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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合△【短編】初めて出来た同性の彼女が事故で記憶喪失。そして、わたしは振られたけれど……?

作者: 斎藤ニコ

●登場人物

音無おとなし あかり:主人公。普通の女子高校生。

白道はくどう 撫子なでしこ:まじめな女子高生。高嶺の花。身長が高い。

蒼姫あおき 青空そら:けだるそうな女子高生。バンドを組む。胸がでかい。 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 わたし、『音無おとなし あかり』が告白を決意したのは、高校二年の冬だった。

入学式のとき、成績優秀者として挨拶をする同年代かつ『同性』の彼女に一目ぼれをしたのが、すべての始まりだった。


     *


 無謀にも、ただの一般人であるわたしが好きになってしまった相手の名は『白道はくどう 撫子なでしこ』さん。

 女性だ。つまり同性だ。昔から、女性を好きになることなんてなかったはずなのに、なぜか、白道さんだけは別だった。


 絹のようにしっとりとした、黒く長いをなびかせて、さっそうと廊下を歩くさまは、まるで美の神のように輝いている。身長は170センチ程度なのに、もっと高く見えるのは、プロポーションが良いからだろう。

自分に厳しく、他人に厳しい彼女は、誰になびくこともない。ゆえに孤高の人だった。

だれもがその美貌につられて話しかけていたけれど、そっけなく返される言葉の先は続かず、誰もが撃沈していた。それが、なおさら彼女を輝かせた。

高嶺の花、ってこういうことか。誰もが理解した。


 だが、白道さんが『孤立した存在』であるというわけでもなかった。

 彼女は一年生のときから生徒会に携わるだけあって、『校則違反』をする生徒には、しつこいほど話しかけていた。

 中でも『蒼姫あおき 青空そら』さんには、毎日というくらい注意していた。注意されているとはいえ、話しかけられている彼女がうらやましくなるくらいだった。


 蒼姫さんは、肩の上あたりで切りそろえられた黒髪の内側を、銀色に染め上げている。スカートは短いし、チョーカーもつけていた。どうやら校外でバンドをしているらしく、たびたび、ギターのはいった黒いソフトケースを肩からかけて登校していた。

 そして、彼女は綺麗だった。白道さんとはベクトルの違う美しさをたたえていた。常にだるそうにしているし、白道さんに「校則違反ですからっ」と注意をされても、「はいはい、明日なおしてきますねー」とあしらう。なのに、そういう雑な対応が、彼女の美を際立たせていた。


 二人は大局的だった。ゆえに、注意をする側とされる側であっても、絵になった。白道さんと蒼姫が揃うと、周囲の人間は思考力を奪われた。


 一年生のときから、男子の人気は白道さんと蒼姫さんに集中していた。

 白道さんはスタイルが抜群だ、とか。

 蒼姫さんは実は胸が相当でかいんだ、とか。

 そういう話をしているのをよく聞いた。

 女子のわたしがいる近くでそんな話をしないでほしい……と思ったが、見た目も性格も頭もセンスもなにもかも『普通』のわたしなんて、彼女たちが発する光にかすんで、男子の目にはうつっていなかったのだろう。影なんて、誰も見ないのだ。


 だから、そういう話を聞くたびにわたしは思っていた。


(わたしだって、白道さん派なんだから!)って。


 もちろん、男子の話題に、女子のわたしが入れるわけもなく。

 というか、同性を好きになったなんて宣言できることもなく。

 心の中で思い続けるだけだったんだけど。


 ――でも、人生というのは不思議なものだ。


 時間が巻き戻り、過去に戻ってしまえば再現性がないような、そんな偶然と奇跡が――魔法のような出来事が、わたしにかけられた。

 

 奇跡は起こらないから奇跡なんだ。

 偶然は意図しないから偶然なんだ。

 魔法なんて存在しないから魔法なんだ。


 でも、わたしにはそのすべてが起こった。

 その結果は、それこそ、夢のようだった。

眠りに落ちるからこそ夢なのだ、と気が付かぬまま。

 

     *


 はじまりは、一年生の夏休みからだった。

 端的にいえば、白道さんは生徒会に立候補し、当選し、躍進し、しかし同時に困ることが多くなっていった……らしい。


     *


 うちの高校は、毎年、七月に生徒会選挙を行い、一年と二年から各役職を決める。

そして、夏休みの間に上級生から引継ぎを受け、九月から本格始動をするらしい。

 八月初週。その日は、図書室で本の整理を行う日だった。

わたしは、趣味の読書から、図書委員になっていたのだ。

やりたかったというより、それしかできなそうだった。委員会に入ったのも、理由は白道さんだ。生徒会副会長に立候補し、当選した彼女に近づきたくて、責任というものを背負ってみた。


その作業が終わり、校内を歩いていたときだった。

目の前の階段から、段ボールお化けがおりてきた――ちがう。それは二つ重ねの段ボールを必死に持ちながら歩く、白道さんだった! 彼女は当然、わたしに気が付いていない。


とにかく危ない。今にも転げ落ちそうだ。

そんな彼女を支えようと、とっさに手を伸ばしてしまった。

その瞬間だ。

わたしの動きに連動するように、彼女は階段を踏み外した。


いつもは冷静な白道さんの、心から焦るような声。


「あっ!?」

「あぶないっ」


 わたしは、動きそのままに、白道さんを支えた。

 彼女のプロポーションは最高で、わたしより背も数センチ高く、足も長かったが、驚くことに体重は、わたし以下のようだった。

 わたしは、思いのほかしっかりと彼女を受け止めた。

 が、段ボールはぐしゃりと落ちた。中身がこぼれる。どうやら前年度のプリントのようだ。


「ああ」と、わたしは情けない声をだしながら、紙を拾う。「い、いま拾います……」


 目の前に白道さんが居る……! しかも、さっき、触ってしまった! 支える為だったから、怒られないだろうけど、わたしは怖くて顔をあげられない。


「ありがとう……!」


 すっと、人が横に並ぶ感覚。体温が近くでゆらいでいる感じ。いい匂い……信じれないことに、白道さんがわたしの横で、わたしと同じ行動をとっていた。


「あ、あ、わたし、拾うので……! 支えられず、すみません……!」と慌てると、白道さんは、手をとめて、ポカンとわたしを見た。


 まっすぐな眉。長いまつげ。切れ長の目。誰にも曲げられない強い視線が、わたしの心をわしずかみにする。

白道さんは、ふふ、と笑った。


「助けてもらったのは、わたしでしょう? 面白い人ね」

「あ、はい……そうですよね……」


 白道さんの笑顔っていうのは、実は、めちゃくちゃレアだった。いつもキリっとしているから。それを今、わたしは、独り占めしていたのだ。


 なんという幸運だろうか!

