7 戦場での女王と龍
『男とは何か? 不思議なことを聞くな』
聞かれて嬉しそうにしている龍に、不思議に思いながらも翔華は頷く。
「そうだ。皆、詳しいことを教えてくれないのだ」
『それはそうかもな。そなたにそれを教えるのは、どうにも背徳感が強い』
「なんだそれは。……ああ、お前は絶対にダメだとも言われたな」
『なにっ!? どこのどいつだ、我が妻に変なことを吹き込むのは』
「勝手に妻にするな」
つれないそぶりの翔華に、龍はくつくつと笑いながら、風に靡く美しい黒髪に触れる。
「こら。勝手に触るんじゃない」
『良いではないか。お前と我の仲だ』
「赤の他人だな」
『男を知りたいのだろう?』
「男は必ず女の髪を触るのか? そういえば、奴も触っていたな」
『ふむ? ……その男が触れたときは、どう思った』
「どうとも」
『我が触れたときは』
「戦場で鬱陶しい」
『これは重症だな』
笑う龍をいなしながら、翔華は自らの仙剣に座し、はるか上空から戦場を見つめる。
空は快晴、心地よく風が吹く中、地上では仙や人が武器を持ち、相争っていた。
ここは隣地との国境で、今は戦の最中なのだ。
隣地である銅波は、仙の門派である塩氏の収める地で、どうにも龍夢翔家のことが気に入らないらしく、機を見てはこうして戦を仕掛けてくる。
命じる側は軽いジャレつきのつもりかもしれないが、戦であるからには多少の人死が出るので、民からするとたまったものではない。
そして毎回、龍夢翔家がいなすような形で戦いに勝利し、銅波の民が呆れて他国や龍夢に逃げ出し、怒髪天の銅波塩氏が他国に攻め入るといういつもの流れであった。
『よくそのやり方で滅びぬものだな』
「銅波塩氏は外政や戦略には疎いが、仙が強いのだ」
『それは、また……』
「故に、他国を打ち滅ぼすことも多い。品がなく傲慢なやり方をするあの地が小国に収まるは、我が龍夢翔家がその拡大を抑えているからだ」
『さぞかし恨まれていることだろうな』
「いや、そうでもないぞ」
『その心は?』
「銅波塩氏の長からは毎月求婚状が届く」
それを聞いた龍は、空飛ぶ滑車のような宝貝から足を踏み外し、地上に向かって落ちていった。
翔華が流石に驚いていると、龍は人型を解き、龍の姿に戻って翔華の元まで上昇してくる。
再び人型に戻り、滑車に足を掛けた龍に、翔華は思わず呟いた。
「空から落ちる龍が在るとは」
『そなたのせいであろうが!』
「そんなに驚くことか?」
『そなたは本当に、傾国の女よの。どれだけの男を惑わしているのやら』
「男のことを教えないくせに、訳の分からないことばかり言うな」
「――主上、右弦に助力願います」
翔華は、右耳に光る耳飾りから聞こえた声に、視線を右弦へと移しながら舌打ちする。
龍に気を取られて仕事を疎かしたせいで、臣から指摘されてしまったではないか。
仙剣に括り付けられた紫色の宝玉、宝貝・没関系に仙力を籠め、自国の兵の周りに仙剣を顕現させて、相手の兵を追い払う。
『これは戦ではないな』
「うん?」
『龍夢軍が危機に陥ると、そなたが仙剣を振り回す。一人の死も許さず、兵力は温存されている。死にゆくは相手の兵ばかりよ』
「いつものことだ」
『それでよく向こうの兵の士気が下がらぬものだ』
「銅波は租税が少ないので農民に人気だ。他の内政も非常に好評で、故に、長の道楽に兵達が付き合っている」
『絶妙な塩梅だな……塩氏だけに』
翔華が龍を軽蔑の目で見ると、龍は『今のは我が悪かった』と謝ってきた。
一体何を言い出すのだ。
「まあ、向こうの軍もほぼ死者は居ない」
『ほう?』
「別に命じているわけではないが、よほどの間抜け以外は殺さぬよう、わが軍は無意識に配慮しているらしい。銅波において、龍夢戦で死ぬは阿呆の業と言われるほどにはな」
『なるほど。自分達の命が完全に守られているという高みに居ると、そなたの軍はそのようになるのか』
「それだけではない」
『その心は』
「銅波の飯は美味い」
目を丸くした後、声を上げて笑う龍に、翔華はため息を吐く。
銅波は良い国なのだ。
故に、翔華の臣達も龍夢の兵達も、銅波を打ち滅ぼそうとは考えていない。
そして、翔華は割と頻繁に銅波に忍んで遊びに行くのだが、国のことを聞くと、いつも銅波の民は複雑そうな顔をする。
内政は素晴らしい。租税が低い割に福祉も手厚く、仙も気さくで民のことをよく気にかけてくれるという。
ただ、兵役が重い。
龍夢の地以外に対する戦は割と勝利するものの、どうしても龍夢には勝てない。
そして、その鬱憤を晴らすかのように、他の国との戦を続ける。
「うちの長も諦めりゃあいいのになぁ」
「龍夢には武龍王が居るのだから、銅波に勝ち目はねぇんだ」
