第16話 事故と願い
セオドア殿下に告白されてからというもの、私は殿下と顔を合わせるたびにどうしていいのかわからなくなっていた。
食堂でパンを差し出されれば、指が触れただけで胸が高鳴り、慌ててお礼を言う。
殿下もまた耳の先を赤くして「気にしなくていい」と言葉少なに返すのだから、余計に気まずい。
執務室でも同じだ。
帳簿を一緒に確認しているとき、私がページをめくろうとした瞬間に殿下の手と触れてしまい、二人とも同時に手を引っ込める。
そして気まずい沈黙。
ララが「にゃあ」と鳴いて机に飛び乗り、白鹿が窓辺からじっとこちらを見つめて、まるで「いい加減にしろ」とでも言いたげだった。
侍女のマリアはそんな私たちを横目で見て、意味ありげに笑う。
「セリシア様、顔が赤いですわ」
「き、気のせいよ……」
その一言に、私の頬だけでなく耳まで熱くなる。
――穏やかで、照れくさく、どこか心地よい日々。
けれど、その日常はあまりにも脆かった。
***
その日も、私は気分転換に中庭を散歩していた。
春の花々が咲き誇り、風が柔らかく頬を撫でる。
ララが楽しげに蝶を追いかけ、白鹿はゆったりと歩調を合わせて後をついてくる。
マリアが少し離れたところで見守ってくれていて、私はほんのひととき、平穏に包まれていた。
だが――。
「……あっ」
ほんの小さな石につまづいた瞬間、視界が揺れた。
前のめりに倒れ、足がもつれ、地面が迫ってくる。
咄嗟に手をついたが、間に合わなかった。
――頭に鋭い衝撃。
鈍い音が響き、景色が白く弾ける。
次の瞬間には、耳鳴りが全てを覆っていた。
「セリシア様っ!」
マリアの叫びが遠くで響く。
体の力が抜け、意識が暗闇に引きずり込まれていく。
***
(……冷たい……苦しい……)
(私、このまま……死ぬの……?)
胸の奥が締め付けられ、呼吸が浅くなっていく。
薄れる意識の中で、口が勝手に動いた。
「……レオニード……」
「……ユリウス……」
名前を呼ぶたび、胸が切り裂かれるように痛む。
本当はただ抱きしめたかった。声を聞かせたかった。
「お母さまはここにいるよ」と伝えたかった。
(……死ぬ前に……会いたい……)
頬を涙が伝い、地面に落ちていくのを感じた。
***
その時、力強く手を握られた。
「セリシア! しっかりするんだ!」
セオドア殿下の声が、必死に私を呼び戻そうとしていた。
「君を死なせない……! 必ず会わせてやるから……だから――」
その声は震えていて、必死で、痛いほどに真剣だった。
でも私はもう返事ができなかった。
暗闇に飲み込まれる最後の瞬間まで、心の奥で繰り返していた。
(レオニード……ユリウス……会いたい……)
そして意識は完全に途切れた。
***
それからのことは断片的にしか覚えていない。
ただ、殿下が全力で動いてくれたことだけは確かだった。
王宮に使者を走らせ、医師を呼び、アーデル伯爵夫妻や兄にまで協力を求めて――。
「レオニードとユリウスに会いたい」
それが私のうわごとだったと、きっと殿下は聞いたのだろう。
その願いを叶えるために、殿下は全てを投げ打って奔走してくれた。
そして翌日、私のためだけに特別な面会の場が設けられることになったのだった。