 もう死んでもいい!

 でも、わたしの人生はまだ終わらない――どころか、信じられないことが起こった。


     *


 わたしは昔から、なんだか『タイミングが悪い』ことが多かった。

 角をまがると、カップルがキスをしているとか。

 不良が万引きをしているところを発見してしまうとか。

 お風呂上りに急激にアイスが食べたくなり、弟にも「俺にも買ってきてー」と頼まれたので、一人でコンビニにいったところ、女性がしつこくナンパされているところを見たり。


 ……というか、それは蒼姫さんだった。


 コンビニにいったら、同じ学年の生徒が男につきまとわれていたということ。具体的にいえば、駐車場にとまっている大きな車の近くで、派手な服を着た男性二人に囲まれていた。

 蒼姫さんは私服で、ギターがはいっているだろう柔らかそうなケースを肩にかけていた。

 男性と、強い口調で言い合っている気もする。無理やり車に乗せられ陽としているようにも見えた。


 わたしはコンビニの入り口でそれに気が付き、動悸があがり、店内でアイスを選んでいるときも、ふわふわとした気持ちににあり、会計で何度かバーコードの読み込みを間違えて……袋はいいですといったのに、やっぱり袋にいれてくださいと頼んで、袋代金だけ小銭で払う羽目になった。

そのとき、決意した。


 わたしは、二つあった、アイスのうち、一つを手にとって、三人に近づいた。

 そのときのわたしの心中はこうだ。『友達、わたしは、蒼姫さん……いや……ソラとめっちゃ仲が良い、同性の友達……を演じる』


 わたしはコンビニの駐車場をぐんぐんと進んだ。

 車の近くまでくると、三人は言葉をとめて、こちらを見た。


「や、っほー! ソラ! なにしてんの、奇遇だね? また、うちで、アイス食べる?」


 わたしの発言に、だれもが面食らっていた。

 手の中のアイスがどろどろに溶けていくのを感じた。それぐらい緊張しており、わたしは掲げたアイスをにぎりつぶしていたんだ。


 その後の話はよく覚えていないけど、握りつぶされたアイスを食べながら、蒼姫さんはたくさん笑ってくれた。


「あんた、お人よしだね。アイスまでくれて――でも、助かった、ありがと。あたしの命の恩人だ」


 不覚にもどきりとしてしまうような、素敵な笑顔だった。これもまた白道さんに劣らず、レアな笑顔だったけれど、やっぱり白道さんには敵わないよね、と思った。思わないと、なんだかダメになりそうだった。


 今思う。

奇跡的なことが起こったのは、蒼姫さんとの出会いからだった。

 白道さんにつながる道は、ようするに蒼姫さんが作ってくれたようなものだった。


     *


 蒼姫さんは、なぜか我が家に遊びにくるようになった。

助けたとき、握りつぶしたアイスと共に、連絡先を交換したのがはじまりだった。夏休みということもあって、入りびたりという感じで、彼女は我が家に遊びにきた。


 彼女はわたしを『アカリ』と呼んだ。わたしも求められて『ソラ』と呼ぶようになった。いや、違う。「ソラって呼んでよ」とすごまれたので、「は、はい」と頷くしかなかったのだ。


「アカリの家って、めっちゃ居心地いいわ。弟くんも素直だし、ご両親も素敵だし。ごはん、毎日たべさせてもらって、やばいよ」

「ソラが美人だから弟は従ってるだけだよ……。あとうちの親はめちゃくちゃいい加減で、おせっかいだから、逆にごめんなさい。ケーキも買ってきてもらって……」


 蒼姫さんは駅前の高層マンションに住んでいて、ギターをひくのも神経を使うらしい。だから、一軒家で、周囲とそれなりに距離が離れている我が家は最高だという。

 お金持ちの住むマンションって防音対策ばっちりだと思っていたのだけど、そうでもないらしい。


 高校ではクールで、誰も寄せ付けないイメージの蒼姫さんが、ぼろい我が家の、普通のわたしの部屋で、神々しく笑う。信じられない現実だった。


「アカリに助けてもらってよかったよ。出会いって突然だね」

「その節はすみませんでした……まさかバンドメンバーのかたと話してるだけだったとは……」


 そうなのだ。あれはナンパではなく、バンドメンバーとの話し合いだったらしい。 

 本当にわたしはタイミングが悪い。あの夜の勇気は、勘違いでしかなかったのだ。

 蒼姫さんはエレキギターというものを壁に立てかけると、わたしのベッドにダイブした。


「わたしが『抜けたい』っていったら、おどしてきたんだから、同じことだよ。あれはもう暴力間際だったし、助けてもらわなかったら、車に連れ込まれて、なにされてたかわからないよ」


 そう言って、彼女はまた笑った。「ありがとね」と。

 本当に人生ってわからないなあ、と思った。

 友達が少ないわたしだけど、突然できた友達が、蒼姫さんだとは。


     *


 夏休みが終わると、蒼姫さんとの関係も終わる――と思っていたのだけど、学校でも彼女はわたしに話しかけ続けた。


 それが周囲の目に、どれだけ奇異に映ったかなんて、想像するだけ恐ろしい。

 普通の、普通の、普通の女なのだ、わたしは。

 でも、彼女は気にしないようだった。わたしのどこを気に入ってくれたのか知らないけれど、親友というやつに認定してくれたらしい。


 わたしの人生は、そこから変わった。


 なぜって?

 鋭い人にはわかるだろう。


 蒼姫さんがわたしの傍にいるということは、自然と彼女が近づいてくるということだ。


 つまり――白道さんである。


     *


 ある日のことだ。


「蒼姫さん、スカートが短すぎます。あと、アクセサリー類は禁止です」


 そんなことを言った白道さんに見とれていると、彼女は、蒼姫さんの横のわたしに気が付いた。

 

