不可思議な最前線
「こっちです。」
奥の部屋に案内され、通りに面した窓から外を見る。
「あ、ホントだ。」
「近いな。」
格子のはまった窓の向こうに、ついさっき見た王立図書館があった。
俺の予想通り、乗せられた自動車は近辺をぐるぐる回っただけらしい。
自転車を停めて、取り押さえられたあの場所さえここから見えた。
「…君たちの想像した通り、ここは現場にほど近い対策拠点だ。」
俺たちの顔をじっと見つめながら、リマスさんがそう告げる。
「ちなみに、警察の本部はここから離れた場所にある。」
「どうしてですか?」
「大きな騒ぎには出来ない、という事情があるからだ。」
表情は険しいものの、リマスさんは意外とすんなり答えてくれた。
それ以上の説明はない。でも大体、事情は察する事が出来た。
もう今さら隠すような事でもない。トーリヌスさんは元・王族だ。
いくら離脱したと言っても、そんな人が拉致されたなどという状況は
絶対に公表するわけにはいかない。すれば本当に大騒ぎになるだろう。
だから王立図書館の周りは、こんな不自然な平穏が保たれているんだ。
あまり詳しい事情は分からないが、犯人たちとしても大ごとになるのは
避けたいところなんだろう。奇妙な利害の一致が、この不条理な状況を
作り出しているらしい。
図書館自体は臨時閉館という体裁を取っているものの、あんまり長くは
ごまかせないだろう。
「それで、これからどういう行動を取るべきなんでしょうか?」
遠慮がちに質問したのは、ノダさんだった。
「この場に呼ばれた以上、あたしも協力は惜しまないつもりですが。」
「ありがとうございます。」
答えるシュリオさんの声はしかし、どこか固かった。
「ですが、今はまだ待機です。」
「待機?」
「うかつには動けない。」
やや厳しい声でそう言い添えつつ、リマスさんが窓の方に目を向ける。
「救出任務を与えられている騎士は我々二人だけ。そしてその優先度も
そこまで高くはない。」
「優先度…?」
俺とノダさんの声が被った。
何だ、その不穏な単語は。
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「そもそも、何でトーリヌスさんは図書館で拉致されたんですか?」
悪くなりそうな空気を変えるべく、俺は割とストレートに質問した。
もうここまで来たら、秘密だ何だと出し惜しみするのは利口じゃない。
そう思ったからこそ、疑問があれば図々しく訊いていこうと。
「たまたまとは思えませんけど。」
「ええ、その通りです。」
そう答えたのはノダさんだった。
「来年の春ごろ、図書館の大規模な改築が予定されているんです。で、
今日はトーリヌス様が最初の下見をするという話になっていました。」
「ああ、なるほど…。」
そう言えば、トーリヌスさんの持つ天恵は「建築」だったっけ。
王家ご用達の仕事も請け負っていると言ってたから、これもそういった
依頼のひとつだったのだろうか。
「ところで、トーリヌス様と一緒にいた同僚たちはどうなりました?」
ようやく思い至ったのか、ノダさんが今さらそんな質問を口にする。
それに対し、シュリオさんは電話に視線を向けて答えた。
「先ほど連絡がありました。全員…と言っても3人ですが、解放されて
すでに保護されているそうです。」
「え?」
思わず俺もネミルも声を上げる。
解放されたって、それはかなり意外と言うか何と言うか…
「つまり、現時点で拉致されているのはトーリヌス様だけと?」
「どうやら、そのようですね。」
「……………」
ノダさんが黙り込む。
その表情はさっきまでより厳しい。気持ちはよく分かった。
人質の大半が解放されているという状況は、単体なら好ましいだろう。
しかし逆に言えば、拉致した連中はトーリヌスさんの価値というものを
正確に知っているという事になる。それは決していい事とは言えない。
「要求って来てないんですか?」
「今のところは、身代金だけだ。」
かなり際どいネミルの質問に対し、意外とあっさりリマスさんが答えて
肩をすくめた。
「…しかし、どうやら匂わせているらしいな。その要求はあくまでも
建前で、実は別の目的を持っているという事を。」
「それはまた…」
「面倒臭い」という言葉は辛うじて呑み込む。さすがに不謹慎だろう。
しかし実際のところ、腹の探り合いと言えそうな交渉が行われている。
トーリヌスさんが女王陛下の三男と知っての事なら、確かに身代金など
カモフラージュに過ぎないと考えて不思議はないだろう。
だけど、そうすると疑問が湧く。
今ここにいる騎士二人は、どういう立ち位置なんだろうか?
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「確かに疑問に思いますよね。」
率直に訊いた俺に、シュリオさんは苦笑いを浮かべて答えた。
「交渉するでも突入するでもなく、こんな所に待機してるんだから。」
「ええ…まあ…それはそうです。」
そこまでは言ってないけど、本人が口にするなら聞いてもいいだろう。
トーリヌスさんが拉致された理由が政治的なものなら、とにかく交渉が
最重要だ。現場の状況含め、普通の事件などとは扱いが変わってくる。
そんな中で、ここの三人はいったい何のために待機してるんだ。
「女王陛下は、ある程度まで覚悟をされています。」
「えっ」
「覚悟って、つまり…」
「交渉が折り合わず、トーリヌス氏が殺されてしまう事への覚悟です。
こればかりはどうしようもない。」
「……………ッ!!」
ノダさんが両の拳を握り締めた。
その気持ちは、痛いほど分かった。
「だからこそ我々は、部外者としてここに派遣されたという事だよ。」
どこか自虐的な口調でリマスさんがそう告げる。
「隠す事でもないが、私たち二人は騎士隊の中でも新参だ。」
「……………」
「そして実戦担当でもある。立場は高くないし重要な交渉などにはまず
参加できない。しかし少なくとも、複数の相手を制圧する事にかけては
隊内でも屈指の天恵を持っている。つまりはそういう事なんだよ。」
「なるほど。」
何だか、納得できてしまった。
よく考えてみれば、シュリオさんは間違いなく騎士になって日が浅い。
もし二人が同僚なら、リマスさんの方も似たような境遇なんだろう。
加えて言うなら、ノダさんもさほど立場が上というわけじゃない。
…しかし、そうすると新たな疑問が生じる。
「失礼ですが、新参であるお二人が何故ここに派遣されたんですか?」
「遠慮がないな君は。」
「自覚はあります。」
渋面のリマスさんに、怯まず言葉を返す。
この疑問は、単なる好奇心から口にしている訳じゃない。と言うか、
ものすごく重要な事だと思ってる。
ハッキリ言って、この場には大きな違和感がある。
事実上、ここは今回の事件の最前線と言っていい。そんな重要拠点に、
どうしてこんな半端な面子が揃っているのか。電話こそあるものの、
彼らは監視すらなく野放しである。焦って先走り、取り返しのつかない
結果を出す可能性もあるだろう。
息子可愛さに、女王陛下が暴走してしまったのか。
単に彼らの上層部がアホなのか。
それとも
その逆なのか。
答え次第で、俺たちのやるべき事も大きく変わってくるだろう。
だからこそ、俺は答えを求める。