表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵の愛人に落とされても、黒猫精霊はいつもそばで守ってくれます  作者: 風谷 華


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/31

第20話 小さな優しさ

 朝の食卓に、柔らかな光が差し込んでいた。

 白いクロスの上に並んだ料理からは、まだ湯気が立ち上っている。


 私はスプーンを手に取り、そっと皿に口をつけた。少し酸味の強い果物のソースが添えられているのを見て、思わず表情が曇る。


 その瞬間、隣に座るセオドア殿下が何気なく皿を引き寄せ、私の分を自分の皿に移してしまった。


 「殿下……!」

 驚いて声を上げると、彼は涼しい顔で答える。

 「君が苦手そうにしていたから」


 耳が熱くなる。

 「……お気遣いなく」

 かすれた声でそう言うと、殿下は穏やかに笑った。


 テーブルの端では、白鹿が静かに佇み、まるで私たちを見守っているかのようだった。

 ララがテーブルに前足をかけて「にゃあ」と鳴き、茶化すように尻尾を揺らす。

 余計に頬が熱くなり、私は思わず視線を落とした。


 「……頭の傷も、もうずいぶん楽になりました」

 少しでも取り繕うように、私は話題を変えた。


 セオドア殿下は目を細めて頷く。

 「よかった……君が無理をしなくて済むのなら、それが一番だ」


 その穏やかな声が、胸に染みる。


 ***


 館の奥にある執務室は、私にとってもう一つの居場所になっていた。

 商会を立ち上げてから――気づけば一年が経っていた。


 机の上には帳簿が積まれ、整然と並んでいる。

 ここは、殿下が私のために用意してくれた館の中。限られた信頼できる人しか出入りを許されない。

 それでも、ここから商会は動いていた。


 当初は南国のフルーツを使ったジャムやドライフルーツだけだった。

 けれど今では、カフェは七店舗にまで広がり、雑貨の展開も始まっている。


 果実を染料に使った色鮮やかな布で仕立てた小物入れやバッグ。

 果実の形を模した髪飾りやリボン。

 「カフェに来た記念に」と、お土産として手に取る人が増えたのだ。


 マリアや従業員たちの協力もあり、商会は着実に成長を続けていた。


 帳簿に視線を落としながら、私は小さく息を吐く。

 (……私でも、何かを成し遂げられるんだ)

 心の奥には説明できない空虚さが残っている。けれど、それでも確かに人を笑顔にできているのだと、少しだけ胸を張ることができた。


 ***


 「すごいな」


 声に振り向くと、セオドア殿下が執務室に立っていた。

 彼は帳簿を手に取り、真剣な眼差しで数字を追っている。


 「君は本当にすごい。商会を始めて一年で、ここまでにした」


 「……でも」

 私は視線を落とす。

 「私は記憶を失った女です。失った過去を取り戻せないまま、こんなふうに笑っていていいのでしょうか……」


 殿下は帳簿を閉じ、まっすぐに私を見つめた。

 「過去がどうであれ、君は今を生きている。その姿を、僕は誇らしく思う」


 真摯な言葉に、胸が熱くなる。

 思わず頬が赤くなり、私は目を伏せた。


 ララが机の上に飛び乗り、「にゃあ」と鳴いた。

 まるで「もっと素直になれば?」とでも言うように。

 私は苦笑し、ララの頭を撫でた。


 ***


 夜。執務室。

 机の上に広げた帳簿の端で、ララが丸くなって眠っている。

 その寝顔を見ながら、私はぽつりと呟いた。


 「……ねえ、ララ。私は記憶がなくても、幸せになっていいのかしら」


 窓の外を見ると、中庭には白鹿が月明かりを浴びて静かに歩いていた。

 その姿はまるで「答えは急がなくていい」と告げているように見えた。


 胸の奥に残る空虚さを抱えたまま、私は机に突っ伏し、静かに眠りに落ちていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