「あら、あなた、たしか……夏休みのときの」

「あ、ははは、はい!」


 背筋をピンと伸ばして、何度もうなずく。


「あの時は、ありがとう」

「そ、そんな! わたしが助けてもらったようなものですので!」

「そんなことはないと思うけれど……やっぱりおかしな人ね、あなたって」


 白道さんの前だと、わたしのテンションはおかしくなる。

 でも、白道さんが面白そうに笑ってくれるだけで満足だった。


     *


 そういうことが、わたしにとっては奇跡だった。

 あるいは、奇跡の前準備みたいなものだった。


 毎日毎日、白道さんは、ソラを注意して、そして、わたしと話す。

 笑う。

 なんて幸せな日々だろう。


     *



 さて。

 勘がするどいソラが気付かないわけがなかった。


 何度も何度も、同じようなことを繰り返し、月日が過ぎていくにつれて、わたしの部屋でギターをひく彼女は、こんなことを言い始めた。


「ねえ、アカリって好きな人いるの?」

「え゛!?」


 なにかを悟られているのは、確かだった。

 そりゃそうだ。

 毎日毎日、ソラとわたしは一緒に居た。


彼女曰く、「アカリって、犬みたいでなんかおちつくんだよね。アイス握りしめて、わたしを助けてくれたときの、ひきつった笑顔は、今でも夢に見るよ。なんかわたしたち似てると思う」ということだった。


どこが似ているものか! 顔面偏差値、50くらい違うし! とわたしは心の中で悪態をついたけど、それは彼女なりのやさしさなのだろう。そういう不器用さが、ソラにはある。


夢にまで見てくれる彼女に、嘘をつけるわけがなかった。

 わたしは、恐る恐るたずねた。

 正直、本当の自分を見せるのは怖かったから。


「……ソラ、あのさ、こういうこと言うと嫌いになるかもだけど……」

「ならないけど。似た者同士でしょ」

「え、あ、うん……?」


 ソラの即答に違和感を覚えつつも、やはり、すべてバレていることを知った。


「わ、わたし、実はさ」

「女の子が好きってことでしょ?」

「あ、はい」

「で、その相手は、あの白道撫子なんだ」

「あ、はい、そうです」


 やっぱりバレバレだった。


「よりにもよって」とソラはつぶやく。


 そうだよね。よりにもよって、だよね。

 あんな神様みたいな人を好きになるなんて、罰が当たる。

 でも、しかたないのだ。


「でも、しかたないか」とソラが続けた。

「すごい。なんでわたしの心わかるの?」


 驚くと、ソラはふふっと笑った。


「アカリのことなんて、全部オミトオシ」


 なんだか、すこし気が楽になったのは内緒だ。ソラは『アカリがクソ男たちから、アイス握りしめてわたしを助けてくれてよかったよ。出会いって不思議だよね』なんてよく笑うけど、救われているのって、本当はわたしなのかもしれないなって思う。


     *


 そういうわけで、わたしの気持ちを知ってくれたソラは、その日から、なんだか変わった。

 わたしを応援してくれているように思えた。


 もちろん、道をつくってくれているとはいえ、そこを歩くのは、わたしなのだけど。


     *

 

 ここ数か月、わたしの人生の変化――たとえば、白道さんが、いつものように廊下でソラを見つけて注意をしたとする。


「蒼姫さん? なんど言えばわかるんですか――」

「わー、アカリたすけてー(棒読み)」


 すると、蒼姫さんは、わたしの影に隠れた。まるでお姫様みたいに。ちょっとかわいい感じで、周囲もざわつく。わたしの心は別の意味でざわつく。

近くにいるとはいえ、基本的には白道さんと向かい合うのはソラだった。でも、そのときは――そのときから、白道さんと向かい合うのはわたしになった。


 白道さんは小さく嘆息した。


「音無さんも大変ですね……でも、蒼姫さんに、きちんと注意をしてあげてくださいね。友達だからこそ、大事なことだと思いませんか?」

「は、はい! 思います! ソ――蒼姫さんのことは、わ、わたしが変えます! 守ります!」


ぷっと背後から空気が漏れるような音。「……なにその言い方。うけるよ」と、ソラの茶化すような言葉。

わ、わかってるけど、白道さんの前だといつもこうなってしまう。同じ美少女でも、ソラとは普通に話せるのに……。


「それは頼もしいですね。では、蒼姫さんのこと、よろしくね、音無さん」


白道さんも、笑ってくれた。でも、それはソラみたいなやつじゃなくて、絵画みたいに完成されきった世界の中の表情だった。


「あーあ、とろけちゃって」


 ソラの茶化すような言葉も気にならないくらい。


     *


 そういうことの積み重ねが人生を変えた? いや、違う。

 たしかにソラはわたしの道を整えてくれたけど、やっぱり、これは奇跡であって偶然であって夢のような天文学的確率を踏み続けた結果なのだ。

 人生やり直したら、二度と同じ答えは得られないだろう。


     *


 たとえば、秋の文化祭で、白道さんが大規模運営の采配に困っていた。周囲の人間は助けたくても助けられなかったらしい。

 完璧な相手への助言って、きっと、困るんだ。わたしはバカだから、白道さんに言ってしまった。


「あの、わたしでよければ、助けます。なんとなく、やりかたも変えた方がいいと思うし――あ、もちろん! 蒼姫さんも一緒に手伝いますし!」

「はあ!? なんでアタシも!?」とソラ。


 白道さんの笑顔がまぶしい。


「……! そうですか! ありがとうございます、音無さん! あと、蒼姫さん?」

「アタシのときだけなんで、疑ってるわけ……」


 そのあとソラにはきちんと謝罪しつつ、アイスもごちそうした。そしたら許してくれた。やさしい、ソラ。毎回、凍ったアイスを、わたしに握りつぶさせて溶かしてから食べる癖も、ゆるしてあげよう。


 なお、文化祭ではトラブルの連続だったけど、わたしと白道さんの二人で解決したのだ。

 綱渡りの連続だったけど、副会長としての白道さんの初めての活躍だった。それを支えることができて嬉しかった。

 ソラはどっかでさぼってたけど……でも、きっと気を使ってくれているんだ。ありがとうソラ。


     *

 

 冬休み。

 年末年始に人手が足りない中、ボランティアの人集めに困っていた白道さん。

 わたしは、毎年自宅でこたつにはいってみかんを食べるだけなので、すぐに手をあげた。


「いけます! あと蒼姫さんも一緒に!」

「はあ!? いくわけないでしょ!?」

「ありがとう! 白道さん! あと、蒼姫さん?」

「またこの展開……」


 やっぱりソラはボランティアにこなかったけど、それは仕方がない。わたしが勝手に手をあげているだけだ。

 川の近くの通学路の清掃だった。なぜ三が日にやるんだろう……? と思ったが、毎月、いろいろなところを清掃していて、一月にも例外がないだけのようだった。

 普通は一月くらい休むと思うけど、白道さんの精神には感服するばかりだ。


 ここでもわたしの『タイミングの悪さ』は発揮された。

恐ろしいことが起きた。なんと、冷たい川を、段ボールにのった猫が流れていた。どういう展開なのか、と一瞬ぽかんとしてしまったが、事実だった。


 なぜなら隣で、「ど、どうしよう!? 猫ちゃんが!」と白道さんが、慌てふためいていたから。いや、しかし、これもまた夢か? まじめな白道さんが『猫ちゃん』って言ってる……かわいい……白道さんがかわいい。


