第1話 王女の花嫁衣装、私は愛人
王城の大聖堂に、荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
陽光を集めるステンドグラスが鮮やかに輝き、神聖な光が長いバージンロードを照らす。
純白のドレスに身を包み、微笑みを浮かべて進むのは――私ではない。
花嫁は、第3王女エリスティア・ルクレール殿下。
王族の末娘にして、民に「輝ける白百合」と讃えられるお方。
その隣に立ち、堂々と未来を誓うのは、若き公爵――レオニード・ヴァレンティン。
本来なら、そこにいるはずだったのは私だった。
セリシア・アーデル。由緒あるアーデル伯爵家の娘にして、幼い頃から彼の婚約者だった私が。
けれど、その未来は一瞬で奪われた。
理由は単純で、そしてあまりにも理不尽だった。
――増税を進めたい国王が、減税派の旗手であるレオニードを自らの支配下に置くため。
そのために、私との婚約を破棄させ、王女を正妻として差し出したのだ。
思い出すのは幼い日のこと。
「君が僕の婚約者だ」
まだ少年の声で告げられたその言葉は、ぎこちなくも確かな約束だった。
父から命じられて交わした婚約ではあったが、互いに拒むことはなかった。
むしろその日から私たちは、誰よりも近くにいる存在になったのだ。
レオニードは幼い頃から次期公爵として厳しい教育を受け、幾度も父から体罰を受けていた。
血をにじませながら机に向かう彼の手を、私は隣で握りしめた。
「一緒に頑張りましょう。あなたはひとりじゃない」
私がそう囁くと、彼は無言で頷き、肩に寄り添う黒熊の精霊が小さく唸った。
その夜、私の黒猫の精霊ララが彼の膝に飛び乗り、柔らかく喉を鳴らしていた光景を、私は今も忘れられない。
もちろん、真面目に勉強ばかりしていたわけではなかった。
子どもの頃の私は、レオニードをそそのかしてはしょっちゅうイタズラをしたものだ。
ある時は、庭園で居眠りしていた執事の靴にカエルを忍ばせた。
執事の悲鳴に、ふたりで顔を見合わせ、必死に笑いをこらえた。
結局すぐに見つかって、二人並んでこっぴどく叱られたのだが……。
「次は絶対に見つからない方法を考えよう」
真っ赤な顔でそう囁いたレオニードは、普段の無表情が嘘のように子供らしく笑っていた。
その瞬間、胸に宿った温かさを、私は今も鮮明に覚えている。
――私の未来には彼がいる。それを疑うことはなかった。
やがて成長した私たちは、減税を訴える同志となった。
「庶民が豊かになれば、国はもっと強くなる」
そう言う彼に、私は熱心に相槌を打ち、机いっぱいに書類を広げて夜明けまで議論を重ねた。
彼の本音を聞けるのは私だけ。
私の弱さを見せられるのも、彼だけ。
互いに戦友であり、唯一無二の信頼を寄せる存在だった。
――それなのに。
今、私はレオニードの隣にいない。
婚約者の隣ではなく、参列者の隅。
与えられた肩書きは「愛人」。
この世界の人間は皆、生まれながらに一体の守護精霊を持つ。
姿は獣や鳥など様々で、持ち主の心を映す存在だとされている。
精霊は常に傍らにあり、ときに言葉より雄弁に主の感情を代弁する。
私に寄り添うのは、気が強く感情豊かな黒猫の精霊ララ。
そのララが今、毛を逆立てて低く唸った。
私の胸の痛みを、まるで代わりに叫んでくれているかのように。
壇上のレオニードは無表情のまま、王女に手を差し伸べる。
その瞬間、ほんの一瞬だけ――彼の視線が、私の方を探した気がした。
錯覚だろうか。それとも、まだ信じていいのだろうか。
エリスティア王女は、絵画から抜け出したように美しかった。
艶やかな金の髪、瑠璃色の瞳、白百合のように透き通る肌。
立ち姿も所作も気高く、あまりに完璧で、伯爵令嬢の私など到底比べものにならないと痛感させられる。
隣に並ぶ彼女とレオニードは、誰が見ても絵になる一対の夫婦だった。
「セリシア・アーデル。お前と公爵はもう婚約者ではない。しかし、愛人となることを許そう。」
先日、王宮でそう告げられた王の声が耳にこびりついて離れない。
私は唇を噛み、涙を必死にこらえた。
――愛人?
私のお腹にはすでにレオニードとの子供がいる。
この子は愛人の子として過ごさないといけないのか?
これが全て夢で、目覚めたらレオニードが隣で婚約者としていてくれたらいいのに・・・