第10話 すれ違う温もり
「セリシアさん、今日はユリウスを私に抱かせてくださらない?」
王女殿下は、いつものように微笑みながら両手を差し伸べてきた。
私は少し躊躇した後、ユリウスをそっと渡す。
「ええ……どうぞ」
殿下は大切そうに赤子を抱き、頬を寄せて微笑んだ。
その瑠璃色の瞳が優しく細められるたび、胸の奥がずきりと痛んだ。
ユリウスは嬉しそうに小さな手を伸ばし、殿下の金色の髪をつかもうとする。
殿下は「まぁ、元気ね」と笑い、その手をやわらかく握り返した。
(……本当の母親のように)
私は息を呑む。
(きっと、罪悪感から……私の夫を奪った負い目で、こうして優しくしているだけ)
そう思おうとしても、胸に広がるのは別の感情だった。
(でも……この人なら、ユリウスを幸せにしてくれるかもしれない)
そう考えた瞬間、心臓がぎゅうっと締め付けられた。
(近いうちに、私はこの家を出ていくべきだわ。そのときは、ユリウスを王女殿下に託して……レオニードと共に幸せに生きてもらうのが一番いい)
その決意は、胸をえぐるほど苦しかった。
***
「セリシアさん、お疲れではありませんか?」
ある日、体調を崩した私を、殿下が見舞ってくれた。
「薬は私が調合しました。ほら、ゆっくり飲んで」
銀の匙を持つ指は細く、けれど驚くほどしっかりしていて、額に当てられた布からは清らかな香りがした。
母に看病されている子供のような感覚が胸に広がり、思わず目を閉じる。
(どうしてここまで……?)
その疑問が胸を掻き立てる。
(やっぱり、後ろめたいから……? だから私にここまで尽くしてくれるの?)
私はその温もりに身を委ねながらも、心の奥では冷たい不安に囚われ続けていた。
***
ユリラ商会は繁盛し、ユリウスはすくすくと育っている。
けれど、私の胸に宿るのは幸福ではなく、深い孤独だった。
(私がここにいなくても……レオニードと殿下なら、ユリウスを立派に育てられる)
愛する人と、愛する子を手放す決意を抱きながら、私は微笑んでいた。
けれど、その笑みは誰にも気づかれないほど、弱々しいものだった。