 しかし今は、猫だ。猫ちゃんだ。

 川は、ひざ下くらいまでの深さの、緩やかな流れだ。

 わたしは、『寒いだろうな』と思ったけど、正直、とんでもない思想の弟がいるので、こういったドッキリ的感情には慣れていた。


「わたし、助けてきます。白道さん、なにかあったらほかの人よんでください」

「え!? 音無さん!?」


 わたしは回答をまたずに靴を脱ぎ、しかし靴下はそのままで川に入る。

 一月の川は冷たい。けど、白道さんがいちいち驚いてくれるのが、嬉しかったのだ。

 猫のもとに容易にたどり着く。子猫はたしかに白道さんの次にかわいかった。いや、ソラもいるから、三番目か。


 ゆっくりと進む。

 すぐに段ボールにおいついた。

 ガラスとか踏んだらこわかったけれど、どうやら大丈夫みたいだ。


「ほら。陸にもどるよー」と猫の箱を持とうとしたときだ。


 つるっと、足元がすべった。


「あ――って」


 そのまま、下半身が川につかる。


「音無さん!?」と白道さんの声。

「だ、だいじょうぶです!」

「ほんとうに!?」

「よゆうです! 弟にドッキリで鍛えられてるので!」

「おと……? え? どういうこと……?」


 パンツまでびちょびちょだったけど、白道さんの精神に影響できたということだけで、わたしの体温は爆上がりだった。

 猫を川岸まで連れていくと、白道さんはホッとしたようだ。

 段ボールの中身を確認したとおもったら、すぐにわたしを抱きしめてきた。


「……!?!?!?!?!?」


脳内はパニックだった。そんな言葉では足りないほどの状況だった。


「よかった。ありがとう、音無さん……」


 とにかく、わたしの下半身はぬれていて、パンツまでびちょびちょだったけど、体温は爆上がりの二乗で、もうとにかく、最高だった。鼻血がでなくてよかった。


     *


 自室。


「そのくせ、風邪ひいてんだから、アホだよねえ、アカリって」

「うう……なにもいえないよ……」


 ベッドのそばでニヤニヤと嬉しそうに言うソラに、わたしは何も言い返せない。

 その通りだ。

 わたしは、猫を助けた後、心配する白道さんの言葉を、頑なに否定し続けて、相手を安心させた。その結果、翌日から高熱が出たというわけだ。


 ソラは、とっても嬉しそうに何度もうなずくと、にっこりと笑った。


「アカリにはわたしがついてるから、安心しなよ。最後まで面倒みてあげるから」

「最後って……縁起わるいよ……」

「あはは。ゆかい、ゆかい」


 何か言ってやりたかったけど、なぜか嬉しそうなソラの前に言葉はでなかった。

 それに、正直なところ、高熱が出たってよかった。

 あのときの白道さんの柔らかさ、香り、温かさ……全身で感じることができた、あの幸せに比べたら、安いモノなんだから。


     *


 わたしの人生が変わったのは、とにかくいろいろなことがあったから――というのは、散々言ってきたけれど、決定的だったのは、この一件だろう。


 猫を救ったあと、二人で里親を探したりして、わたしと白道さんはとても自然に話し合うことが増えてきた。

 図書委員でしかないわたしの意見を、副会長である白道さんは真剣に聞いてくれた。


 それは様々なイベントを体験した、二年の五月のことだった。

 ゴールデンウィークでも、懲りずに、わたしは白道さんのボランティア活動を手伝っていた。

 その帰り道、二人で歩いているときに、白道さんは、うるんだ瞳で、こんなことを言った。


「……音無さん。あの、わたし、音無さんに話を聞いてもらえると、色々とはかどることに気が付いたのだけど――よければ、次期生徒会に立候補してくれない? 書記なんかは、音無さんに合っていると思うのだけど。わたしも、あなたを推薦しようと思うの、それで――」

「やります」

「たしかに悩むとは思うけど――え?」

「絶対にやります」

「え? 悩まないの?」

「わたし、白道さんが推薦してくれるなら、地獄でも行きます」

「い、いえ、地獄はいいんだけれど……音無さん、目が座ってるわよ……?」

「決意です。絶対に、生徒会選挙に勝って、書記になります!」

「ええ……! そうだとわたしも嬉しい」


 白道さんは、そういって手を合わせると、微笑む。

 当然、彼女は生徒会長に立候補するのだ。当たり前のことだ。だって彼女は白道撫子なのだから。


 ――結論だけを言えば、白道さんは当たり前のように生徒会長に当選したし、わたしは、なんとかほかの候補に数十票差で勝利し、書記になることができた。


     *


 長くなったけれど、もうすぐ、話は変わる。

 運命の日はきた。


     *


 二年生のクリスマスだった。

 わたしは、白道さんと、二回目の文化祭を乗り越えたり、雑務をこなしたり、生徒会に注力しすぎて学力が下がったわたしの勉強まで見てもらった。

さまざまなイベントをこなしたあとの報酬として、クリスマスだというのに、わたしと白道さんは生徒会室で実務にあたっていた。

二人きりの時間。わたしにとっては、これ以上ない、クリスマスプレゼント。


 でも、今日はそれだけじゃ終わらない。終われない。わたしには、決めていたことがある。

 告白、だ。

わたしは、白道さんに告白する。

来季は、生徒会に立候補できない。対象ではない。

また、白道さんの頭の良さに、わたしがついていけるわけもなく、大学だって別れるだろう。

 だから、ここで告白をしなければ、ここまでのすべてが無駄になってしまう。

 そういう決意が胸にやどって、いつまでも消えなかった。


 生徒会室での作業が終わり、わたしたちは、少しだけ話をすることになった。こういう時間が、たびたびあり、今日に限っては、「缶コーヒーでも買ってきます!」とあえて時間を作ったのだけど。

