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公爵の愛人に落とされても、黒猫精霊はいつもそばで守ってくれます  作者: 風谷 華


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第22話 南国の光と海

 港に降り立った瞬間、胸の奥から声がこぼれた。


 「わぁ……!」


 目の前に広がる景色は、今まで見てきたどの風景よりも鮮やかだった。

 空は濃く澄み渡り、太陽は強く、けれど肌を焦がすような厳しさはなく、心地よい温もりを注ぎ込んでくれる。

 目を奪うほど碧く輝く海に、白くきめ細かな砂浜。

 道の両脇には赤、黄、紫……色とりどりの花が咲き乱れ、甘やかな果実の香りが風に混じって漂ってきた。

 聞いたことのない鳥の声が空を舞い、子どもたちの笑い声が港に響く。


 「すごい……本当に、絵本の中に迷い込んだみたい」

 胸が高鳴り、視線はあちこちへ忙しく動く。


 隣を歩くセオドア殿下が、そんな私を見て微笑んだ。

 「君の目が輝いている。来てよかった」

 その声音にまた頬が熱くなり、私は慌てて視線を逸らす。


 ***


 昼下がり、海辺にある屋台でマンゴージュースを買った。

 鮮やかなオレンジ色の果汁が氷と混じり、陽射しにきらきらと輝いている。

 一口飲めば、濃厚な甘みと爽やかな酸味が喉を通り抜け、体の奥から元気が湧いてくるようだった。


 「おいしい……!」

 思わず声を上げると、殿下は隣でスイカジュースを飲み、軽く頷いた。

 「これも悪くない」


 殿下の持つグラスの赤色が、陽に透けて鮮やかに輝く。

 気づけば自然に、互いにグラスを差し出していた。


 「少し、飲んでみます?」

 「……ああ」


 私はスイカの甘さに驚き、殿下はマンゴーの濃厚さに目を細める。

 それだけのことなのに、唇をつけた場所が妙に意識されて、胸の鼓動が跳ねた。


 (……い、今のって、間接……!)

 殿下の表情は変わらないけれど、その耳がわずかに赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。

 ララが足元からにゃあと鳴き、白鹿が静かに首を傾げる。まるで「ふたりとも意識しすぎ」とからかっているみたいだった。


 ***


 市場を歩けば、果実を使ったお菓子や鮮やかな布地、貝殻細工の装飾品が所狭しと並んでいる。

 「これ……商会で扱えそう」

 興奮気味に呟けば、殿下は真剣に頷いた。

 「地元の職人に直接話を聞こう。新しい商品のきっかけになるはずだ」


 あちこちの屋台で人々と話し、ノートを取り、品物を手にして研究する。

 陽気な店主にドライフルーツを試食させてもらったり、子どもたちに珍しい花飾りを勧められたり――。

 その一つ一つが新しい商品へのヒントに思え、胸が高鳴った。


 その途中、ふいに大きな人の波が押し寄せ、私は体をよろけさせた。


 「……っ」

 その瞬間、強い手が私の手を握る。


 顔を上げれば、殿下が人混みを庇うようにして立っていた。

 「人が多い。離れないように」


 その手の温もりが直に伝わり、心臓が早鐘を打つ。

 「……は、はい」

 声が震えてしまい、余計に意識してしまった。


 殿下は何事もないように歩き出したが、手は最後まで離さなかった。

 私はうつむいたまま、必死に顔の熱を抑えるしかなかった。


 ***


 夕暮れ時、宿へ戻る前に海辺へ出た。

 太陽は赤く溶け、水平線へ沈んでいく。

 空も海も黄金色に染まり、波が光を散らす。

 風が涼やかに吹き、潮の香りが髪を揺らす。


 「綺麗……」

 砂浜を裸足で歩きながら、私は小さく呟いた。


 夜になると、月明かりの下で世界は一変した。

 砂浜には涼やかな風が吹き、波の音が一定のリズムで寄せては返していた。

 月明かりと無数の星々が海面に揺れ、静かな煌めきを描いている。


 「冷えるかもしれない」

 殿下はそう言って、持ってきた布を砂の上に広げてくれた。

 私はその隣に腰を下ろし、二人並んで夜空を見上げる。


 星が、こんなにも瞬いているのを見たのは初めてかもしれない。

 宝石をちりばめたような夜空に、心のざわめきがすっと溶けていく。


 言葉は交わさない。

 けれど隣に殿下がいるだけで、不思議と心が安らいだ。

 (……隣にいるのが殿下でよかった)

 胸の奥に、静かな幸福感が広がっていく。


 ララが私の膝に丸まり、小さなあくびをする。

 白鹿は海辺に立ち、星空を仰ぎながらじっと動かない。

 まるで二匹の精霊もまた、このひとときを楽しんでいるかのようだった。


 波の音、星の光、寄り添う温もり。

 ただそれだけで、今の時間が永遠に続いてほしいと願ってしまうほど心地よかった。


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