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偏差値10...鶴父

 突然現れた鶴伎によく似た男性は、汐音を見るなり怪訝そうな顔をして汐音が何者かを問うた。何者か問いたかったのは汐音の方であるが、見た目からして鶴伎の父親であろう。

 鶴伎の態度から誰もいないものと思っていた汐音は、男性に対し表にこそは出していないが、とても困惑していた。困惑というよりは、驚かされたので無駄な警戒心ができてしまったと言った方がよいか。


「ええと。…生徒会役員の、藍沢汐音です。その…長谷寺先輩の具合が良くないようだったので、送らせてもらいました」


 目の前に居る男性からは何故だか、決して良い雰囲気が感じられなかった。鶴伎が大人になったらこんなふうなのだろうとは思うのだが、それでも鶴伎とは比べものにならないくらいの負を感じる。

 だからだろうか、この人は鶴伎によく似てはいるものの、「父親だ」という確信が持てない。おそらく、父親だろうという認識しか、汐音には難しい。

 男性は老けはじめの小じわの寄った目元を細めれば、「なるほど」と呟いた。その微笑は鶴伎にとても似ていて、汐音は将来鶴伎と結婚する妄想を勝手にし、大人になった鶴伎に微笑まれる想像をした。

 その光景はとても顔がほころぶもので、汐音は自身の頬が緩まないようにするのに気をつかい、一人で勝手に大変な思いをした。


「汐音さん。わざわざありがとう。…全くうちの息子は、こんな時間に女の子にこんな真似させて。」

「いえ、とんでもありません!私が好きでやった事なので…。」


 今の一言は、汐音の本心であった。何も考えずにぱっと出る一言は、いつも本心である。相手を気遣ったりして思考を働かせていると、言葉を紡ぐ汐音の口は、動くのが遅くなるのだ。

 男性は目を丸くして汐音を見遣ると、とてもおかしそうに笑った。くすくすと喉で笑う様子は、正に鶴伎そのものであった…鶴伎が真似たのか、はたまた似たのかは分からないが。


「可笑しいね…、面白い。そうだ、もう暗いから…送って行ってあげるよ。汐音さんさえ構わなければ」


 独特の喋り方をする人だと思った。ゆったりと言うか、奥ゆかしいと言うか、不思議な喋り方である。

 たまに鶴伎もこういった喋り方をするが、それとは全く雰囲気のことなる喋り方であった。汐音はそんなことを考えながら、足の疲れを感じ、「いいのですか?」と問うた。

 男性は「お礼ですから」と頷くと、にっこり微笑んだ。



 汐音は緊張しながら、長谷寺家の高級車に乗った。黒くぴかぴかで、座席も新品の様に綺麗であった。これで新品であったなら納得だが、そんな偶然はあり得ないと思った。

 男性は短く切られた髪を掻きながらミラーを調節し、鏡越しに汐音を見ると「狭い車で悪いね」と苦笑を浮かべた。汐音にはこれのどこが狭い車なのかさっぱり分からなかったが、上手な否定の言葉が見つからなかったので、首を横に振るだけに留めた。

 車がエンジン音を発して前進すると、男性は間もなく汐音に話しかけた。


「…汐音さんは、鶴と仲がいいの?」

「へっ…!?な、仲ですか…?」


 突然の問いかけに汐音はとても困惑し、どう返すか迷ってしまった。自分と鶴伎の間は、仲が良いと言っていいものなのだろうか。もし自分が付き纏っているだけであったら…と思うと、すんなりと答えは出せなかった。

 汐音は、鶴伎が自分に構ってくれるのは自分が鶴伎に好意を持っているからだと思っている。その考えは決して間違ってはいないが、鶴伎も正直汐音を気に入ってはいるので、仲が良いと言っても強ち間違いではないのだ。