ちなみに、何か月経とうとも、わたしは白道さんにため口をきけなかった。


 急いで買ってきた缶コーヒーを手渡しながら、わたしは、どう伝えようかと考えていた。

 白道さんは言った。


「ごめんなさいね、クリスマスに作業なんて……」

「いえいえ、恋人もいませんし」


 ちなみにうちの高校は、不純異性交遊禁止とまでは言わない。意外と緩いところもあるので、白道さんが一番厳しいかもしれない。


「そうなの?」


 白道さんは小首をかしげた。黒髪が屋根からおちる粉雪のようにサラサラと流れる。


「ええ、そうです。白道さんほどの美貌は持ち合わせいないですから」


 言ったあとに、『やばい、軽口すぎたか』と思ったが、白道さんは口元に手を当てて笑ってくれた。


「なに言ってるの、音無さんだって、とってもかわいらしいでしょ?」

「え? 冗談、ですよね……?」

「本当にそう思うけど」


 わたしが、かわいい? それはまあ、どう考えてもお世辞だろう。

 でも、今日のわたしはテンションがおかしかった。


「あの、じゃあ……付き合えますか? わたしと」

「え? 付き合う……? どこへ……?」

「どこへ、というか、恋人関係になれますか……というか、付き合ってください、好きです、というか……なんというか……一目ぼれなんです……というか……」


『というか』がわたしの最大の武器であり、よりどころだった。

 生徒会がシンと静かになる。

さきほどまで感じていた熱が、さあと室内から逃げていくのを感じた。

今日は夜半にかけて、ホワイトクリスマスになるらしい。

缶コーヒーを見つめて、白道さんの言葉を待った。


終わったか。明日から灰色の人生だ、と諦めたところで、白道さんは言った。


「あ、あの、少し考えさせてもらえる……?」


 白道さんの顔をまじまじと見てしまった。

 彼女の顔は、名前に反して、真っ赤っかだった。

 なんというか、それだけで、もう半分以上は満足してしまったというか――でも、人生ってのは限界を知らないらしい。


 数日後、白道さんからこう言われた。


「わ、わたし、これまで恋人がいたことないの……女性相手っていうのは、考えたことがなかったんだけど――でも、わたし、音無さんと付き合ってみる。音無さんなら……いいと思ったの」


 もじもじとしながら、そんなことを言う白道さんが――今日からわたしの彼女であり、白道さんの彼女がわたしになった。


     *


 わたしたちの二人の関係は、秘密だった。

 でも、ソラには伝えないといけないと思った。

 それは、白道さんに対する唯一の『内緒』だった


     *


 ソラはあいかわらず、わたしの部屋を根城にして、ギターをひいていた。

 最近では、弟どころか、両親とも、本当の家族みたいに仲良くなっていた。驚くべきことに、わたしが生徒会で遅くなることが多くなってくると、弟を伝手にして、わたしの部屋に入り、親にすすめられて夕飯まで食べていた。


 実の娘より先に、ご飯を与える親って……とも思ったけれど、その反面、ソラの居場所が我が家にあることは、良いことだと思った。

 どうもソラの家――蒼姫家は、結構なお金持ちらしいのだけれど、小さいころから両親は家におらず、基本的には、お手伝いさんの用意したご飯を一人で食べた記憶しかないらしい。


 そんな、家族公認のソラだからこそ、今回の『結果』も喜んでくれると思った。そもそもソラも協力してくれていた気がするし。


 でも、ソラの第一声は「へー、あっそ」だった。

 わたしと白道さんが付き合うという『奇跡』を目の当たりにして、その次の言葉は「ふーん、そっか」だった。


「驚かないの?」とわたしが尋ねると、ソラは、わたしのベッドのうえで寝そべりながら、音楽情報雑誌を読みつつ、けだるそうに言った。


「べつにー? アカリなら、白道クソ女もオチルとおもってただけ。当たると思って投げたボールが当たったんだから、ふつうでしょ」

「クソ女って……」


 人の彼女になんて言いぶり……。

 まあでも、お互い美人と美少女、似ているところはあるものの、基本的には水と油みたいな存在だ。

 色々と思うところもあるのかもしれない。


 ああ、そっか。

 わたしはひらめいた。

 浮かれていたわたしの気持ちは、少し前の自分では想像もできない、いじわるな言葉が口を生み出した。


 ベッドに近づいて言う。

 

「わかったー。ソラ、さびしいんでしょー?」


 ただの軽口のつもりだった。

 けれど、ソラは雑誌をぱたんと閉じると、ベッドに仰向けになって、脇にたつわたしを見上げた。

 そして、言う。

 ぽつりと呟くような言葉なのに、とっても硬い石を投げつけるみたいに。


「うん。さびしい」

「え……?」


 わたしは動転した。こんな反応だと思わなかった。いつもみたいに「はあ? バカくさ」とか「調子乗るなよ、アカリー」とか、とにかく強者の言葉が返ってくると思ったのだ。


「だ、大丈夫だって。わたしが白道さんと仲良くなっても、我が家族の総意でソラが一番だから!」

「……」


 ソラはしゃべらない。

 わたしは、身振り手振りをまじえて話す。


「と、というか! ソラが我が家の主役じゃん! 弟なんて、ソラのことばっか話してるし、なんかギター買い始めたし! 影響うけまくり!」

「……」


 ソラはどこか冷たい目で、こちらを見るばかり。


「っ!? あ、の! お父さんもお母さんも、ソラは実は家庭的だ! 結婚式に出たい! とか意味わからないこと言い始めたし! おもしろいくらい、ソラはうちに――」

「――っぷ」


 ソラの顔がとつぜん、ゆがんだ。出来上がった粘土の像を、床に落としてしまったみたいに、突然変形した。笑おうとするのと、我慢しきれなくなったように。

 それでも可愛いけど。

 

 くくく、とソラは笑う。我慢できなそうに、口に手の甲をあてて、我慢する。涙目になりながら、それでも――我慢できなくて、いっきに決壊した。


「あははっ! アカリうけるっ。焦りすぎでしょ!」

「ああ! だまされた! ひどい!」


 わたしは、ガガーンと頭をかかえる。

 ソラは起き上がると、ベッドに腰をかけた。


「ごめん、ごめん。だって、アカリが天にも昇りそうなほどに調子のってるからさ、アタシが少しは思い知らせてやらないと」

「……はい」


 たしかに、わたしは調子に乗っていたと思う。

 だって、そうだろう。

 あんなに憧れの――というか、校内で一番人気であろう生徒会長と付き合うことなったんだ。


 でも、それも仕方がないことがある……。

 いいたくたって、ソラにしか言えないし……。


 突然だまったわたしを見て、ソラはわかったような口ぶりで言った。


「わかってるって。その嬉しさ、誰かに伝えたかったんでしょ? ――どうせ、あの女、『このことは二人だけの内緒にしよう』とか言ったに違いないし」

「あ、うん……でも当然だし」


 その通りだった。

 白道さんから『OK』の回答をもらった時、そういうことを言われた。

『生徒会内で、こういう関係があると知れたら、色々と問題があると思うの。だから、卒業するまでは、内緒にしたい』と。


 何度思い返しても、当たり前の提案だろうと思った。生徒会長と書記が付き合っている。それも同性。問題になる可能性は大いにある。

 それより『卒業するまでは内緒』っていう言葉の方が、衝撃的だった。そんなに長く付き合えるなんて……。


 ソラは、今一度ベッドに寝転んだ。スカートが捲れあがって、中が見えそうだったので、そっと直してあげた。ソラはそういうとき、甘える猫みたいに、偉そうにじっとしている。


