オラクレール出張所
あれこれ、ピンと来てなかったのは事実だ。それは否定しない。
勢いのまま引き受けたけど、首都のど真ん中で仕事なんて話、そもそも
イメージできるわけがない。まさに出たとこ勝負というやつだ。
そして正直、ちょっとナメてた感もある。いくら国主催のコンクールと
言っても、そこまで大掛かりな特典はあり得ないだろうと。
甘かった。
銀帝賞は、俺たちみたいな田舎者が想像できる代物じゃなかった。
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「ひいっ」
「ほ、本当にここか?」
聞いていた住所は、まさに中心部のど真ん中だった。駅からもすぐだ。
…って言うか、デカい。建物自体があまりにデカい。ここの1階にある
テナントが会場…という話だけど、見た感じ1階全部がテナントだ。
広い。
嘘だろと言いたくなるくらい広い。俺たちの店、何個入るだろうか。
会期は明日からだ。最終調整か何かやっているらしく、中は騒がしい。
いやこれ、入っていいのだろうか?
大荷物を抱えたまま、俺とネミルはしばし立ちすくんでいた。
と、その数分後。
「ああっ、来てたの!?」
憶えのある声が天の救いに思えた。俺たちに気付いたニロアナさんが、
小走りで入口から出てくる。
「声かけてよ!」
「いやその…何か…気後れて。」
「まあそっか、そうだよね。実際、あたしもビックリしてるし。」
そう言いつつ笑い、ニロアナさんは俺とネミルの肩を抱く。
「大丈夫大丈夫。いつも通りの仕事してくれればオッケーだからさ!」
「…了解です!」
「はぁい!」
ようやく実感が湧いてきた。それと同時に、やる気も出てきた。
そうだ。どこであろうと、俺たちの仕事は揺るがない。最善を尽くす、
それ以外には何もない。
気を取り直して頑張ろう。
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それにしても広い厨房だ。
今回は個展がメインだけど、きっと飲食メインのパーティーが開かれる
機会も多いんだろう。この会場でのパーティーなら、客は三桁規模だ。
そう考えれば、この厨房の広さにもあっさり納得できる。…とは言え、
明らかに俺の実家のレストランより広い。色々と迷子になりそうだ。
「…まあ、全部使えって話じゃないからね。必要なスペースだけ使えば
それでいいじゃん。」
「そうだな。」
結局のところ、飲み物とかお菓子を用意するだけだ。客が多かろうと、
喫茶店じゃないんだからそれなりに捌けるだろう。心配するだけ損だ。
ってなわけで、準備にかかる。持参した主な食材を用意し、食器などは
ここのものを使う。ストックされている食材は自由に使っていいという
話だった。まあ調味料とかだけど、それでもかなりの大助かりだ。
とにかく広いので、準備もきわめて楽だった。あっという間にいつもの
仕事環境を再現し、ひと息つく。
「準備できた?」
「バッチリです。」
「んじゃあ、ホテルに行っててよ。場所聞いたよね?明日に備えて…」
「いえ、ホテル行ってもする事ないと思うんで、いっそもう今日から
仕事します。」
即答する俺の言葉に、隣のネミルもうんうんと納得顔で頷いた。
「準備してる方々にお茶淹れます。ニロアナさんから伝えて下さい。」
「…いいのね?」
「むしろ、明日からぶっつけ本番でやる方が不安なんで。」
「分かった。じゃあお願いね!」
望むところだ。
俺たちとしても、やる事がある方がずっと落ち着ける。
さあ、ドンと来い。
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ほとんどの人に「ずいぶん若いな」と驚かれたけど、今さらって話だ。
まだ半年とは言え、自分たちの店を持って毎日仕事してるんだよ。
こんな贅沢な厨房が使えるのなら、何だって作ってみせるとも。
準備に来ていたのはおよそ20人。個展のスタッフとしては多いけど、
その程度の人数の注文ならば余裕でこなせる。俺たちを甘く見るなよ。
どうやら皆さん、それなりに空腹を抱えて作業をしていたらしい。
まあ無理もない。もう午後の3時を回ってるし、見た感じではけっこう
力仕事もしている。腹も減るよな。
最初こそ様子見のコーヒーや紅茶の注文ばっかりだったけど、そのうち
パンケーキだのサンドイッチだのといった注文が増えてきた。もちろん
準備に抜かりはない。すぐ近くには大きな食料品店もある。明日からの
食材はまた調達できる。なら今日はとにかくウォーミングアップだ。
個展準備もほぼ終わったんだろう。まだ早いけど、ここで夕食を済ませ
そのまま帰ろうという人までいる。思ってた以上に忙しくなったけど、
それはそれでいい。俺たちにとって明日からの自信にもつながるから。
「お土産作ってもらっていい?」
とうとうそんな事を言い出す人まで現れた。職場に持って帰るらしい。
もうこうなりゃ、何だって作るよ。材料費関連はニロアナさん持ちだ。
これで少しでも客が増えるのなら、俺たちとしても嬉しい限りだ。
何よりも。
田舎者である俺たちの出すものを、美味い美味いと食べてくれている。
こういう機会は滅多に来ないから、ハッキリ言ってクセになる。
「さすがはトランとネミル。」
ニロアナさんのドヤ顔も心地良い。
とりあえず、初日は上々だった。