 けれども優柔不断な汐音は、答えを出せずに、答えを出した。


「…わかりません、先輩はいつも、私に構ってくださいますが…」

「へえ…。汐音さんは、息子に気があるのかな?」

「気があると言いますか、正直に言いますと大好きです…。」


 無意識に口走ってしまった言に、汐音は口にした後になって血の気を引かせた。どうして自分は鶴伎が絡むとこうも感性で動いてしまうのだろうと、自信の額を殴る。

 鶴伎はもう自分とは一緒になれないと、許嫁の居る身であると言うのに。

 男性は笑まない黒い瞳で汐音を見た。口元は笑んでいるのに、何故こんなにも恐ろしい。汐音の血の気がまたさぁ、と引いた。


「変な話だけどね…鶴にはもう、将来一緒になる女性が決まってるんだよね」

「し、知ってます…中等部の、あの背の高くて美人な女の子です…よね」

「ああ、うん。そう」


 段々と雑に、そして低くなってくる喋り方に、汐音は恐怖した。目の前にいる王様はこんなにも恐ろしい、初対面なのに、汐音に(恐怖)しか見せてくれない。

 何故かとても面白くなさそうな目つきで、こちらを見つめている。鶴伎に好意を抱いている自分が気に入らないのか、それとも婚約の邪魔をされそうで忌まわしいのかは、分からないが。

 どちらとも言えたら、この気まずい空気をどうすればいいのだろう。


「鶴伎は、他人との距離を大切にする。…こんな風に人に助けてもらっていたのは、見たことがない」

「…え?」

「あいつは、親である俺とも距離を置く。うちに連れて来たのは、貴女が初めてだよ…まぁ、連れて来たとは言い難いかもしれないが」


 汐音は何故そんなことを言われているのか、意図が理解できなかった。それ故に黙っている他なかったが、男性が一人喋っているので、何ら問題なかった。


「汐音さん、鶴伎のことが本当に好きなら…諦めてくれないかな?あの子の将来の為にも」

「嫌です。…先輩の将来は先輩が決めるものだと思いますし、だから、先輩に振られたなら文句は言えません。でも先輩のお父さんに何か言われたからといって、諦めたくないです。正直あの女の子にも渡したくありません。」


 鶴伎の父親と言うより、一会社の社長の男は、とても面白くないように失笑した。汐音の赤茶の眼を直視できるほどの度胸は、男性にはなかったが、汐音は平民だからと言わんばかりの「子供だからそんなことがいえる」と言う呟きを零した。

 汐音はそんな男性が既に大嫌いになっていた。汐音は自分の邪魔をする者が嫌いであり、また、男の「鶴伎」を言い訳にした汐音への説得が気に入らなかった。

 自分を気に入らないなら気に入らないで、しっかり自分の言葉で汐音を説得すればいいのに。何も鶴伎を使わなくたって、汐音は大人たちに告げ口したりはしないというのに。

 それでもまあ、どういわれようが梃子でも動かない自信はあるが。


「駅までで結構ですから…手間をかけさせてすみませんでした」


 汐音が駅が見えて来た辺りでそういうと、男性は笑顔で汐音を車から降ろした。この気まずい空気で、あと何十分も男性と車内で一緒なのは、流石の汐音も堪えると言うものだ。

 時刻は既に8時を過ぎようとしていた。汐音は鶴伎の身を案じながら人混みに揉まれ、家路を急いだ。



 家に帰ると、珍しく眼鏡の掛けた熱で顔の真っ赤な鶴伎が律義にテーブルに突っ伏し、父を待っていた。すっかり寝てしまっているものと思っていた父は、一瞬目を丸くしたが、すぐに頬を緩めた。

 鶴伎は薬を飲むために汲んでおいた水を口に含むと父の顔を見つめ、そして目をそらした。


「早かったね」

「駅まででいいと言われたからな」


 一体汐音に何を言った、と言わんばかりに父を睨みつける鶴伎の目は、熱のせいか心なしか潤んでいた。鶴伎の体調の悪さの原因が何となく分かる父は、愚かな息子の額に手を当てた。