「アカリはバカだなあ……あんな女の言いなりになって。好き放題されちゃうよ」

「好き放題……?」


 わたしの頭の中がピンク色になった。

 

ソラの視線に気が付く。つめたい視線だ。


「はっ!?」

「はぁ……まあいいけどね。一応、言っておくよ。おめでと、一目ぼれの成就なんて、なかなかないよ。すごい奇跡だね」


 後日、ソラの言葉を思い出すことになる。


 すごい奇跡だね――そう。これは奇跡だった。

 だから、消えるのも一瞬だったんだ。


     *


 それからの白道さんは、なんというか……すごかった……。


 元々、甘えることを知らないような、凛とした女子高生・生徒会長であったわけだけど、それはあくまで外側に向けてのスタイルだった。

 外で気を張っている分、内側ではとろっとろにとろけたいタイプだったらしい。


 生徒会長の仕事を、書記であるわたしが手伝う。普通はいびつに見えるけれど、それは昔からやってきたことだったので疑われず、大変、都合がよかった。

 いつも二人でいられる。そんなとき、彼女はとろとろに溶けた。


「はあ……疲れた……」

「大丈夫ですか、会長」

「二人の時は、違う呼び方でしょ」

「ナコちゃん……」


 ナコちゃん――小さい頃は家族から『ナコちゃん』と呼ばれていたらしい。わたしもそれを求められた――は、ペンを置くと、「ふう」と息をついた。


「うん、疲れた……アカリ、いい子いい子して……」

「わかりました」


 わたしの敬語はなおらなかったけど、そこは矯正しないことにした。ふとしたときに、雰囲気の変わる言葉が出てしまうと、二人の関係を疑われてしまうこともあるだろうから。


 わたしは、ナコちゃんの背後に立つと、いい子いい子をする。天使の輪が見える黒髪に、自分の手を重ねることに、最初こそ躊躇したけれど、繰り返しているうちに、むしろご褒美タイムとなった。


 それはナコちゃんにとっても同じらしい。


「あー、うー」と美人のくちから、おじさんが温泉にはいったときみたいな声がする。

「その声、癖になりますね」

「……不覚!」

「そんな、武士みたいな言い方しなくても……」

「うう……アカリがどんどんいじわるになるわね……」

「そんなことないですって」


 そういう気持ちのいい滑稽さが、ナコちゃんにはあった。

 

「……じゃあ、証明して?」

「……さっきもしましたけど」

「もういっかい」


 ナコちゃんはそういって、椅子に座ったまま、顔をあげる。

 わたしは周囲をサッと見回しつつ、その顔に自分のそれを近づけた――。


 なんて柔らかい唇なんだろう。この感覚を何回、記憶したことだろう。

 思い出せないほどに、繰り返した。

 そういう感情しか浮かばないほどに、白道さんとの日常は身にしみこんでいった。


 ――突然、奪われることを知らぬまま。


     *


 日常は、当たり前じゃない。

 そんな当たり前のことを、わたしは当たり前のように忘れていた。

 幸せが過ぎると、慣れていく――失うことの恐怖を忘れた罰を与えるように、


     *


 年があげて、三月、春休み。

 その日は、桜の開花を控えた時期にしては、ずいぶんと寒かったことをよく覚えている。

 わたしたちは、外で会うことを極力避けていたけれど、三年に上がる前の記念ということで、映画鑑賞へ行くことになったのだ。


 待ち合わせは、目立たぬ場所で――小さな公園のベンチに座っていると、冷たい風が通り抜けた。

 時計を見る。待ち合わせ時間を過ぎている。


「おそいなあ……」


映画が始まってしまうわけではないけど、しっかりもののナコちゃんにしては、連絡のない遅刻はだいぶ珍しい。


 遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた。

 なんだかイヤな予感がしたけれど、わたしはその先を考えなかった。

 だってそうでしょ?

 自分に関係のない事件なんて、スマホの向こう側の話なんだ。


 でも、違った。

 それは、わたしのための警告音だった。


 ――ナコちゃんは、子供を助けようとして、車にひかれた。



【救急病院カルテより抜粋】

 患者ID××××××

 患者名、白道撫子。

 交通事故により、救急搬送。

(中略)

