3 龍の祠
こうして、夏官率いる軍と仙、それに仙見習いを引き連れ、女王翔華はこの度発見されたという龍の祠のありかへと向かった。
総勢一旅に及ぶその人数は、翔華としては多すぎると思っているが、部下達は少なすぎると不満に思っているらしい。
「一旅――五百人も居れば十分だろう」
「相手は龍ですよ」
「伝説の神獣です。相手が本気で暴れ出したら、五百では太刀打ちできません」
「そんなこともあるまい」
「楽観視しないでください」
「主上がおられるのですよ」
「そうだ。私が居るのだぞ?」
夏官の一人を冷たく見やると、彼はごくりと息を呑み、口を閉ざした。
「私が居る。相手は一匹。――あと半数、減らしても良いくらいだな」
くすりと嗤う翔華に、夏官が無言で頭を下げたところで、大司馬補佐・翔天頼が割って入った。
「まあ、数は不要でいらっしゃることでしょう。しかし、面子はどうですかね」
「天頼」
「主上が居るのはいい。貴方より強い者は、この場には居やしません。しかし、肩を並べる大司馬が不在のようですが」
「才俊が居ると煩いからな。やれ御身を大事にしろだの、ここは部下に栄誉を取らせろだの、私の邪魔をしてくるんだ」
「それでわざと置いてきたのですか。この一世一代の大捕り物を前に、大司馬も可哀そうに」
「国の首都を開けるわけにはいかないからな。王である私の次に強く、王である私が信頼する者を、私の首都に残す。道理に適っているだろう」
「そういうことにしておきましょう」
くつくつと笑う翔天頼に、翔華が目を逸らしたので、その場の空気が緩まる。
この大司馬補佐は、人好きのする性格で、真っすぐに事を成す翔華や翔才俊にないものを補う重要な人材だ。
この戦場に連れてきてはいるが、当然ながら、翔華はこの男を――いや、ここに連れてきた全軍を――このような場で使い潰すつもりはない。
「お待ちしておりました、主上」
指定の大木の下で待っていたのは、夢山の山々を狩り場とする小民族の一人だ。
名を立峰と言うらしい。
仙ではないただ人で、三十代後半くらいの小男だ。
しかし、眼光は鋭く、毛皮をまとったその姿は景色になじみ、動きも気配を感じさせない。
佇まいを見るだけで、彼が良い狩人であることは見て取れる。
「うん。頼りにしているぞ」
「……ありがたき幸せ」
翔華の飾らない言葉に、狩人・立峰は言葉をかみしめるようにして俯く。
実は、龍の祠を見つけたのはこの狩人・立峰なのだ。
龍夢の地に伝わる龍のひげの伝説。
そして、龍夢の地で未踏の地といえば、広く深い夢山山脈にほかならず、その山岳地帯を根城とする狩人がそれを発見したのは道理であった。
「それにしても、貴重な発見だ。よく私に報告してくれた」
「当然のことにございます」
「そなたの功績、しかと心に止めておく」
王である翔華これを言うことで、立峰は相応の待遇を受けることができるのだ。
頭を下げる立峰に、翔華は頬を緩める。
狩猟の民は、得てして国王や仙の長に追従しない。
それは、彼らが王から得る恩恵が少ない立場にあるからだ。
支配者による庇護というのは、基本的に外敵からの護りを指すことが多く、その恩恵を受けるためには、外敵を含め、人の交流の多い場所に住む必要がある。
王の護りというものは、人が立ち入ること自体が少ない山脈地帯に生きる狩猟の民には必要のないものなのだ。
しかし、翔華は狩りが好きだった。
仙の力を使わず、知恵と工夫で獣を狩るその様にほれ込み、狩猟の民に対して、師事を願い出たのだ。
この狩人・立峰とは狩りを共にしたことはないけれども、いつでも、翔華と狩猟の民は近しい場所に在る。
「こちらでございます」
案内された場所は、自然にできた洞窟だった。
縦横無尽に広がったものではないようで、入り口から一里ほどで空間は終わっている。
しかし、最奥にある祭壇は見事で、小さな祭壇を意味する『祠』と呼ぶのはもったいないと、翔華は素直に思った。
彫刻を施された石柱に囲まれた、豪奢な祭壇。
摩耗したその様子からは、それが古くから存在したのであろうことを感じさせる。長い年月に負けることなく鈍く光る金色は、それが塗装ではなく、そもそも金で作られていることを示している。
そして、祭壇の各所に貼られた、数多の呪符。
その中でもひときわ大きなものは、祭壇の中心部に祭られた細長い角に貼られている。
「この呪符が封印の鍵と思われます」
「わかりやすくてなによりだ」
翔華は祭壇のある空間を見渡した後、一度洞窟を出て、控えている軍に指示を出す。
「奥までその距離は一里。全軍を入れることは叶わぬ」
「仙の隊をお連れになりますか」
「そうだな。夏官から仙を三隊――二十一人。それから、見習いの中から、二人見繕ってくれ」