 息子は煩わしそうに手を払いのけると、錠剤を口に含んでそのまま水を飲み下した。喉が上下し、解熱剤が体内へ入ったことを知らせる。

 父が心配しないわけがないというのに、何を勘違いしているのか、鶴伎は父へ軽蔑したような眼しか遣ってくれずにいた。


「鶴、麗の事抱いただろう」

「まぁね…俺じゃなくて、あんたが抱いたも同然だと思うけど」

「変わらないさ、お前は俺の分身なのだから…。俺が言っているのは、好きでもない女を抱いて体調を悪くしてどうすると言っているんだよ」


 鶴伎は麗雅の喘ぐ表情を想いだし、吐き気を催した。目の前にいたあの女は鶴伎を見てはいなかった。あの女が見ていたのは、今目の前に居る自分によく似た自分の父親…長谷寺 (たつみ)なのだから。

 巴さん、巴さんと喘ぐ麗雅の姿は、鶴伎にとってとても萎えるものであった。気持ち悪く、とても、うざったい。

 何故こんなにも愚かになれてしまうのか、鶴伎には理解できなかった。そんなことを考えている内、女の香にあてられて体調を崩したのだ。初めてではないので、予想は出来たが。


「神宮さんはとっても美人だけど、相手が面倒臭くなったからって俺に回さないでよ…うざったいなぁ」

「美人で親も金持ちで、歳も近い。何処が嫌だ?お前の我儘さえなければ、家は潤う。汚点などないじゃないか」

「生憎だけど、俺はあんたに迷惑をかけたことはない。ましてやあんたが抱いた汚い女と生涯共にする気力も持ち合わせてないよ。まあ、美人なのは目が眩みそうになったけど…今日の件で萎えたね」


 鶴伎は薬が効いて来たのか、だんだんと目の焦点が合ってきた。巴は愚かしいものを見るような目つきで鶴伎を見遣ると、「所詮は顔が命だろ」と言った。鶴伎はもう、父と口を利く気力さえなくなってきた。


「そう言えば…汐音ちゃんに何吹き込んだ訳?送ってってくれたのは感謝してるけど、変なこと言ってたら本当に俺出てくから」

「特に何も言ってないさ。背が低くて意思が強くてとても可愛らしいけど…お前には物足りないな」


 勝手な品定めに呆れた鶴伎は、父に反論する気も失せた。聞かなくとも分かるのは、父が汐音に自分を諦めるように言ったことである。

 あそこまで自分に依存していた汐音がそう簡単にはいそうですかと引き下がるとは思えないが、もしこれで引き下がられてしまったら、今回の実験は失敗と言うことになる。

 そして悲しいことに、絶対にこの婚約の話は進んでしまう。愚かなことだが、諦めてくれないでくれと切に願う他なかった。


「物足りてるよ…別に、夜のことだけが恋愛じゃないし」


 そう言った後になって、鶴伎は自分の言ったことが信じられなかった。まさか自分の口から斯様な言葉が出てくるなど、思いもしなかった。


「…びっくりしたよ、お前の口からそんなことが聞けるとは」


 父巴も、そんな鶴伎の言に驚いている様子であった。

 熱を言い訳にして父から言い逃れると、鶴伎は私室へと駆け込み、ベッドに倒れた。眼鏡を外して棚の上に置き、そのまま目を瞑る。

 汐音のふんわりとした微笑が脳裏に浮かぶと、何故だか、温かい気持ちになった。麗雅を抱いている時には痛いとしか感じなかった汐音の笑みが、今は温かい。


(なんで…)


 鶴伎は必死に自分を支えてくれていた今日の汐音を思い浮かべ、涙を浮かべた。実験という名目で汐音の気持ちを弄んでいる自分が、今は少しだけ恨めしくなった。


(…絶対、熱の…せいだよ…。)


 鶴伎の意識は、夢魔に連れ去られた。

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