第十六話 奴隷市場
少女は、震えていた。
襤褸を纏った痩せた体。瘴気に侵された左腕。それでも、その目には、まだ光が残っていた。
「……助けて」
掠れた声が、もう一度繰り返された。
誠一は、少女に近づいた。
「大丈夫だ。危害は加えない」
「本当に……?」
「ああ。約束する」
誠一は、少女の前にしゃがみ込んだ。
近くで見ると、年齢は十代後半だろうか。痩せこけているが、顔立ちは整っている。そして——
「瘴気汚染が、かなり進んでいるな」
「……わかるの?」
「俺は、浄化師だ。瘴気を感じ取れる」
少女の目が、わずかに見開かれた。
「浄化師……? 本物の……?」
「本物かどうかはわからないが——」
誠一は、右手に光を灯した。
「これは使える」
少女は、その光を見つめた。恐怖ではなく、希望の表情を浮かべている。
「治せるの……? 私の腕を……?」
「試してみる価値はある」
誠一は、少女の左腕にそっと触れた。
黒く変色した皮膚。その下に、瘴気が渦巻いている。かなり深くまで侵食されているが、まだ——
「間に合う」
「本当……?」
「ああ。時間はかかるが、浄化できる」
涙が、少女の頬を伝った。
「ありがとう……ありがとう……」
誠一は、少女の治療を開始した。
王宮に戻ることはできない。少女を連れていけば、面倒なことになる。そこで、ゴルド老師の家に向かった。
「おお、また珍客じゃな」
ゴルド老師は、少女を見て眉を上げた。
「奴隷市場から、連れ出してきたのか?」
「正確には、付いてきた」
「同じことじゃ。だが、まあいい。治療するのなら、ここを使え」
ゴルド老師の家の一室で、誠一は少女の治療を行った。
左腕に手を当て、浄化の光を送り込む。瘴気が、少しずつ薄れていく。
「……痛くないか?」
「大丈夫……むしろ、温かい」
少女は、目を閉じていた。
「ずっと、冷たかったの。この腕。でも今は……」
誠一は、黙々と治療を続けた。
瘴気汚染の治療は、井戸や畑の浄化とは違う。人間の体は複雑で、慎重に作業しなければならない。
一時間ほどかけて、誠一は少女の左腕から瘴気を取り除いた。
「……これで、とりあえずは大丈夫だ」
「本当に……?」
少女が、自分の左腕を見た。黒い変色は、まだ残っているが、以前よりずっと薄くなっている。
「まだ完全には治っていない。何度か治療を繰り返す必要がある」
「でも、以前よりずっと……」
少女は、左手を握ったり開いたりした。
「動く……。ちゃんと動く……!」
喜びの涙が、再び流れた。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
「名前を、聞いていなかったな」
誠一は言った。
「俺は汐見誠一。セイと呼んでくれ」
「私は……ミラ」
「ミラか。これから、どうするつもりだ?」
少女——ミラは、俯いた。
「わからない……。戻る場所なんて、ないから……」
「家族は?」
「いない。村が瘴気に飲まれて……みんな死んだ」
「……そうか」
誠一は、しばらく黙っていた。
やがて、口を開いた。
「なら、俺たちと一緒に来ないか」
「え……?」
「俺たちは、瘴気汚染と戦っている。君の経験は、きっと役に立つ」
ミラは、信じられないという顔をした。
「私みたいな……奴隷だった者が……?」
「奴隷だった過去は関係ない。今の君がどうしたいか、だ」
ミラの目が、大きく見開かれた。
「私……私は……」
言葉に詰まりながら、ミラは言った。
「私も、戦いたい。瘴気に……瘴帝国に」
「瘴帝国に?」
「私の村を滅ぼしたのは、瘴帝国の兵士だから」
ミラの目に、暗い炎が宿った。
「許せない。絶対に、許せない」
誠一は、その目を見つめた。
復讐心。それは、危険な感情だ。だが、今のミラから、それを取り上げることはできない。
「……わかった。一緒に来い」
「本当に……?」
「ただし、条件がある」
「条件……?」
「復讐のためだけに戦うな。自分の命を、粗末にするな。それだけは、約束してくれ」
ミラは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「……わかった。約束する」
こうして、ミラは誠一たちの仲間になった。
その夜。
ゴルド老師の家で、四人は今後の方針を話し合った。
「奴隷市場で、重要な情報を得た」
誠一が言った。
「瘴帝国への裏ルートがある。そして、それを仕切っている者がいる」
「宮廷魔術師団、ということですか」
リーネが聞いた。
「まだ確定ではない。でも、可能性は高い」
「証拠を掴む方法は……?」
「ミラに、協力してもらおうと思う」
全員の視線が、ミラに向けられた。
「私に……?」
「君は、奴隷市場にいた。その内部事情を知っているはずだ」
「……ええ。少しは」
ミラは、躊躇いながら言った。
「奴隷市場には、『特別な客』が来ることがあった。顔を隠した、偉そうな人たち」
「特別な客?」
「汚染者の中から、特に『質の良い』者を選んでいった。どこに連れて行かれるかは、わからなかったけど……」
「それが、瘴帝国への供給ルートか」
誠一は考え込んだ。
「その『特別な客』の特徴は覚えているか?」
「一人だけ、印象に残っている人がいる」
ミラが言った。
「左手に、蛇の刺青をしていた。見えないように隠していたけど、一度だけ、袖が捲れて——」
「蛇の刺青……」
リーネが、はっとした表情を浮かべた。
「どうした?」
「宮廷魔術師団の中に、左手に刺青をしている人がいます。レオナルドの側近で、マルコという——」
「それだ」
誠一は立ち上がった。
「マルコを調べよう。そこから、レオナルドに繋がるかもしれない」
「でも、どうやって……?」
「ミラに、証人になってもらう」
誠一はミラを見た。
「危険かもしれない。でも、君の証言があれば——」
「やる」
ミラは、迷わず言った。
「私の村を滅ぼした連中に、報いを受けさせるためなら——何でもやる」
その目には、決意の光が宿っていた。
誠一は頷いた。
「わかった。明日から、動き始めよう」




