ノイズ混じりの天恵
天恵という代物は、ハッキリ言って人智を超えている。
特殊な能力だという意味ではなく、概念自体が理解し難いって意味だ。
授かる人間の都合なんて考慮してはくれないし、内容も割と支離滅裂。
望むものが出る事なんてほぼない。後はどう受け入れるかってだけだ。
だからこそ、ネミルや俺は目の前の天恵に柔軟に向き合う必要がある。
良いの悪いのと判断する前にまず、きっちり見極めなければいけない。
何と言うか、本当に因果な仕事だ。
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この人、名前なんて言ったっけか。多分これまで一度も聞いた事ない。
散髪屋さんなんて、そんなもんだ。名乗らなくても親しく話せる相手。
だからこそ、今のこの人には得体の知れない違和感がある。
見た目も話し方も本人っぽいけど、疑い出すとまさに違和感の塊だ。
具体的に何がと言うより、感覚的に「違う」という確信がある。
「さしあたっての危険はないだろ。いざという時は俺が何とかする。」
「分かった。」
頷いたネミルが、迷いなく襟口から指輪を取り出して薬指にはめる。
言った以上は俺も腹を括ろう。何があってもネミルの盾になる。
「ええっと、お名前は?」
「ああそうだった。トリシーだよ。トリシー・ハガック」
「分かりました。では…」
男性―トリシーの対面に座り直したネミルが、じっと意識を集中する。
さすがにもう見慣れてきた光景だ。結果が何であれ、もしもの時は俺が
彼を抑える。ただしネミルの話では彼は赤。つまり、既に自分の天恵を
知っているはずの人物だ。ならば、いつもの大仰なエフェクトはない。
ネミルだけが見える赤文字として、天恵の内容を告げるだけであり…
何だ、どうした。
傍から盗み見るだけでも、ネミルが困惑しているのが見て取れた。
そりゃそうだろう。
何と言っても、最初に相手の天恵を見るのはネミル一人だ。宣告をして
初めて、本人も周りの人間も内容を知る事になる。つまりこの段階では
ネミルは相手の得た天恵を己だけで受け止め、理解しないといけない。
正直「神託師って職業は大変だな」と思う理由はここだ。
だから早く口にしてしまえ。それで天恵は、場の皆の共通認識になる。
だけど、ネミルはトリシーの天恵を口にしなかった。お馴染みの口上が
いつまで経っても告げられない。
だから、一体どうしたんだよ。
内容が何であれ、今までならここで俺もネミルと困惑を共有するはず。
もしかして、また「死に戻り」級にヤバい代物だったりするのか。
だったらもう、何とかして「魔王」の力で抑え込まないと…
と、その刹那。
「…読めない。」
「え?」
「間違いなく赤なんだけど。」
瞳を光らせたネミルは、己の目の前のトリシーではなく、俺に対しての
困惑の言葉を吐いていた。
「文字がブレててまともに読む事が出来ない。こんなの初めてで…」
「何だって?」
またそういうイレギュラーなのか。
今度はどんな事情だよ。
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「ああそうか。じゃ別にいいよ。」
困惑でまともな応対さえも出来ないネミルに対し、トリシーはいたって
冷静だった。事態に動じていないと言うよりは、予感していたような。
「すみません、トリシーさん。」
瞳の発光を消したネミルが、謝罪の言葉を口にする。
「いやいや、まあいいから。」
「ですけど、あなたは既にご自身の天恵をご存じのはずなんですよ。」
謝罪しながらもネミルはトリシーに食い下がる。納得できないんだと、
その表情が言っていた。
「俺が?…どうして?」
「見え方で判るんです。間違いなくあなたは過去に宣告を受けてます。
普通ならそれは読めるんです。が、何故かあなたの天恵はブレていて
まともに読む事が出来ない。きっと何か理由があるはずです。」
「そう言われても困るなあ。」
俺は、問答に口を挟めないでいた。
天恵をまともに見る事が出来ないというのは、確かに非常事態だろう。
ネミルにとっては、爺ちゃんの指輪への信頼までもが揺らぎかねない。
食い下がるのはごく当然の話だ。
その一方、トリシーが自分の天恵を言い渋る理由も分からなくはない。
いくら相手が神託師とは言っても、「見えないから」といって自分から
気安く開示する義務はない。むしろ何で見えないのか詰問する立場だ。
うかつに割り込むと話がこじれる、何とも厄介な状況だった。
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「もちろんお金は頂きません。」
少し話すトーンを下げたネミルが、そう言いつつトリシーを見据えた。
「ですが、やはり問題は問題です。差し支えなければ、あなたの天恵を
教えて頂きたいです。こちらの都合で申し訳ありませんが、何とぞ。」
「…すまんね。用事を思い出した。もうこれで失礼するよ。」
怒る様子はないものの、トリシーはそう言って話を自ら切り上げた。
そしてコーヒーの代金をテーブルに置き、さっさと立ち上がる。
「でも…!」
何か言いかけたネミルが、次の瞬間ぐっと押し黙った。傍らで見ていた
俺も、同じように言葉を呑み込む。そんな俺たちにもう興味を示さず、
トリシーは店を出て行った。
しばらく、俺もネミルも黙ったまま入口を凝視していた。
自分の見たものが何なのか、それが頭の中で堂々巡りをしていた。
立ち上がった瞬間。
彼の体は、ほんのかすかにブレた。輪郭というか形というか、とにかく
姿を成す要素が一瞬だけ乱れたのをはっきり見た。
本物かニセモノかという話以前に。
あれが人間なのかどうか、そこから疑う事態になりつつあるらしい。