覚醒後、軽度の脳挫傷のためか、記憶を喪失している模様。



     *


記憶にはいくつかの種類があるという。

無意識な記憶。

 体に染み込んでいる記憶。

 意図して覚えた記憶。


 その中でもエピソード記憶というものは、出来事の内容の記憶である。人生のイベントや、それに付随する感情なども含めた記憶ということだった。


 記憶とは積み重ねてきた時間そのものなのだ。

 それが消えるということは、どういうことか。

 わたしは病室で、ナコちゃんに――いや、白道撫子に会うまで理解していなかった。


 面会時間ギリギリの夕方だった。

 春を前にしても、夕刻の日の入りは早い。


 事故後、ナコちゃんの目が覚めたということを、わたしは別の生徒会のメンバーから聞いた。まるで他人のように迂遠な情報源だった。


 大きな救急病院に向かう決心がついたのは、事故から五日後だった。

 すぐに行くべきだったのに、わたしは怖かった。

 だって……「記憶が消えているみたいなの」なんて、情報を得てしまったから。

 嘘だと思ったけれど、連絡がないことが、すべてを物語っているように思えた。


 人目を盗むみたいに病院へ向かい、受付で名前を書く。

わたしは白道撫子さんのいる病室を見つけると、引き戸を音もなく開けて、体をすべりこませた。ノックなんていらないぐらいの、それぐらいの仲なのだ、わたしたちは。


 部屋には電気がついていなかった。

 ベッドの上には、誰かが上半身を起こし、座っていた。いや、誰かではない。それはナコちゃんだ。なのに、かつての雰囲気が感じられない。


 わたしが病室に入ると、彼女は、こちらを見た。

 その視線の冷たさに、わたしは言葉を失う。でも、がんばった。


「あの……ナ、白道撫子さん、ですよね。わたし……、アカリです」

「……!?」


 びくりと体が動いたのを見た。

 まるで、不審者が現れたように。


 白道さんの手から、なにかが落ちた。

 スマートフォンだった。

 画面には誰かがうつっている――わたしだ。そしてナコちゃん。

 二人が顔をくっつけて、自撮りをしている写真だ。


 幸せそうなナコちゃんの表情は、今の彼女とは似ても似つかなかった。


「あなた……一体だれなの……?」


 残酷なほど純粋な疑問。

 白道撫子の視線は、間違いなく、わたしに向いていた。


     *


 自室。


「ううう……ううえええええ……」


 涙が止まらない。でもその理由を誰にも教えることはできない。

 なぜなら、二人が付き合っていたことは、絶対に秘密だったから。


 彼女の――白道さんのエピソード記憶は『入学当時』にまで戻っていた。つまり、わたしとの思い出は、すべて忘れてしまったということらしい。

 最初は嘘だと思った。信じた。でも、白道さんの冷たい視線が、すべてを物語っていた。


 だから、この悲しみは一人で受け止めなければならないのだ――でも、それは思い上がりだった。


「……よしよし、げんきがなくても、だいじょーぶ」


 茶化すみたいに適当な言葉で、わたしの頭をなでてくれるのは、ソラだ。


 ベッドのうえで、めそめそと泣き続けるわたしに、ソラは言葉をかけ続けてくれる。

 途中からは一緒のベッドにはいって、わたしの頭を抱きしめた。

 やわらかくて、あたたかい。いい匂いがする。ナコちゃんとはちがう、彼女の存在感。


「アカリはなにもわるくない。悲しませるアイツはムカつくけど、事故だから、責めることはできない――だから、みんな傷ついてる……」


 独り言みたいなセリフが、遠くから聞こえる。

 わたしは眠りについた。


 みんなって、誰だろう……。


     *


 それからのことは、あまりよく覚えていない。

 最後にナコちゃんと話したのは、退院一日前のことだった。

 生徒会役員ということで、会わせてもらったとき、話をした。


 驚いたことに、ナコちゃんはこう言った。


「昨日、蒼姫さんが来たわ」

「え?」


 どうも、入学当時から、白道さんは、正義感からソラに注意をしていたらしい。だから記憶に残っていたのだ。わたしはそこにいない。

 

「蒼姫さんには色々と説明されたけど……あの、申し訳ないけど、わたしたち付き合っていたって本当……?」

「あ、あの」


 詐欺師を見るみたいな目だ。そこに、わたしを尊重してくれていた色は見えない。

 わたしがまごつく姿にいらついたように、白道さんは小さく首をふった。


「スマホの写真を見た……たしかに、蒼姫さんの言っていることは、正しいみたい……でもね」


 白道さんは、ソラに注意をするみたいに、言い放った。


「――付き合っていたと言われても、記憶にないし……なにより、同性と? わたしには、受け入れられない……」

「あ……」


 がらがらと地面が崩れていくように、わたしの足から力が抜ける。震える。どう帰ったかわからないほどに放心する。


 これで、わたしの魔法は終わった。

 奇跡は、もう起こらない。

 二度と。


「わ、わかりました……」


 なにがわかったのか。

 そんなこともわからないまま、わたしは相手の要求を受け入れた。


 つまり――今から、わたしと白道撫子は他人ってことだ。


     *


 わたしたちは、何事もなかったように、三年生へ進級した。

 白道さんの記憶はいつまでも戻らなかった。彼女は、あっけなく皆に「記憶喪失であること」を公表した。

 皆は、心配したが、彼女の能力の高さと人気があれば、問題はないだろう。


 それによるダメージを受けるのは、一人だけ。


 孤独、という言葉の意味を知った。

 わたしは、いつしか、すべてを捨てようとしていた。生徒会の仕事を放棄し、周囲からの反感を得た。白道さんは、少なからず何かを感じたのか、わたしのことを適切に処理してくれたらしい。

 中途の放棄はできないけれど、生徒会に参加しなくてもよくなった。夏休み明けにはすべてがおわる。それまでのことだ。


 生きるためにごはんを食べる

 進学をするために勉強をする。

 笑おうとするが、笑えない。

 クラスでは浮き、学校では陰口をたたかれ、たった一人からの視線ももらえない。


 でも、隣には、なぜかいつも、ソラがいた。


「アカリもようやく、アタシと同じ景色が見れるようになったか。ようこそ不良の世界へ」


 ソラはそう言って笑う。

 最初はイライラした。人の不幸も知らないで、と。


 でも、時間が経てばたつほど、その軽口がありがたくなった。


 夏休み。

 毎日、我が家に遊びにくるソラは、もはや家族だった。いなければならない存在だった。


 その日は、ソラが、とんでもない大きさのカニを持ってきた。それも三杯も。

 我が家は空前のカニ祭りとなる。「こんな高い食材、いいの?」と聞くと、ソラは笑う。「一人で食べれないのに、アタシに押し付けてきた親が悪い」と。


 カニは最高においしく、すべてのストレスが一時消えた。お父さんがよっぱらって、お母さんが笑いつかれて、弟はソラのセクシーな服装にドギマギしていた。そういえば今日のソラの恰好は、やけに露出が多い。


 その夜。お風呂に入る前、ベッドに寝転ぶソラに尋ねた。


「ねえ、ソラ。なんでいつも、わたしなんかの傍にいてくれるの?」


 わたしにはもう、なにもない。

 ああ、部屋があるか。

 ソラは居場所のために、わたしの傍にいるのかな――ネガティブな思考は、最近のスタンダードだった。


 ソラはそんなわたしの思考を読み取ったみたいに、怒る。


「あのさ、そういう考えやめなよ。アタシは、好きで傍に居るんだから」

「好き?」

「え?」

「あたしのこと、好きってこと?」


 単純に、日本語としての質問をしただけだった。『好き』は、なににかかっているのか、一瞬、理解できなかったからだ。

 