「三隊!? 主上、さすがにそれは」
「……いや、智宸。これ以上はあの洞窟には入りきらない。互いの攻撃で怪我をするぞ」
「ならば、三隊が先陣として入り、外におびき出しましょう。主上は外でお待ちください」
「智宸それは」
「主上のお力は、相手を真正面から打ちのめすもの。洞窟から暴れる龍を外におびき出すために、別の適した仙を使うべきです」
「……」
「主上!」
大司馬補佐・翔天頼は、部下の言を聞いて、無言で翔華を見てくる。
止めないということは、翔天頼も、この夏官・翔智宸の言うことに一理あると思っているのだろう。
翔華は息を吐くと、一つ頷いた。
「……わかった。では智宸、お前の策に任せよう」
「――! 畏まりまして!」
「大司馬補佐・翔天頼を主とした策を立案しろ。未の正刻まで待つ」
こうして、本日の捕り物の主導を任せた翔華は、会議の場から離脱し、侍従や護衛の夏官を連れて木々の間を散策しながら、沢からの水の音に耳を傾ける。
(身分というのは、本当に面倒なことだ。昔であれば、単身乗り込んだものを)
翔華は王ではあるが、貴族の出ではない。
それどころか、今でこそ仙の門派の長等をやっているが、彼女自身は仙の門派の出ではなかった。
彼女は野で生まれ、山で育ち、自らの力で仙の力を手にした。
仙に成るための体内の丹の練り方も、誰かに学んだものではない。
すべてを自分の力で手にしてきた、武の女王。
だから、何かある度にこのように行動を制限されることに、いつまで経っても慣れることができない。
(私は一人の方がきっと、生きやすいのだろうな)
これを言うときっと、大保・翔凛は二時間は翔華に張り付いてくるから口にはしないが、翔華は常々、今居る自分の場所に疑問を抱いていた。
王として、成すべきことを考えていないわけではないが、ここには息苦しさもある。
そしてなにより、翔華には悩みがあった。
(私はおそらく……皆に比べて精神的に幼い)
今の翔華の見た目は十八歳前後。
その実年齢はおそらく六十歳を超えているが、しかし、人里に降りてきたのはここ三十年ほどのことであった。
彼女が体内の仙丹を練り昇仙したのは、実に八歳の頃だ。
食いぶちが足りなかったのか、彼女は物心がつかない頃に、夢山の中に捨てられた。
幼子であった翔華を育てたのは、ある生き物だ。
人類未踏の地であった奥深い山々に生きる彼女に拾われた翔華は、自らの生きる力を身に着けるため、野山を駆け巡っていた。
自然と触れ合い、木の実を集め、命を頂くことを覚え、そして彼女のようになりたいと、その存在に手を伸ばし続けた。
そして、八歳になったある日、不安定だったその力を支配下に置くことに成功したのである。
そうして、彼女と共に生きることだけに気持ちを注いでいたある日、彼女は翔才俊に出会ったのだ。
あれは確か、翔華が実年齢三十五歳の頃であっただろうか。
見た目は十二歳を超えたくらいの女児、人の言葉を介さず、しかし昇仙しており、仙力を仙具もなく自由自在に使いこなす翔華を、翔才俊は三日三晩説得して人里に連れてきた。
「そなた、名はなんという」
『アレ』
「……アレ?」
『母は、私をアレと呼ぶ』
名を聞く翔才俊に、彼女はそう答えた。
そうしたところ、彼は「華」と呟いたのだ。
「お前という存在は、人を惹きつける。大輪の華だ」
こうして、彼女はその日から、翔華に成った。仙の門派である龍夢翔家の門弟である、華。
人里に降りた彼女は、あっという間に門派の仙達を蹴散らし、一人前の仙として早々に字を賜ることとなった。
「字は何がよいかの」
銘星老師と共に翔華が悩んでいると、翔才俊は文をよこしてきた。
――字は麗花にしろ。
「なんて偉そうな奴なんだ」
「ほっほっほ。ようやく翔才俊の居丈高なことに気が付かれましたか」
面倒な奴だと思う一方で、このように構われるのは悪い気はしない。しかし、その気持ちがどういうものなのか、翔華にはよく分からない。
あれから三十年が経ったが、とても長い三十年であったように思う。
野山を駆け巡るゆったりとした日々に比べ、人の世界は忙しない。
しかし、翔華はいつだって強さだけを求め、人の世界を外から眺めていた。
王として、それは便利なことだとは思うけれども、翔華本人としては、それは弱点だと思っている。
(私は、おそらく)
恋をすると、身持ちを崩すタイプの女だ。
今のところ予兆はないとはいえ、これは王としては致命的なのではないかと思う。
体が適齢期に入り、配を見繕うよう、周りに勧められるようになった彼女は、人里に降りて三十年目にして、自らの精神的もろさをようやく自覚し始めているのだ。