意外なお客
「天恵」なるものが、初めて世界で認められたのは1800年前。
それ以前から存在そのものは確かに周知されていたものの、あくまでも
特殊なものという認識だった。
恵暦元年。つまりちょうど今年から1800年前、最古の天恵の記録が
遺され、世界のあちこちで神託師が誕生した。今年はある意味、大きな
メモリアルイヤーでもあった。
それ以前の数千年に渡り、世界には魔獣や魔族、さらには魔術といった
人智を超えた存在が跋扈していた。古過ぎて、魔術と天恵の区分は今も
曖昧な定義のままだ。その当時は、とにかく戦うための力として天恵が
求められた。古の魔術や凶暴な魔に対抗するため、天恵は聖なる力とも
称されていたらしい。
ネミルが爺ちゃんの跡を継ぐ際に、そういった歴史に関する古い文献は
どうにか読破した。俺もネミルも、そっち方面にはかなり詳しくなった。
だからこそ、今のこの時代における天恵がどれほど時代遅れな存在かは
理解している。科学技術が発展した現代、それは伝承の中にあるべきと
言えるのかも知れない。
たまに宣告を受けた人たちも、その無意味さに苦笑いを浮かべる。
トリシーさんがまさにそうだろう。
だけど、今の状況は笑えない。
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俺たちの店にニセモノが来てから、すでに二日が経過している。
しかし今の状況から察するに、まだ致命的な冤罪などは起きていない。
もし起きた後なら、トリシーさんは呑気にお店など開けていられない。
しかし、それも時間の問題なのかも知れない。楽観は絶対に禁物だ。
一刻も早くニセモノを探し出して、何が起きているかを究明しないと。
「…君らの話を信じるとして、俺はどうしたらいいと思う?」
腕組みをしながら、トリシーさんが厳しい顔で問うた。
「やっぱり探しに行くべきか?」
「いえ、それはかえって混乱を招くかも知れません。」
頭の中の考えを整理しながら、俺は一言一言ゆっくりと答える。
「今この場にいるあなたが本物で、俺たちもその事を把握できている。
下手に出て行かれた場合、どっちが何をしたかが分からなくなります。
結果がどうであれ、トリシーさんはここで待っていて下さい。俺たちは
必ず報告に戻りますから。」
「うぅん、まあそうなるか。でも、君たちだけでどうするんだ?」
「ええっと…」
それを言われると答えに詰まる。
俺たちはそれなりに特殊な存在ではあるけど、ほとんど一般人同然だ。
車の免許すら持っていない。それで人探しなどと、現実味に欠ける。
かと言って、他の人に気安く頼める話でもない。
それと、もうひとつ問題があった。
トリシーさんがこのお店に留まるとして、その事を誰が証明するかだ。
もし何かが起こった場合、この人の潔白を証言できる人が必要だろう。
別にそのくらいなら俺やネミルでも十分だけど、俺たちがニセモノを
探しに行かないと、根本的な解決は望めない。そしてこれは間違っても
ポーニーには頼めない。彼女では、社会的な信用が乏し過ぎるからだ。
どうにも動きようのない状況。
誰か俺たちに力を貸してくれよと、弱音のひとつも吐きたくなった。
と、その数秒後。
カラン!
「お、空いてるみたいだな。」
鐘の音と共にドアが勢いよく開き、聞き覚えのある声が耳に飛び込む。
おいおい、マジか?
「ん?」
いそいそと近づいてきた男性客が、俺の顔を見て足を止めた。その顔に
ありありと困惑と不審が浮かぶ。
「何だ、たしか君は喫茶店の店主のマグポット君だったか?」
「…どうもこんにちは。」
「こんにちは。」
俺に続き、ネミルも実に微妙な顔で挨拶の言葉を述べる。
よりによってこの人が来るのかよ。良いか悪いか、さっぱり分からん。
「お久し振りです、イザ警部。」
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爆弾娘の籠城騒ぎが起こった際に、現場を仕切ったのがこの人だった。
独断専行ばっかりだった俺は、事件解決の後で死ぬほど怒られたっけ。
その時以来だから、久し振りだ。
本当は、死に戻り男の無差別殺人の際も会っている。しかしこの経験は
もはや幻と化している。どのみち、俺たちにとっては厄介な相手だ。
「…お仕事ですか?」
「いいや、今日は非番だよ。やっと散髪の時間が取れたからな。」
不審そうではあるものの、この人は別に俺を嫌ってるって訳じゃない。
好かれてもいないだろうけど、まあそれは仕方のない話だ。
「もしかして取り込み中か?」
「いえ…」
何と言うべきか迷った。
今ここでイザ警部に打ち明ければ、少なくとも捜索の人数は増える。
だけどそれは、警部が俺たちの話を信じてくれればの話だ。
正直言って、自信がない。
爆弾事件とは違い、まだ今の時点で何も起こっていないってのもある。
下手打ってデタラメと思われたら、かえって事態は悪くなるだろう。
どうすれば…
「すみません話し込んじゃってて。散髪に来られたんですよね?」
そう声を上げたのはネミルだった。…妙に迷いがないな。
「じゃあトリシーさん、じっくりと時間かけてやってあげて下さい。」
「え?ああ、うん…。」
「あたしたちはもう行きますんで、また今度。じゃ行こうトラン。」
「えっと…」
何となく無言の圧がある。ネミルとトリシーさんの顔を素早く見比べ、
俺はそのまま立ち上がった。
「分かった、行こう。じゃあ警部、ごゆっくり。」
「何だ、もういいのか?」
「ええ。ちょうど話は一段落して、行こうかと言ってたところです。」
「悪いな急かすみたいで。」
「いえいえ、ごゆっくり。じゃ。」
そう言い残し、俺はネミルと一緒に店を後にした。
具体的な当てがあった訳じゃない。
ただ今のネミルの言動に、何かしら思惟的なものを感じ取っただけだ。
だったら怪しまれる前に店を出る。後の事は後の事だ。
…さて。
どうする気だ、ネミル?