 しかし、わたしのオウム返しに、必要以上に、ソラは揺らいだ。

 口を開かないわたしに、言う。


「あ、いや、アカリのことを好きっていうのは、なんていうか――」


 ソラは観念したように白状した。


「――そう。アタシは、アカリが好きなんだ……アタシ、女の子が好きで、アカリが好き」

「え!?」


 今度はわたしが驚く番だった。

 先ほどの通り、そういう意味で聞いたわけではなかったから。

 ソラの答えでようやく、自分の質問の間違いに気が付いた。


「え、ってなに……いや、ってこと?」


 ソラが唇をとがらせた。

 それがなんだかとってもかわいらしく見えて――いつものソラではない気がして、わたしは首をふる。


「ううん、嬉しいよ。わたしもソラのこと……」


 そのセリフを言ったら、わたしは全てを捨てることになる。それが一瞬で理解できた。

 でも同時に、もう捨てなければならないのだということも、一瞬で理解できた。


 わたしは、白道さんを忘れなければならないのだ。

 ナコちゃんのあの、やわらかさも、やさしさも、かおりも、すべて。


 だから、言った。


「……ソラのこと、わたしも、大好き」

「アカリ……」


 ソラは、ベッドから、わたしのほうへ近づく。

 見つめ合う。

 言葉はないけど、お互いに考えていることは、共有できていた。


 このまま黙っていたら、何が起こるか、わたしにはわかった。

不思議だ。ソラは、キスをするまえの白道さんの顔にそっくりだった。


さようなら、とわたしは無言で別れをつげた。


 わたしは、目をつむり、すべてを受け入れる。


 ソラはわたしの唇に近づき――すべての記憶を上書きするように、舌を入れてきた。


     *


 夏休み明けから、わたしの学校生活は、いよいよ路線変更することとなった。


 なにせ、不良の「蒼姫 青空」と付き合っている女――なのである。

 生徒会から離れ、クラスで浮き、そしてわたしは、ソラと一緒に目をつけられるようになった。


 白道さんは、いつしか、ソラに注意をしなくなった。

 そこには常にわたしがいるから、やめたのだろう。

 出会いとは真逆の反応と結果。でもそれでいい。

 もう、わたしは、ソラのやわらかさと、やさしさと、匂いを受け入れた……。


 授業をサボる。

 わたしたちは、屋上につながる階段に腰掛ける。


「ねえ、アカリ……キスしようよ」

「ええ、また……?」

「いいじゃん……」


 良く知っていると思っていたソラだけど、付き合うことになってからは、さらに別の顔が見えた。

ずいぶんと甘えるタイプだった。

それは二人きりのときだけだけど。

ベッドの上でも、ソラはこちらに身をゆだねることの方が多かった。

白道さんと真逆だと思っていたけど、そういうところが一緒なのが、おかしかった。……おかしいと思えるくらいには、わたしは復活していた。


 ソラには感謝しかない。

 彼女が居たから、わたしはここまで元に戻れたのだ。


     *


 ねえ、ひとつ、確認をしていいかな。

 奇跡って、起こらないから、奇跡なんだよね?

 でも、起きてしまったら、それはただの現実なんじゃないかな。

 

 現実なら、何が起こってもおかしくないよね。

 だから、こうなってしまったってことだよね。


     *


 冬が来る。

 もうすぐクリスマスだった。


 寒さを誤魔化すように、わたしとソラは、定位置となった屋上へと続く階段に腰掛けて、キスをしていた。


「ん……」


 どちらからともなく、唇を話した。

 わたしたちは、同じ大学に進学をしようと決めていた。

 どうなるかわからないけれど、どうなっても幸せな未来が待っていると思っている。


「ねえ、そろそろ帰ろうよ……?」とソラが甘えた声を出す。

「まさか、今日もするの……」


 ソラの欲はすごい……。

 まあでも、それだけ求められてるだけ、幸せだと思おう。


 じゃあ、いこうか――わたしは先に立ち上がる。

 それから、ソラが立ち、「もう一回」といって、キスを求めてきた。


「あ」と声が聞こえたのは、なぜだろうか。


 なぜ、わたしは気が付かなかったのだろうか。

 

 階段の曲がり角に、彼女が――白道さんが立っていた。

 なぜこんなところに? そんな疑問の前に、体が動いていた。


 キスを、見られた。

 付き合っていることは公言した高校生活だったけど、キスを見られたことなんてなかった。

 そんな秘密の場所に――なぜ白道さんが?


 わたしと――意外なことに、ソラも、自然と距離をとった。


 階段のアンバランスな場所で、不可解なことが起きている。

 なんだか、不安になる。

 誰が話すのか――白道さんが口を開いた。


「あ、あの、ごめんなさい……わたし、なぜか、気になって……いえ、ごめんなさい」


 白道さんは――いや、なぜだろう。

 わたしは今、彼女がナコちゃんに見えた。


 わたしとソラはそろって階段をおりた。なにかいやな予感がしたのだろう。わたしたちの心はもう、つながっているのだ。


 なにを感じているのはわからないけど、白道さんは、必要以上に怯えた。


「こないで!」と叫ぶ。


 あきらかに過剰な反応だ。

 それがやけに不安にさせてくる。

 白道さんは、それから、後ろ歩きに……およそ階段をおりるようにはみえない歩調で、背後に足を出す。


 当然――足を踏み外す。


「あっ」


 心はつながっているわたしとソラだけど、行動だけは違ったようだ。

 もしくは、相手に対する重い想い――。


「あぶないっ!」


 わたしは、ソラの手をふりはらい、白道さんを助けようと手を伸ばす。


「っ!」と白道さんはわたしを抱こうとする。

「おちちゃうっ」とわたしは、白道さんをひっぱり抱きしめる。


 でも、重力には勝てない。


 わたしたちは、階段の上からごろごろと落ちる。


 痛いというより、驚きが強い。

 衝撃だけを感じる。


 回転が止まったあと、ようやく鈍い痛みがきた。骨は折れていない……? 何とか大丈夫そうだ。でも腕が痛い。


「アカリっ!?」


 声がする。ソラの声。焦っている。


「だいじょうぶ、ですか」とわたしはいつしか腕の中にいた白道さんの顔を見る。


 彼女は目を見開いている。

 その視線は――わたしだけを見ていた。


「アカリ……!」


 その声は、ソラのものではなかった。


 目の前の白道さん――ナコちゃんから発されていた。


「……え?」


 わたしは、信じられずに、離れようとする。

 顔をあげる。

 階段の中腹に立ち尽くしたソラが見える。


 わたしは「ソラ」と呼ぼうとして――なにかに唇をふさがれた。


 視界いっぱいにうつるのは、欲しくて欲しくて、でも諦めることになった、彼女の姿――白道撫子の顔。


「アカリっ! わ、わたし、なんだか、怖くて――」


 白道さんはもう一度、キスをする。


 混乱しているようだ。


 でも、この場にいる誰もが、そうだろう。


 何が起こったの?


 パニックだ――いや、嘘をついたらいけない。本当は気が付いている。


 きっと、ソラも気が付いた。


 だから、階段の上で立ち止まって、私たち二人を外から見ているのだ。


 わたしは、ソラの姿を横に感じながら――白道さんの香りを感じた。


「アカリ……愛してる……」


 そうつぶやいたのは、どちらの声か――わたしは、声のしたほうを見て、唇を開き……。




―FIN―


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