絵に興味のない客
ずっと前から分かっちゃいたけど、もはや認めるしかない。
俺とネミルには、いわゆる芸術面のセンスというものが無いって事を。
銀帝賞を獲得した絵のタイトルは、ずばり「朝日」だった。
…どこがどう朝日?
さっぱり分からなかった。もちろんネミルも首をかしげていた。
個展という事で、全部で31枚もの絵が展示されている。その様子は
確かに壮観だ。正直、未だにこれがニロアナさんの事だ…という実感が
まるで湧いてこない。気さくな人という印象が強いからなんだろう。
ってか、こんなに作品あったのか。知らないもんだなあ、人の事情は。
どの絵を見ても、コメントに困る。話を振られると、なおさら困る。
曲がりなりにもスタッフという立場である以上、それはかなりマズい。
というわけで、とにかく調理担当に徹する事にした。カウンターの外に
出る事なく、ひたすら注文を聞いて対応する。守りを固める作戦だ。
あと一歩で女王陛下に拝謁できたという、恐るべき知人の個展である。
変な恥だけは残したくなかった。
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というわけで、ちょっとだけ豪華なホテルに泊まって迎えた翌、初日。
予想はしてたけど、何とも盛況だ。開場と同時に、あらゆる世代の人が
わんさとやって来た。ニロアナさんもさすがに持て余し気味だ。でも、
そっちに俺たち二人の出番はない。ただひたすら注文に対応するだけ。
とは言え、忙しい時の店に比べりゃこの程度は何て事ない。やっぱり、
絵を見るのがメインだからだろう。いちいち運んで行かなくていいから
ネミルも俺の補佐に集中できる。
何と言うか、思った以上にいい経験だなこれ。手探りではあったけど、
また次もやってみたいとも思える。もちろんもっと厳しい条件の時も
あるだろうけど、その時はその時と割り切る。
何でも挑戦してみるもんだな。
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てなわけで、あっという間に四日目と相成った。仕事にもホテル泊にも
慣れ、昨夜はちょっと愉しむ余裕も生まれていた。…何ヤッてんだか。
面白い事に、忙しい日とそうでない日が代わる代わる訪れる。想像では
だんだん減っていくものだと思ってたけど、そうでもないらしい。
で、今日はちょっと全体的に暇だ。絵を見に来る人はそこそこ多いけど
飲食をせずに帰る人の割合が高い。四日目になると、傾向みたいなのが
それなりに見えてくるもんだ。
「まあ、明日は賑わうだろうな。」
「だろうね。ちょっとあれこれ買い足しといたいいかも知れない。」
「ああ。閉めたらすぐに行こう。」
何だろう。
生意気にそんな事を言い合っている自分たちが、どことなく誇らしい。
たった五日間とは言え、紛れもなくここはオラクレールの出張所だ。
少なくとも、ニロアナさんや自分の店を貶めるような事はしていない。
それが無性に嬉しかった。
さあ、んじゃもうひと頑張り…
おっと、また誰か来たな。
ずいぶん急いで…
ん?
あの人って…
「ああっ、いた!!」
「あっ。」
「あ。」
絵の展示スペースには目もくれず、一直線にこっちに歩いてくる女性。
一瞬、誰か判らなかった。だけど、その姿勢の良さと声で思い出した。
「やっぱりあのスコーン作ったの、あなたたちだったんですね!」
「ええ。その…」
「そうなんです。」
怪訝そうなニロアナさんの視線を、視界の隅で感じつつ。
早足で歩み寄ってきたその女性に、俺とネミルは笑顔で挨拶した。
「お久し振りです、ノダさん。」
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ノダ・ジークエンスさん。
今の俺たちにとっては、恩人の一人と言ってもいい人物だ。
ずいぶん久し振りだけど、どうして突然ここに現れたのだろうか。
でもまあ、その事情はおよそ察しがついた。
開催の前日からそうだったけれど、お土産の注文が当たり前のように
ちょくちょく入ってきていた。別に断る理由もないし、出来る範囲で
対応してきたのだ。二日目からは、それを見越した仕込みもしていた。
もちろんスコーンも作っていた。
どうやら、それを持って帰った人の中に、彼女の同僚がいたらしい。
で、食べた瞬間に俺とネミルの存在を嗅ぎ取ったんだとか。いやはや、
とんでもない偶然があったもんだ。世間ってのは意外と狭いなあ。
「で、こんなところで何を?」
「こんなところって。」
ニロアナさんの視線が痛い。
もうちょい遠慮してくれノダさん。俺たちにも立場があるんだよ。
「出張ですよ。」
「出張?」
「そう。」
言いながら、笑いそうになった。
一人だけだけど、こうして知り合いが来てくれたって事が嬉しかった。
個展にはまったく無関係だ。でも、俺たちに会いに来てくれたんだ。
理屈じゃなく、ただ嬉しかった。