11月に入って
11月になった。
夏の暑さももはや遠くなり、むしろちょっと肌寒い日が続いている。
店を始めて、結構経ったんだな。
感慨に耽るのはさすがにまだ早いと思うけど、月日の流れは容赦ない。
もちろん、いろんな事があったからそれほど「速い」とは思ってない。
とは言え、待ってくれるというわけでもないのは確かだ。
ついに11月になっちまったか。
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ああそうだ。
落ち着かないのは俺だけじゃない。ネミルもソワソワしてるのが判る。
何でそうなっているのかも、十分に分かってる。限りなく共感してる。
正直、こういう気分は初めてだ。
うわついているとも言えるし、変に深刻になっているような気もする。
子供の頃の学校の定期試験前とか、何日もこんな感じだったっけか。
いやいや違う。
あの時はひたすら憂鬱だった。今のこの状況をあれと同じに例えるのは
あまりに筋違いだし、あらゆる人に怒られるだろう。
何をトチ狂った贅沢言ってんだと。
だけど事実、そういう処理できない気持ちを抱えてるのは確かなんだ。
今の、この俺の気持ちを完全に理解できるのは。
ネミルだけだろう。
だけど。
口が裂けてもあいつには言えない。
言ったらどうしようもなくなる。
話を振らないでと、ネミルの顔にもしっかり書いてある気がする。
ああもう。
11月になっちまったんだよなあ。
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11月2日。
「ロンデルンに行く?」
「はい!」
思いもかけないポーニーの宣言に、俺もネミルも驚いた。
「何でまたあんな遠い所に?」
「これです!」
言いながらポーニーが出したのは、フルカラーのチラシだった。
受け取った俺は、その表題を読んでそこそこ納得する。
「…ああなるほどな。シリーズ刊行50周年の記念イベントか。」
「エイランも喜んでます。だったらあたしがちゃんと見届けないと。」
「なるほどねー。」
俺の肩越しに覗き込んだネミルが、納得顔で頷く。…いや近い近い。
それに気づいたネミルも、反射的にちょっと距離を取った。
俺たちの挙動に気付く気配もなく、ポーニーが誇らしげに告げる。
「三つ編みのホージー・ポーニーを書いてはや50年。エイランは世を
去ってしまいましたが、このあたしが存在している以上、見届けます。
この作品がどこまで行くのかを。」
「確かに、それは君の成すべき事と言えるんだろうな。」
ある意味、彼女は誰よりイベントのゲストとして相応しい存在だろう。
もちろん名乗っても変人扱いされて終わるのは間違いない。埋葬の儀で
彼女を見た人は少ないし、あの件はささやかな奇跡として忘れられた。
それでいいとポーニーは思ってる。自分はただの女の子でいいと。
それでもやはり、エイラン・ドールとその著書は彼女にとって特別だ。
見届けるのは当然なんだと思う。
「分かった。じゃあ交通費と宿泊費は持つよ。それで向こうの…」
「いやいや、それは大丈夫です。」
「え?いいの?…だってポーニー、そんなにお金貯めてないでしょ?」
「それはそうです。が、少なくとも交通費や宿泊費は不要ですよ。」
「どうしてだよ。」
「これがありますから。」
そう言って掲げたのは、おなじみの店の蔵書だった。
…いや、それが何なんだよ。
「言ってませんでしたが、あたしはエイランの著書に出入りできます。
この1冊に限らず、著書でありさえすればどの本も出口になります。」
「は!?」
さらっととんでもない事言ったな?
「…つまりロンデルンにシリーズの本があれば、ここから行けるって
事になるのか!?」
「そうです。目的地を正確に定めて出れば、距離は無視できますよ。」
「マジかよ。」
「それって事実上、瞬間移動よね。凄ぉい!」
俺もネミルもさすがに呆れた。
本から出てくるところはこれまでに何度も見てるけど、まさかそこまで
自由度の高い能力だったとは…
「え、…じゃあもしあたしがついて行けば同じ事できたりするの?」
「それは無理です。」
「あら即答…」
「出入りできるのは、このあたしという存在だけ。人に限らず、荷物を
持ち込む事も出来ません。…何度か試してみましたけどね。」
「まあ、そこまで万能だったら逆に大変だよな。」
素直にポーニーの言葉を信じた。
こんな嘘を言う子とは思わないし、わざわざ試そうとも思わない。
それぞれの領分は守るべきだろう。
「本の中には、慣れ親しんだ世界があります。もちろんあたしの家も。
だから中にいれば宿泊の手間も一切ありません。安上りでしょ?」
「便利だな本当に。」
ただただ、感心するしかなかった。
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「というわけで、イベントは明日と明後日です。」
居住まいを正したポーニーが、そう告げてカレンダーに目を向ける。
「今日の夜に帰ったら、もう明日は直接向こうの本から出ます。…で、
明後日の夜まで向こうに滞在して、5日の朝からまた出勤します。」
「え…じゃあ明日は…」
「すみません、終日留守にします。ご了承ください。」
「そ、それはいいんだけど…」
「戻ったらお祝いしますから!!」
「え?え?…う、うん。」
「わ、分かった。それじゃゆっくりして来いよ。」
俺もネミルも口調がぎこちない。
そんな俺たちに、ポーニーはニッと意味ありげに笑ってみせた。
「大切な日ですからね。」
「もういいから。」
分かって言ってるな、こいつ。
イベントは、確かに本物だ。だけど丸2日も留守にするのはワザとだ。
今の顔を見て分かった。
いや、気遣いには感謝だけど。
でもその一方で、いて欲しいという思いがあるのも否定できない。
多分、ネミルも同じだろう。
ったく、何なんだよ今の俺たちは。
まあ、逃げずに向き合うしかない。
「明日かぁー。」
窓の外を見ながら呟いたポーニーの言葉に、形容し難い重みを感じる。
明日か…
そう。明日は11月3日。
ネミルの19歳の誕生日だ。