戻れない領域へ
ニロアナさんが身の内に秘める天恵「読心」は、その名称が示す通りの
「心を読む」能力だ。ただしこれは相手の記憶や思考などを、根こそぎ
読む事が可能という意味ではない。あくまでもその瞬間、対象の人物が
考えている事を感知できるだけだ。だから前後の脈絡が分からないと、
読んでも意味がなかったりする。
ネミルがこの力を一時的に模倣し、ノダさんの心を読んで得た情報。
それもまたごく短い。当のノダさんからして、あの時伝えられた情報は
きわめて単純なものだったからだ。単純なだけに、ほぼ全てを読んだ。
トーリヌスさんは現在、王立図書館に囚われているらしい。
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俺たちはどうするべきか。
「行こう。」
「ああ。」
迷う間もなく、俺はネミルの言葉に頷いた。そこに悔いなどなかった。
どうすべきかという選択は、もはや「行くか行かないか」ではない。
何をすれば力になれるかだ、
とにかく、現地へ行くしかない。
何が出来るかなんて、今ここで頭を悩ませても分かるわけがない。
いつも通りの出たとこ勝負だ。
意を決して、俺は調理場から出た。そしてまっすぐニロアナさんの許へ
向かう。一人の女性と話をしていたのが、終わるところだった。
「ニロアナさん。」
「ん?あ、はいはい。さっきの人はお帰りになったの?」
「はい。急用ができたらしくて。」
「そうなんだ。じゃあ」
「すみません。俺たち二人は今日、これで退出させて下さい。」
「…え?」
俺の口調の強さに、ニロアナさんは怪訝そうな表情を浮かべる。
「まだかなり時間残ってるよ?」
「分かってます。」
「…何か大切な用事でもできた?」
「そうです。」
目をそらさずそう答え、俺は深々と頭を下げた。
「勝手を言って本当にすみません。けど、行かなきゃいけないんです。
俺とネミルにとって…」
「あなたたちにとって、何。」
「行かなかったら、一生後悔する事なんです。」
大げさじゃない。
口にした事で、それを確信できた。
行かなきゃ、絶対に後悔する。
そう、絶対に。
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「分かった、行ってきな。」
ニロアナさんの答えに、怒りの響きはなかった。
顔を上げた俺ににっこりと笑うと、俺の隣のネミルの方に向き直る。
「あなたも承知の上よね。」
「はい。」
「ならいいよ。だけど、くれぐれも無茶な事はしちゃだめだからね?」
見透かしたようなその言葉に、俺とネミルはしゃんと背筋を伸ばした。
「はい。」
「あたしにも、あなたたちに依頼をした責任がある。いいわね?」
「承知しています。」
「信じたからね、その言葉。」
そう言って、ニロアナさんは俺たち二人の肩を同時に叩いた。
「用が済んだらすぐ戻って。んで、明日はきっちりとお仕事してよ?」
「分かりました!」
声を揃えて応え、俺たちは迷いなく踵を返した。
もう、振り返ったりはしなかった。
ありがとう、ニロアナさん。
出来るだけ早く戻りますんで!
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最低限の片づけだけを済ませた俺とネミルは、ギャラリーを後にした。
王立図書館なら知ってる。ここからそんなに遠くもない。そんな場所で
拉致事件が起こるとは、何とも物騒極まりない話だ。
とは言え、今はそんな話をしている場合じゃない。
「行こう。」
「うん!」
さいわい、ギャラリーのすぐ向かいにレンタサイクルの店があった。
首都だけに、旅行者なんかが観光の足としてよく利用するんだろうな。
今回は二人乗りではなく、1台ずつ借りる事にした。
目指すは王立図書館。
事件の真っ只中だ。
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現地までは、10分強で到着した。
予想に反し、警察による厳戒態勢が構築されている様子などはない。
ただ、真っ昼間なのに閉館している事だけは遠目にも分る。おそらく、
緘口令が敷かれているんだろうな。
と言っても、既にノダさんのような立場の人間は事態を周知している。
事件の発生がいつだったにしても、犯人との交渉は始まってるだろう。
「さて、と。」
自転車を降りた俺とネミルは、少し考えを整理する事にした。
トーリヌスさんが囚われているのは目の前の建物。王立図書館だ。
まさに目と鼻の先にあり、外見上はそれほど物々しい状況でもない。
とは言え、詳細は何も分からない。
「ノダさんはどこだろ。」
「警察と一緒にいるのかと思ってたけど、そうとも限らないな。」
「そもそも警察、この件で本格的に動いてると思う?」
「どうだろうなあ。」
何とも言えない。
トーリヌスさんは、離脱していると言っても元ロイヤルファミリーだ。
もしもの事が起こった場合、国内に大きな衝撃が走る事になるだろう。
問題は、今の時点で警察が、そして何より犯人側がトーリヌスさんの
「価値」を正しく把握しているのかという点だ。把握しているのなら、
話は一気にきな臭くなってくる。
もちろん俺たちにとって、あの人の出自なんか限りなくどうでもいい。
世話になったのはあくまでも建築の専門家、そして実業家としてだ。
だけど、そう思わない人間も数多くいるだろう。それもまた現実だ。
「どっちにしても、まだこの状況はそうそう動かないだろうな。」
「だろうね。」
勢い込んで参上したものの、俺たち二人はしがない一般人でしかない。
どんな些細な事でもいいから、今の状況に関する正確な情報が欲しい。
何が出来るかを、それで決める。
「ネミル。」
「うん?」
「どんな形であれ、俺たちは事件にもうかなり踏み込んでる。」
「…だよね、やっぱり。」
そもそもここにいる事自体、天恵を借りたイレギュラーな結果だ。
もしここからの選択を間違えれば、二度と帰れなくなる事もあり得る。
「それでもいいな?」
「もちろん。」
ネミルの即答に、迷いはなかった。
よし。
なら俺も、しっかり腹を括ろう。
「じゃあ、トーリヌスさんの現状をどうにかして把握し」
ダン!
ダァン!!
最後まで言う事は出来なかった。
俺とネミルはその瞬間、抵抗すらもできずに組み敷かれていた。