間違って連載形式の設定になってるけど、単発です。
最近では、もうどうでも良くなってきてはいたが、若い頃はそれなりに頭を悩ませた「保守とリベラルはなぜ分かり合えないのか?」という問題。
それが近年の研究では、その主たる原因が「遺伝子」にあるというレポートが、続々と各研究機関から上がってきているというのだから、唖然とした。
保守やリベラルといわれる思考が「本当に思考を重ねた結果」得たものではなく、初めから遺伝子のレールに乗って、誘導されたものであるのだとすれば、これはもう「議論し合う意味」自体が、終局へと向かう。
人間は、とかく生理的なものに、その思考を支配されやすい生き物である。
そこそこ理性的な人間でも、歯痛がひどくなれば、その判断が歪み出す程度には「極めて生理的な思考力」しか、持ち合わせてはいない。
もし、その程度のメカニズムが、生得的に持っている気質にまで影響を受けてしまうというのであれば、それはもう抗えない思考(という名の反射)パターンへと、変容を遂げても、何らおかしくない話となる。
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かつて、団塊の世代と呼ばれたひとたちが、楽しんでいたという学生闘争。
「当時、左寄りの活動や言論を行っていた連中が、年を取ってけっこう保守に鞍替えした」と批評していた人たちが、これまでにもけっこうな数いたと思うが、私の感覚では「大半は鞍替えなどではなく、もともと保守的な気質のひとたちが、一時的に暴発していただけに過ぎない」と捉えている。
というのも、保守的な思考からくる「変化へと突き進む体制に対するアンチテーゼ」としての態度が、勝手に「反体制」とレッテルを貼られていただけであって、当時の日本をぶち壊しにしようとしていたのが、体制側であったというだけの話なのではないのか、という説である ―― いつもどおり話が脱線した。
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保守の反対が、リベラル(=自由主義)という表現も、あまり適当とは言えない。
リベラルというラベルには、単なる「進取の気風」だけでなく、好き勝手にしたいだけの時流に乗った「隠れ保守」のお調子者どもが、いっしょにカテゴライズされているケースが多々見受けられるからだ。
「保守的思考」の反対は「進取の気質」。
まず、ここに話を落とし込めないと、正確には「遺伝的要因」の話も出来ない。
さて一説には、この保守と進取の気質の遺伝的発現率は、保守7強に対し、進取が3弱。「中間層のブレ」を考えると進取の気質の遺伝型のひとは、実際にはもうすこし少ないのかもしれない。
保守的な思考に陥りやすいひとは、いわゆる「ノイズ」に弱い人間とされ、自分たちの周辺環境に「変化」をもたらすものに対し、「遺伝子レベルでの忌避」「拒絶反応」を示す傾向にあるという。
ノイズのノイズたる所以は「無知」と「無理解」から来るものが大半ではあるが、「自分に馴染んだ視点」以外からの進取の感性は、初めから持ち合わせてはいないので、そのノイズが根治されるケースは、ほぼ稀である。
逆に、進取の気質のひとたちは、言説をころころと変える。
その都度、都度で「新しい考え」をインストールしてしまうのが性癖なので、そこに「一貫性」が生まれることはほぼありえない。
共産党のような原理主義的な一貫性は「本来、保守の気質なんじゃね」と個人的には考えている。原理主義とは、変化の拒絶を意味する保守的な態度に他ならないのだから(また脱線)。
保守を右と置く場合、どうしても左にリベラルを置きたがる人々。
だが、リベラルという括りには、非常に多くの「混ぜ物」が含まれている。
政党を鞍替えしていくうちに、いつのまにか、自民や維新に流れ着くような議員などは、最初から混ぜ物以外の何者でもないのだから(またまた脱線)。
「左翼はころころと意見を変える」なんてことを、したり顔でいうひとがいる。
そりゃそうだろう。常に時代に応じ、先に変化し続けるから左翼であり、進取の気風をこじらせ過ぎるから、左翼と呼ばれる存在にもなる。変化しない左翼なんてものは、本来、左翼と呼ぶに値しない(脱線しすぎて最早OB)。
―― そんなこんなをいろいろと考えて、これまで生きてきたわけだが、遺伝子が原因と言われれば、なんかいろいろなものが腹に落ちた。
この保守と進取の遺伝子の出目の割合も、その時代、時代に応じた……いや、その「時代を現した割合」となっているのだろう。それが「社会」というものである。進取が多すぎると社会は混乱するし、保守が増えすぎると魔女狩りが始まる。
現代は、いわゆる「過重ストレス社会」であるため、ストレスというノイズに敗北すると、本来「中間層である人間たち」も保守的な生き物へと変容し始める。
人は老いると、自然と保守的思考が、頭にもたげだすものだが、それは何も思考そのものが変化したというではなく、過度のストレスによる遺伝子の変質によって「ストレスに対する抵抗力」が落ちてしまっている、という合図に他ならない。
だが、その変質も放置すれば、当然、それが「基本形」となってしまうので、かつてはそこそこ愉快であった人物が、今やキッチリ「老害化」なんてことになってしまうのも、まさにこのストレスが原因であったりもする。
こころの筋肉は、常に柔らかく保っておく必要がある。
季節的には、今また世界中で「魔女狩りのターン」へと突入し始めている。
そんな時に必要な処方箋は、対話などではなく、「遺伝子の改造」これなんじゃないかな、と考えているのが、最近のエンゲブラ氏であったりもする(トキソプラズマ感染なんかも試してみれば面白いのに)。
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かつて、何を言っているかのか分からない蛮族のことを「バルバロイ(=バーバリーの語源)」と呼び、蔑んでいたそうだが、何を言っているのか分からないのは「お互いさま」であって、両者が両者にとってのバルバロイである、ということに気づかない滑稽さこそが、まさにノイズに弱い者同士の茶番劇だな、とかなんとか。
はい、いつもどおり上手く締められませんでしたー。
予定破綻。予定破綻。
書いていて思ったが「革命」なんてのも、本来は「保守派の爆発」。
こちらの方が、本質的には多いんじゃないかな、とも。