第2話 街に響く恋物語
公爵と王女殿下の結婚式は、誰もが口を揃えて「世紀の婚礼」と称えるほど華やかだった。
白亜の大聖堂に響き渡る鐘の音。
人々の祝福を受けて歩むレオニードと王女殿下の姿は、まさに絵画のようだった。
――その隅で、私はただ黙って見つめていた。
本来なら隣に立っているはずだったのは、私。
けれど現実には「愛人」という立場で、彼らの幸福を見届けるしかない。
胸の奥に冷たい痛みが広がって、息をするのもつらい。
式の後、王宮では盛大な宴が開かれた。
だが、そこに私の席はない。
正妻である王女殿下が主役の場に、私がいる理由などないのだから。
私は一人、公爵邸に戻る馬車に揺られていた。
隣では、私の黒猫の精霊――ララが、心配そうにこちらを見上げていた。
彼女の尾が揺れ、瞳が「どうしたの?」と問いかけてくる。
私は小さく首を振り、微笑んで見せた。
けれど心の奥では、涙がこぼれそうになっていた。
***
邸に戻ると、豪奢なドレスを脱ぎ捨てた。
代わりに、地味な外出着を身にまとう。
「少し……外の空気を吸いたいの」
私の言葉に、侍女のマリアが困ったように眉をひそめる。
「お嬢様、それは……」
だが彼女はすぐにため息をつき、腰に忍ばせた短剣の位置を確かめる。
「……承知しました。ただし私もご一緒します。護衛は怠りませんから」
「ありがとう、マリア」
彼女の肩に、ちょろちょろとリスの精霊が顔を出す。
マリアの相棒だ。ふさふさの尾を揺らしながら、軽やかに肩から腕を駆け下りる。
その姿に少しだけ、胸の重さが和らぐ。
「ララも来る?」
声をかけると、私の黒猫は小さく鳴き、足元に寄り添ってきた。
こうして私たちは、街へと歩みを進めた。
***
城下町は祝祭の余韻に包まれていた。
道には花びらが舞い、飾り布が風に揺れている。
人々は笑顔で行き交い、あちこちで声を弾ませていた。
「公爵様と王女殿下、本当にお似合い!」
「きっと素敵な夫婦になるに違いないわ!」
その言葉に合わせるように、ララの毛がふわりと逆立った。
私は慌てて彼女を抱き上げ、撫でる。
「大丈夫よ……気にしないで」
けれど、本当は一番気にしているのは私自身だった。
街角で、若い娘たちが集まっているのが見えた。
「ねえ、最近の恋物語、読んだ? 公爵と王女が結婚して、だんだんと両想いになるの!」
「読んだわ! あれ最高よね! 王女様と結ばれるのが一番幸せだもの!」
「最初の婚約者? あんな人、最初からいなかったようなものじゃない?」
娘たちは無邪気に笑い合う。
けれどその言葉は、私の心を鋭く切り裂いた。
(……まるで、私のことだわ)
王女エリスティア殿下は、誰もが見惚れる美貌を持つ。
金糸のような髪、澄んだ瑠璃色の瞳。
そして彼女の隣に立つレオニードは、誰もが認める完璧な公爵。
二人が並ぶ姿は、まさに絵画のようだ。
私は茶色の髪と瞳を持つ、ただの平凡な女。
鏡を思い出すたびに、惨めさが胸にこみあげる。
ララが「にゃあ」と鳴いて頬を舐めた。
マリアのリスも尾を揺らして、ちょこちょこと足元を走り回る。
精霊たちは主人の心を映す存在。慰めてくれているのだと分かる。
――けれど、それでも胸の痛みは消えなかった。
(もし、物語の通りに彼が殿下を愛するようになるのなら……)
胸に手を置き、そっとお腹を撫でる。
(この子を産んだら、私は潔く身を引こう。彼が幸せになるために)
人々の笑い声と祝福の声が満ちる街の中で、私の心だけが冷たい影に覆われていた。