第二十一話 黒崎の転生
瘴帝国の首都、ヴォイドガルド。
黒い石造りの城が、荒涼とした大地にそびえている。空は常に灰色の雲に覆われ、太陽の光はほとんど届かない。瘴気が大気に満ち、普通の人間なら数分で倒れてしまうほどの濃度だ。
その城の最上階に、クロス将軍——黒崎剛史——の私室があった。
「陛下からの報告書です、将軍」
部下が、書類を持ってきた。
「置いておけ」
「は」
部下が去った後、黒崎は窓際に立った。
眼下には、瘴帝国の軍勢が訓練している。数万の兵士が、整然と隊列を組み、演習を行っている。その多くが、瘴気で「強化」された者たちだ。
「汐見……」
黒崎は、低く呟いた。
その名前を口にするたびに、複雑な感情が胸に渦巻く。怒り、軽蔑、そして——わずかな嫉妬。
黒崎剛史が、この世界に転生したのは、約二年前のことだった。
誠一より半年早く。
あの日のことは、よく覚えている。
現実世界で、黒崎は深刻な問題を抱えていた。
「黒崎さん、会社を辞めてください」
上層部から、その言葉を告げられたのは、ちょうど誠一をいじめ始めた頃だった。
「なぜですか」
「あなたの管理するエリアで、クレームが多発しています。顧客満足度も、社内最低です」
「それは、部下たちの能力が——」
「部下のせいにしないでください。責任は、管理者であるあなたにあります」
退職勧告。事実上のクビだった。
黒崎は、その夜、自分のアパートで酒を煽った。
「俺が、何をしたっていうんだ……」
エリアマネージャーになるまで、必死に働いてきた。上司に取り入り、同僚を出し抜き、あらゆる手段を使って出世した。
なのに、こんな仕打ちを受けるのか。
「汐見の野郎……」
酔った頭で、黒崎は誠一のことを思い浮かべた。
あの無能な清掃員。十五年も同じ仕事を続けて、何の肩書きもない底辺。
なのに、あいつはいつも平然としていた。仕事に誇りを持っているような、落ち着いた態度。どんなに馬鹿にしても、言い返してこない。
それが、たまらなく腹立たしかった。
「お前みたいな底辺が、なんで俺より——」
その時だった。
部屋の隅にある排水口から、奇妙な光が漏れ出した。
「何だ……?」
黒崎は、ふらふらと近づいた。
光は、渦を巻いて広がっていく。黒崎の体を包み込む。
「うわっ——!」
意識が遠のいた。
気づくと、黒崎は見知らぬ場所に立っていた。
荒野。赤茶けた大地。灰色の空。そして、二つの太陽。
「どこだ、ここは……」
混乱する黒崎の前に、一人の男が現れた。
黒いローブを纏った、老人だった。
「ようこそ、異界の者よ」
「お前は誰だ」
「私は、瘴帝国の宰相。あなたを、この世界に招いた者です」
「招いた……?」
「そう。あなたには、特別な資質がある。我が帝国を、勝利に導く力が」
老人は、薄く笑った。
「あなたの心には、深い闇がある。怒り、憎しみ、嫉妬。それらは、瘴気と共鳴する力です」
「瘴気……」
「この世界には、『瘴気』という力があります。それを操る者は、強大な力を得られる。あなたには、その素質がある」
黒崎は、自分の手を見た。
黒い靄が、指先から漏れ出ていた。
「これは……」
「瘴気です。あなたは、生まれながらにして瘴気を操る才能を持っている。稀有な存在です」
老人は、黒崎の前に跪いた。
「どうか、我が帝国の将軍となってください。あなたの力で、聖王国を滅ぼし、世界を支配するのです」
将軍。世界の支配。
現実世界では、会社をクビになった負け犬。それが、この世界では——
「……面白い」
黒崎の口元に、笑みが浮かんだ。
「やってやろうじゃないか」
それから二年。
黒崎は、瘴帝国の将軍として、着実に力を蓄えてきた。
瘴気の操作は、すぐに習得できた。現実世界での「汚れ仕事」——人を陥れ、蹴落とす——の経験が、そのまま瘴気の扱いに転用できたのだ。
「汚す」ことに関しては、黒崎には才能があった。
そして、半年前。
「将軍、聖王国に異界からの来訪者が現れたようです」
部下の報告を聞いた時、黒崎は笑った。
「汐見か」
「ご存知なのですか」
「ああ。俺の元部下——いや、元同僚だ」
「では、警戒が必要ですね」
「警戒? あんな底辺を?」
黒崎は鼻で笑った。
「あいつは、ただの清掃員だ。便所掃除しか能がない無能者だ」
だが、その「無能者」が、聖王国で頭角を現し始めた。
井戸を浄化した。村を救った。「聖浄師」の称号を得た。
「……冗談じゃない」
黒崎は、苛立ちを隠せなかった。
現実世界では、自分が上で、汐見が下だった。それが、この世界では——
「認めない」
黒崎は、拳を握りしめた。
「俺があいつより下だなんて、絶対に認めない」
だから、汐見を排除する。彼が大切にするものを、すべて奪う。
それが、黒崎の決意だった。
窓から、訓練中の軍勢を見下ろす。
「汐見……」
黒崎は、低く呟いた。
「お前を倒して、証明してやる。俺の方が上だということを」
その目には、狂気に近い執念が宿っていた。




