そう遠くない日に
「えっ!!?」
頓狂な声を上げるポーニーに対し、今回は俺たちは別に驚かなかった。
…どっちかと言うとデジャヴだな。
「い、いま何時ですか!?」
「まあ落ち着けって。」
「いやっ、でも…!!」
完全にパニクったポーニーの目が、掛け時計を凝視する。ああ、何だか
ますますデジャヴだな。死に戻りの男の凶行を阻止した時にも、彼女は
同じようなリアクションをしてた。でも今回はあの時の逆パターンだ。
時間が巻き戻るのではなく、知らぬ間に先へ進んでいる…という状態。
「いつの間にこんなに時間が経っていたんですか?あたしの記憶では、
変なローブを着たお客さんが来て…それから………………」
狼狽える言葉が、途中で途切れた。
まあ、とにかく落ち着けポーニー。
ちゃんと説明するから。
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しばらくののち。
「…恵神ローナ様が、このあたしの体に…?」
「本人曰く「ちょっと借りただけ」らしいけどな。」
さすがのポーニーも、目をまん丸に見開いていた。
そりゃあそうだろう。いくら人智を超えた「天恵の申し子」と言えど、
恵神が身に宿るなんてのはあまりに突拍子もない経験だ。正直言って、
俺だったらまともでいられる自信がない。
「とりあえずもう出ていったから。…なんか変な感じとか残ってる?」
「いえ別に…ただ数時間分の記憶が飛んでるってだけです。」
ネミルの質問に対し、自分の首から下をしげしげと確かめながら答える
ポーニーは平常通りだ。少なくともローナの残滓のようなものはない。
俺たちの見た限りでは、だけど。
こればっかりは確かめようがない。そうだと言っていた恵神ローナを、
ただ信じるしかなかった。
そして俺たちは、信じると決めた。
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『分かった。』
そう言って笑った顔に、それまでのような不敵な雰囲気はなかった。
俺の無礼な啖呵に対して、ローナはそれまで以上に嬉しそうだった。
『んじゃ、この子に体を返すね。』
「い、いいんですか?」
呆気なさに動転したのか、ネミルが実に余計な質問をする。しかし、
ローナはやはりマイペースだった。
『もちろん。まあ十分楽しんだし、確かにいつまでも体を借りてるのも
申し訳ないしね。』
「…楽しんだんですか。」
意外そうにネミルが呟いた。正直、その言葉は俺にとっても意外だ。
どこに楽しむ要素があったのかが、今ひとつ分からない。
『そんなに意外?』
やる事は雑なのに、こちらの考えを見透かすような慧眼はさすが恵神。
だったら、開き直って本人に率直に訊くのも手だろう。
「意外です。…何か面白いと思える事って、あったんですか?」
『ええ、何もかも。』
「え?」
「は?」
俺とネミルの声が被るの、久々だ。
「何もかも…って…」
少なくとも、ケイナたちが来るまでポーニーに異常はなかった。つまり
ローナが彼女の体に乗り移ったのはそれ以降のはずだ。今日の出来事に
そんな面白い要素あっただろうか?…むしろ不愉快とさえ思えたけど。
『ま、あなたたちからすればそんな感想なのかもね。あのオーウェって
年寄りも、何だかんだこのあたしを嫌ってたし。』
「…ですよね。」
『だけど、そういう感情をまともにぶつけられる体験は楽しいもんよ。
いいとか悪いとかじゃなくてね。』
「さすがに心が広いですね。」
『そういうんじゃないってば。』
ネミルの言葉に苦笑したローナは、大きく手を広げて言い放つ。
『今までのあたしは、本当に何にもなかったの。そういう直の体験が!
世界の外から見てたって、あたしに対する言葉も思いもあまりに遠い。
そして人の世はどんどん変わって、あたしに向く言葉は少なくなって。
もはや世界から無視されてる状態。そんなあたしからすればオーウェの
恨み事も嘆き節も、極上の言葉よ。こんなの、楽しくないわけない!』
「………………」
俺たちは、しばし言葉を失くした。
ようやく、恵神ローナという存在の大きさと空虚さを少し理解した。
そういう事か。
要するに、全てに飢えてたんだな。
なら、ポーニーという窓口によって直に感じた世界が、どれほど新鮮で
刺激的だったかは想像もつかない。俺たちなんかに分かるはずがない。
だとしたら…
『だぁから、今になってそういう顔しなくていいってのに。』
俺が何を思ったか、やはり彼女には筒抜けだった。
早く帰れなどと言った事を悔いる、そんな気持ち自体を一笑した。
『あんたたちには感謝してる。』
「え?」
『この子を世界に現出させてくれたおかげで、大きな参考になった。』
「参考って…つまりどういう?」
『こうすりゃいいんだって見本よ。しっかりデータは取れたからさ。』
「えっ」
ちょっと待ってくれ。
参考?
見本?
データが取れた?
それって、つまり…
『それじゃあ…』
え?ちょ、ちょっと待ってくれ。
ちゃんと訊くべき事を訊かないと…
『またね!!』
シュン!
一瞬の鋭い発光ののち、ポーニーは糸が切れたように長椅子に沈んだ。
あわてて駆け寄って確かめたけど、普通に寝ているだけだった。
どうやら、恵神ローナは彼女の体を離れたらしい。感覚でも判った。
本当にマイペースな神様だったな。
最後の最後まで、好き勝手に喋って去っていった。
俺たちの訊くべき事に答えぬまま。
いや、違うな。
はっきりと言葉は残していった。
「またね!!」
最後のひと言が、全てを物語った。
またね、か。
つまりまた来るって事なんだろう。
そしておそらく。
その時はもうポーニーは介さない。それに関しては確信がある。
「…また来るんだろうな。」
「だろうね。」
顔を見合わせ、俺たちは笑った。
まあいいさ。
何と言うか、話してて楽しかった。いささか振り回されはしたけれど。
「…ポーニーが起きるまでに、店の片づけを済ませとこうぜ。」
「そうだね。」
言葉を交わして同時に立ち上がる。何と言うか、実に疲れる日だった。
でもまあ、終わってみれば悪くない運びだったと思う。
またね、か。
そうだな。
またな、恵神ローナ様。
またのお越しをお待ちしています。