第7話 出産と子グマの精霊
長い夜だった。
痛みで意識が遠のきそうになりながらも、私は必死に堪えた。
手を強く握りしめてくれていたのはレオニード。
「大丈夫だ、セリシア……俺がここにいる」
低く落ち着いた声に、必死に縋る。
彼の熊の精霊が部屋の隅に控え、じっと私たちを見守っているのが目に入った。
不思議とその姿に勇気をもらえた。
――そして。
「おぎゃあ!」
甲高い産声が響き、部屋の空気が一変する。
産婆が赤子を胸に乗せてくれた瞬間、涙があふれた。
「……ユリウス」
それは私とレオニードが幾度も話し合って決めた名前。
強く、けれど優しく育ってほしいという願いを込めた。
「ユリウス……俺たちの子だ」
レオニードが嗚咽をこらえきれず、ぼろぼろと涙を流した。
あの誇り高く厳格な彼が、我が子を抱いた途端、声をあげて泣いている。
「レ、レオニード……そんなに泣かなくても……ふふっ」
私は涙を拭いながら笑ってしまった。
泣き顔の夫を笑いながら、心が温かさに満たされていく。
***
そのとき、赤子の周りにふわりと光が舞った。
きらきらと輝く粒子が集まり、やがて一匹の子グマが姿を現す。
丸く愛らしい体で、よちよちと歩きながら私の手に鼻を寄せてきた。
「ユリウスの……守護精霊」
涙があふれた。
レオニードも「綺麗だな……」と呟いた。
それと同時にレオニードのクマの精霊が子グマを見下ろして低く鳴いた。
まるで「お前は私の後継ぎだ」と認めるように。
黒猫の精霊ララが寄ってきて子グマをぺろりと舐め、隣に座る。
その光景に胸が熱くなった。
「私たち……本当に、家族になったのね」
額に口づけを落とすレオニードの温もりに、世界が光に包まれるように感じた。
***
数日後、祝いに訪れた王女殿下はユリウスを見るなり歓声をあげた。
「まあ……ユリウス、本当に可愛いわ!」
迷いなく抱き上げ、頬ずりする。
瑠璃色の瞳がとろけるように細められ、赤子を愛おしげに見つめる姿は――。
(まるで、本当の母親のよう……)
その隣に立つレオニードと並ぶ姿が、私の胸をざわつかせた。
嫉妬と自己嫌悪が混じり合い、心がざわめく。
***
さらにその日、もう一人の来客があった。
「ご出産、おめでとうございます、セリシア嬢」
低く穏やかな声に振り向くと、そこには深い青の外套をまとった青年――第二王子セオドア・ルクレールが立っていた。
彼の隣には、白い鹿の精霊が寄り添っていた。
ただの白ではない。
月明かりをまとったように淡く輝き、角には星屑が宿ったかのような光が瞬いている。
静かに歩むたび、空気が澄んでいくようで、部屋の雰囲気までも清らかに変えてしまう。
「セオドア殿下……!」
驚きと同時に、胸の奥がふっと軽くなった。
彼の落ち着いた佇まいと白鹿の光が、疲れ切った心を癒やすように感じられたのだ。
「覚えていてくれましたか? 学園の研究室で、夜遅くまで一緒に薬草を煮詰めたり……」
「ええ、もちろんです。殿下が配合を間違えて、部屋を真っ黒にしたことも」
「……あれは忘れてほしい」
私と殿下は思わず笑い合った。
久しぶりに、心の底から楽しいと感じられる時間だった。
「……セリシア嬢」
ふと真剣な声音になり、私は背筋を正す。
「あなたが大変な立場にあることは耳にしています。もし辛くなったら、僕のところへ逃げておいで」
冗談めかしたその声の奥に、静かな誠意を感じた。
そのとき、白鹿が私の方へと静かに歩み寄り、長い睫毛に縁どられた瞳で見つめてきた。
そこに映っていたのは、批判も疑念もなく、ただ穏やかで優しい光。
(……不思議。見つめられると、心がすっと軽くなる)
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……冗談でも、嬉しいです」
そう答えると、セオドアは安堵したように微笑んだ。
「なら、せめて息抜きに僕と文通をしませんか? 気晴らしになると思いますよ」
白鹿の角が、きらりと瞬いた。
その光に背を押されるように、私は小さく頷いた。
こうして私と第二王子との文通が始まった。