「不思議なのは、龍夢は遥かに銅波より強いのに、攻め入ってはこないんだよなぁ」
「その辺りがうちの長の逆鱗に触れてるんじゃないか?」
「いや、うちの長は毎月あっちの女王に求婚してるんだから違うだろう」
「いっそ龍夢が銅波を攻め落としてくれたらいいんじゃねぇかと思うんだがな」
そう、ため息を吐く銅波の民に、お忍びでやってきていた翔華が苦笑しながら立ち去ったのは、記憶に新しい。
龍夢の民と銅波の民は、決して仲が悪くない。
龍夢が銅波を手中に収めれば、この戦も無くなり、民は豊かに暮らせるようになるのだろうとは思う。
『そのようにすればよいのではないか?』
「龍」
『なぜ、手をこまねいている? このような国、お前のものにしてしまえばいい』
「男の発想だな」
『……これはこれは』
翔華の言葉に、龍はニヤリとたくらみ顔で近づいてくる。
『男を知らぬ身で、異なことを言うではないか』
近く背後に寄り、耳元で囁く色男に、翔華は眉一つ動かさず戦場に意識を傾ける。
『我はお主を番と定めた。それは、おぬしの伴侶を定めるだけの意味にはあらず。それが分からぬ訳ではあるまい』
龍の番。
神獣の花嫁。
それは今や、大陸全土が気に掛ける大事であった。
それでなくとも大陸最強の一角を誇ると言われる女仙翔華に、龍と言う大災害級の神力を持つ神獣の目がかかるのであれば、もはや今世で彼女の意に染まぬことをできる者は居なくなってしまう。
そのように、民も仙も、ありとあらゆる者が危惧している。
(……銅波塩氏の長以外はな)
相も変わらず小競り合いをしようと攻め入ってくる塩氏の長の顔を思い出し、翔華はふと、頬を緩める。
「龍の威による大陸統一には興味がない」
揺らがない翔華に、きらりと龍の紫色の瞳が光る。
「元々、そのようなことをする気はない。覇を大陸に知らしめ、すべてを支配しようと思うは傲慢が過ぎる」
『では、そなたは何を成すつもりなのだ』
「うん?」
『自身でそれだけの武を持ち、我という剣を有しておきながら、その生涯において何を成すこともなく過ごすと?』
「過ごしやすさが欲しい」
口元だけでほほ笑んだ翔華に、龍は目を丸くする。
「頂点に君臨し、私を崇め奉る者だけが存在する世界の何が尊いのか」
『世の男が皆求めるものでは――ああ、なるほどな』
「そう。皆、そう言う。力を手にした男は、誰もなしたことのない偉業を求め、大陸を制覇して名を残したがるのだと」
『そなたは違う?』
「私はそのようなつまらぬ世界は求めぬ」
翔華の黒髪を手で梳きながら、龍は愉しそうに彼女の声に耳を傾けている。
「私は他の者が収める領地に遊びに行きたい。私の横に並びたてる者に多く居てほしい。とびぬけた力ほどつまらぬものはない」
『なるほど』
「民にとっても、一つの大国しかないというのは息苦しい話だ。たった一人の主君と方針が合わないが故に、芽を摘まれるのは良い世界とは言えぬであろう」
『……』
「とはいえ、戦が続くのは民にとっても好くない。故に、そうさな。……五つか……いや、七つぐらいがよかろう」
すらりと音をさせながら仙剣を戦場に向け、翔華は夜空の色の瞳を輝かせる。
「大陸に、そこそこの大きさの七つの勢力を作る。それぞれの均衡により、戦が減る。人の世にはこのぐらいがふさわしいであろう。そこに龍の力は要らぬ」
言い切ったところで、無数の仙剣が龍夢の兵士の前に現れた。
目にも止まらぬ速さで動くそれは、龍夢の兵と銅波の兵の距離を開き、戦場は二分され、流石に諦めたのであろう、銅波の兵が撤退していく様子が見て取れた。
銅波の地は豊かだ。
外交の不足はあれど、翔華にはそれを補う力がある。
銅波の地を龍夢に併合するならば、今よりも格段に龍夢の国は大きくなるだろう。
そうして、大陸の中にとびぬけた大国が生まれ、他の国を委縮させる。
それは、大陸統一へ進むやり方だ。
「今は銅波を落とすには早すぎるのだ」
瞬く間に戦を終わらせた、美しい女王。
赤地に金糸の刺繍が施された仙衣は、簡素な造りながら日の光に煌めき、艶やかな黒髪はサラサラと風に揺れている。
龍夢の兵から喝さいが上がり、翔華を褒め称えたので、彼女は兵達に笑顔で手を振ると、身を翻し、本陣へと戻ろうとした。
それを止めたのは、龍だ。
雲と霞で兵士達の目から彼女を隠しながら、その身を腕でかき抱く。
「何をする」
『そなたは良い女だ』
「よく言われる」
『そなたが欲しい』
耳元で響く低い声に、翔華は十秒ほど考える。
そして、こう答えることにした。
「それも、よく言われる」
ぺいっと龍を押しやると、彼女は黒髪を翻し、本陣へと降りて行った。
自分との戦を龍との逢引に使われた塩氏の長は血管がはち切れそうなご様子です。