第三話 最初の仕事
村に着いたのは、日が暮れてからだった。
「ここがクラウド村だ。小さいだろ?」
ダグラスが指差した先に、数十軒の家が固まっている。木造の粗末な建物が多く、村の中心には井戸と小さな広場があった。電気はなく、窓からは蝋燭の光が漏れている。
中世ヨーロッパの農村。誠一の脳裏に、そんなイメージが浮かんだ。
「思ったより……静かですね」
「ああ、最近は瘴気汚染が酷くてな。外に出る者が減ってるんだ」
瘴気汚染。ダグラスが倒れていた原因だ。この村にも、その影響が及んでいるらしい。
「宿はあっちだ。俺が口を利いてやるよ」
村の入り口近くに、「旅人の憩い」と書かれた看板を掲げた建物があった。宿屋というより、民家に毛が生えた程度の規模だが、旅人を泊める部屋はあるようだった。
宿の主人は、五十代くらいの太った女性だった。ダグラスが事情を説明すると、彼女は誠一を上から下まで眺め回した。
「浄化師様? あんたが?」
「まあ、その……見習いですが」
「ふうん。まあいいわ。命の恩人だってんなら、泊めてあげる。食事も出すわよ」
「ありがとうございます」
「お金は——」
誠一は、自分が無一文であることに気づいた。この世界の通貨も持っていないし、そもそも何が通貨なのかも知らない。
「あ、その……」
「いいさ、俺が払う」
ダグラスが財布を取り出した。
「悪いです、そこまで」
「命を助けてもらったんだ。宿代くらい安いもんさ」
「でも……」
「遠慮するな。それに、あんたにはこの村で役に立ってもらえるかもしれない」
「役に立つ?」
ダグラスは声を低くした。
「さっき言っただろ。この村は瘴気汚染が酷いって。実は、井戸水が使えなくなってるんだ」
「井戸水が?」
「ああ。数日前から、井戸から瘴気が湧き出すようになった。水を飲んだ者が次々と倒れてる。村人たちは、雨水を溜めて凌いでるが、それも限界だ」
井戸から瘴気。誠一の脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。
「……封水が切れてるのかもしれない」
「封水?」
「井戸の底、地下水脈との接続部分に、何か問題があるんじゃないかと」
清掃業の経験が、自然と口を動かしていた。排水口から悪臭が上がるとき、原因の多くは封水切れだ。トラップ内の水がなくなると、下水管——この場合は地下の瘴気源——と直結してしまう。
「すまん、専門的なことはわからん。だが、井戸を見てもらえないか?」
「俺に、ですか」
「さっき、俺の瘴気汚染を治しただろ。あれができるなら、井戸の浄化もできるんじゃないか?」
できるのだろうか。誠一自身、さっきの浄化がどうやってできたのか、よくわかっていない。ただ、手を当てて、汚れを拭き取るイメージを持っただけだ。
だが、試してみる価値はある。
「……わかりました。明日、見せてください」
翌朝。
誠一は、ダグラスと村長に案内されて、村の中央にある井戸を訪れた。
「これが問題の井戸か……」
石造りの井戸だった。直径一メートルほどの円形で、深さは目視ではわからない。だが、臭いでわかった。
瘴気の臭い。あの、腐敗と硫黄が混じったような異臭が、井戸の底から立ち昇っている。
「確かに、これは酷い」
誠一は井戸の縁に手をかけ、中を覗き込んだ。
暗い。水面は見えないが、黒い靄が渦巻いているのがわかった。瘴気だ。それが、水を汚染している。
「村長さん。この井戸が使えなくなったのは、いつ頃からですか?」
村長は五十代の痩せた男で、不安そうな顔をしていた。
「五日前からじゃ。突然、水が黒っぽく濁り始めて……。飲んだ者が、次々と熱を出して倒れた」
「それ以前に、井戸に何か変わったことはありませんでしたか? 地震とか、大雨とか」
「地震……そういえば、六日前の夜に、小さな揺れがあったな」
やはり。
誠一の仮説が確信に変わった。
「おそらく、地震で井戸の底——地下水脈との接続部分が損傷したんでしょう。そこから瘴気が侵入してきている」
「直せるのか?」
「……やってみます」
誠一は深呼吸し、井戸の縁に両手を置いた。
目を閉じ、集中する。
清掃の基本。まず、汚染源を特定する。次に、汚染の範囲を把握する。そして、適切な方法で除去する。
誠一は意識を井戸の中に向けた。
——見える。
いや、「見える」という表現は正確ではない。感じる、というべきか。井戸の内部構造が、まるで設計図のように脳裏に浮かんでいた。
石積みの壁。それが十メートルほど下に続き、地下水脈に接続している。その接続部分——まさにそこだ。亀裂が入っている。そこから、黒い瘴気が噴き出している。
「封水が……ない」
本来なら、地下水脈と井戸の接続部分には、自然の水圧による「封」があるはずだ。それが、亀裂によって破られている。
「直すには……」
誠一は、スキル一覧を思い浮かべた。
【封水 Lv.1】
このスキルを使えば、封を修復できるかもしれない。
右手に意識を集中する。光が灯った。前日、ダグラスを治療したときと同じ、青白い光だ。
その光を、井戸の中に向けて放つ。
光は井戸の壁を伝い、底へと降りていく。亀裂に到達した瞬間、光が広がった。
「封水」
声に出して、スキル名を唱えた。
光が、亀裂を覆う。水のような、だが水ではない何かが、亀裂を塞いでいく。瘴気の流入が、止まった。
だが、それだけでは不十分だ。すでに井戸の中に溜まっている瘴気を、除去しなければならない。
「浄化」
両手を井戸に向け、光を放つ。
今度は、一方向に。上から下へ。往復させない。汚れを再付着させないように。
「一方向拭き」
光が、螺旋を描きながら井戸の中を降りていく。瘴気が、光に触れた瞬間に蒸発していく。黒い靄が、青白い光に塗り替えられていく。
数分後。
井戸の中から、瘴気の臭いが消えていた。
「……終わった」
誠一は額の汗を拭った。MP——魔力のようなものが、かなり消耗している感覚があった。
「井戸を……見てみてください」
村長が恐る恐る井戸を覗き込み、息を呑んだ。
「水が……澄んでおる!」
叫び声を上げると、周囲に集まっていた村人たちがどっと井戸に押し寄せた。
「本当だ! 瘴気が消えてる!」
「水が飲める!」
「奇跡だ……!」
歓声が上がった。誠一は、その騒ぎの中心で立ち尽くしていた。
「あんた……本当に何者だ?」
ダグラスが、信じられないという顔で誠一を見ていた。
「……ただの清掃員ですよ」
「清掃員?」
「汚れを落とすのが、俺の仕事なんです」
それだけ言って、誠一は微笑んだ。
十五年間、誰にも認められなかった仕事。誰にも感謝されなかった技術。それが、この世界では——
「聖者様!」
村人の一人が、誠一の前に跪いた。
「ありがとうございます! 村を救ってくださって!」
「いや、その……」
「聖者様だ! 浄化の聖者様が来てくださった!」
次々と、村人たちが跪いていく。誠一は慌てて手を振った。
「待ってください、俺はそんな大層な者じゃ——」
だが、誰も聞いていなかった。
村中が、誠一を「聖者」として崇め始めていた。




