得ない一言に、生徒会長が麦茶を吹き零した。まさかこんなにストレートに言われるとは思いもしなかっただろう。
汐音はこういう人間なのだ、誰にも渡したくないという欲が強いのもあるし、何より自分を知ってもらいたいがために…。
「汚ェなー、噴いてんじゃねぇよ。」
「ゲホッ、すみません…コホッ、…藍沢さん、宜しく…。」
涙目ながらに汐音を見遣る。汐音は歓喜に満ちた表情をしていた。
嗚呼、先輩が私を見てくれた…!先輩が私に宜しくと言ってくれた…!うれしい!
そんなことより、何故斧原があんなに落ち着いているのかと言うことを筆者は問いたい。
「藍沢、こいつもうすぐできっと今カノと別れるかもしれねぇから、チャンスだぞ。気張っとけ!な!」
「あははっ、じゃあ白石ちゃんもきばっとこーっ彼氏欲しいし!」
君はじっとしてればすぐに彼氏ができると思う。教室にいるほとんどの人間がそう思った。
斧原は正直、何を考えているのかさっぱり分からない。汐音は最初真面目でサバサバしている印象を受けたのだが、今までの会話を振り返ればどうもそうではないらしい。
口調から言って決して真面目ではないのだが、何故真面目な印象を受けたのかは自分でもわからなかった。
「話が脱線しちまったな、よし。んじゃ…名前なんだっけ…お前な。」
失礼ながらに名前を綺麗さっぱり忘れてしまった4年で唯一の男子に、斧原は指差した。
男子は呆れたようにため息を吐くと腰に手を当てて斧原を見つめた。その瞳は綺麗な蜂蜜色をしていた。
「…木下 南です、4年5組。名前に関しての感想はナシの方向で、以上。」
男子…木下は何処となくピリピリした雰囲気が漂っている。髪も赤茶色で、ワックスの様な整髪剤で立たせているし、ピアスの穴まで開けている(何故それで入学できたのかは謎だが)。どちらにしても、生徒会とは無縁の様な雰囲気である。
そういえば白石と木下は同じクラスなのか。5組までは中学からの繰り上がりと聞くし、仲が良いのだろうか。とてもそんな風には見えないが。
「南ちゃん!1年の時以来だね~!」
「どーも。その呼び方やめろって言った筈なんだけど…」
「まぁいいじゃない!それより、仲よくしようね♪」
気怠そうに白石を見る木下と、楽しげに木下に話しかける白石。この二人の落差は見ていて不思議なものがあった。
本当に不思議である、特に白石何かは、誰に対しても何に対しても楽しげだ。
「汐音もね!」
「え?」
興味深そうに傍観していた汐音は、いきなり話しかけられてどう返事したらわからずにそのまま聞き返してしまった。
何が、私もなの?と言った風に。
「だからぁー、汐音も葩や南ちゃんと仲よくしよってこと!」
「ああ…そうだね、宜しく。」
「うんっ」
高校に入って初めての友達ができ、何となく嬉しさを感じる汐音。無理もないだろう、この学園に中学時代の友達は一人も居ないのだから。
大体中学時代にも友達と呼べる人物は少なかった。部活動が同じの子と、クラスが三年間同じだった子ぐらいか。無趣味に等しい汐音にとって、友達作りは困難なものなのだ。
だからこそ、影が薄いなどと言われるようになるのだが。
「おーい、再開すんぞー。じゃ、次…長谷寺な。」
「長谷寺」という単語を聞く度に胸が高鳴る。キュッと締め付けられて、何故か苦しくなる。それと同時に、愛しさや激しい熱も襲ってきた。
汐音が長谷寺の顔をじっと見つめていると、長谷寺が笑顔を返してきた。その瞬間汐音は、卒倒してしまいそうになった。
…その笑顔は反則ですっ、先輩…!
「生徒会長の長谷寺 鶴伎です。みんな、生徒会に入会してくれてありがとう。これから宜しくね。それと――」
4年生の顔を見ながらつらつらとマニュアルに書いてあるようなことを話していく鶴来。またふと汐音と目が合うと、そのまま目を離さなかった。
その時汐音は何事かと思ったらしい。
「な、なんでしょう…?」
「…藍沢さん、俺のこと好きって言ったよね?」
「はい…、?」
頷いた途端、長谷寺の表情が険しくなった気がした。何となくなので、気のせいかも知れないが。
「わぁっ、何々?入会早々大ロマンス??」
楽しげに茶化す白坂は置いておいて。
「ありがとう、その気持ちはありがたいんだけど、そういう浮ついた気持ちで仕事を怠らないようにね。」
やはり気のせいだったか、すぐに長谷寺の優しげな笑顔が戻った。汐音はそれ以上の、満面の笑みを浮かべた。
ありがとうって言われてしまった!これは、何かの兆しなのだろうか。だとすれば、これはチャンスか?いつかちゃんと告白したら、OKを頂けるのだろうか。そうなるべく、もっと自分を磨かねば!
一人舞い上がる汐音にそれを興味深そうに見つめる白石。それとは逆にまったく興味なさげな「我関せず」と言ったような木下。にやり顔で全員を見遣る斧原。呆れる生徒会委員達。
なんとも混沌とした情景である。
ただ一つ共通したのは、その場にいた生徒会委員全員が気づかなかった。長谷寺の表情が、一人曇っていたのを…。