5 ついて回る龍
『翔華。なあ、あれはなんだ』
『翔華。その果物、我もそれが食いたい』
『翔華。あの鳥は珍しいぞ。一緒に獲りに行こう』
『翔華。本を読むなら読み聞かせろ』
『翔華。つまらぬからこちらに来い』
『翔華。聞いているのか』
『翔華』
「命が惜しくないと見える」
『我が悪かった』
仙剣を抜いた翔華に、龍はぴゃっと肩をすくめると、両手を上げて降参の意を表明する。
苛立ちを隠さないまま、仙剣を鞘に戻した翔華が執務の机に着くと、龍は気を取り直したように立ち上がり、再び翔華の周りをうろついてくる。
「一体、何がしたいんだ!」
『お前と話がしたい』
「もうしているだろう」
『それでは足りぬ』
「……なあ。お前は龍なんだろう? 神獣の中の神獣、黒龍ではないのか?」
翔華が嫌そうな顔をして龍を見ると、やたらと女たらしな容貌の龍は、ハハハと破顔した。
『そうだ。我は黒龍だ』
「やることなすこと、幼子のようではないか」
『ふむ。悪口とは、自分が言われて悔しく思うことを言うものだ。そなたもそう言われたことがあるのか?』
「……」
どこかの口うるさい大司馬に言われたことを思い出し、翔華は不満げに頬を膨らませる。
『ほう。そなたはその者が好きなのだな』
「……別に、そのようなことはないが」
『憎からず思っている』
「よく分からない」
『己の心が分からぬ?』
「……だから、なんなのだ。何が聞きたい」
『そなた事が聞きたい』
ニコニコ笑っている龍の周りに仙剣を七本ほど顕現させると、龍は笑顔のまま両手を挙げた。
『つれない女子よの』
カカカと笑う龍に、翔華はよく分からない心地になって、顕現させていた仙剣をすべて収める。
意外にもすぐに牙を収めた彼女に、龍はぱちくりと目を瞬いた。
その、紫色の瞳は、不思議そうに翔華を見つめている。
『翔華』
「その呼び方をやめろ。本名を呼ぶなど、お前は私の親でも上司でもないだろう」
『敵なのかと言わないところを見るに、大分我に絆されてきたな』
「確か神獣の命は複数存在するという逸話があったな」
『剣を抜くのは止めろ、翔麗花。ところでお前の宝貝だが、名はなんというのだ』
「宝貝・没関系」
翔華の答えに、龍は目を見開いた。
そのまま、こらえられないといった様子で、声を上げて笑いだす。
『お前、言うに事欠いて没関系とはなんなのだ』
翔華の仙剣を飾る紫色の宝玉。
それが、彼女の持つ宝貝・没関系だ。
丈夫な紐で吊るしているだけの簡素なそれは、対象物を複製して自由自在に操る効果を有するものだ。
対象物は、無機物であれば特段制限がなく、仙剣や呪符だ、宝貝などの仙具を複製することも可能である。
ただし、仙具を複製するには相応の仙力を要するし、さらにそれを自由自在に操る場合は、それぞれの道具に対しても仙力を籠めなければならない。
そのため、通常の仙にとって、この宝貝・没関系はたいした存在ではないのだ。
戦いの中での使い道としては、仙具ではない石礫などを数個複製して相手に投げつける程度であろうか。その燃費の悪さから、補助的な使い方しかされないそれは、とある具術師の食器棚で使われていた。
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「なあ、具術師・銘達。私はこれが欲しい」
「嫌だ」
「なあなあ」
「翔麗花、他に色々あるだろうが。それは我が家の食器用の宝貝だ」
「でも、これが良い」
「この宝貝で皿を複製し、食事を盛り、食った後に桶の中で仙力を解くと、食器が消えて、汚れが桶に落ちる。皿洗いが要らないんだ。最高の宝貝だ」
「銘達、私はこれにする」
「これは人にやる宝貝じゃない」
「お揃いでもう一個作ればいいだろう」
「何を言うか。これはな、どれほど仙力を籠めても壊れないように、最高純度の石を使って作った習作なのだ。趣味で作ったから、費用のことを考えていない。そして、最高の具術師である俺が手掛けた。とても価値ある宝貝なのだぞ」
「ますます欲しくなったのだが」
「やめろ。これが無くなったら、俺の食事の皿はどうするんだ!」
結局、具術師・翔銘達は折れた。
翔華が宝貝・没関系を使い、仙剣やほかの仙具を大量に複製し、自由自在に操り、それどころか仙剣に飛び乗って空を飛び始めたので、自作の宝貝を実力ある仙人に使ってほしいという具術師としての本懐が、自分の傑作を用いて洗い物を省略したいという生活のための心を若干上回ったらしい。
~✿~✿~✿~
「――という訳で、これは宝貝・没関系だ」
楽しそうに思い出を語る翔華に、龍は『ふむ』と意味ありげな目線を向ける。
「どうした。満足のいく答えではなかったか?」
『その具術師、男であろう』
「それはそうだが」
『そなたは本当に、華なのだな』
「どういう意味だ?」
怪訝に思い首を傾げる翔華に、龍はふわりとほほ笑む。
左目の泣きぼくろが色香を孕んで、翔華はなんとはなしに、むずかゆさを感じる。
『お前になら、我をやっても良い』
「……龍のひげのことか? いや、ひげ以外も高値で売れると聞いたが」
『そういう意味ではない。初ことだな』
「歯に衣を着せる物言いは好かぬ。はっきり言え」
『そなたに我の子を産ませてやる』
目を点にした翔華に、龍は自慢げに胸を張る。
『どうだ、嬉しいであろう。神獣の子は神子となり、人の血だけでは成しえぬ力を手にすることができる』
「結構だ」
『そうかそうか、嬉しいか――はっ!?』
執務机の上の書類に目を戻し、黙々と裁決の印を押し始める翔華に、龍は仰天し、必死に取りすがる。
『なっ、何故だ! 龍だぞ? 我は龍だぞ?』
「私より弱いではないか」
『我が本気を出せばだな! 天変地異を起こし、こんな国ごと滅ぼしてだな』
「そうか。それはよかったな」
『聞いておらぬではないか! 我の力の疑うのか!?』
「そも、お前は祠に封じられていたではないか。私以外にも負けたことがあるのだろう」
『そなたを手に入れるためには、一度たりとも敗北は許されないと!?』
「別にそういう訳でもない」
『適当が過ぎる。……我は自ら眠りについたのだ。約束があったからな』
「約束?」
『昔の番との睦言だ。獣は番を年ごとに替えるが常よ。しかし、かの者とまたまみえると思うと、意外にも心が躍るのでな』
「……それを聞いて、私がお前の子を産みたくなるとでも?」
ハッと我に返った龍に、翔華はあきれ顔をする。
「番と幸せにな」
『……主らが無理やり起こしたから、かの番とは、おそらくあと数百年は会えぬ』
ぱちくりと夜空の色の瞳を瞬く翔華に、龍は恨みがましい目を向けてくる。
『我はお前が気に入った。今期の番をお主に定めた。故に責任を取って、その命尽きるまで、我を夫に迎えるがいい』
「……」
翔華はいかようにしてこの面倒な龍をもう一度封印するか、静かに策を練り始めた。