きまぐれ恵神
『驚いた?』
「もちろんです。」
『そうは見えないけど。』
「見えないだけです。」
驚いてないわけないだろ。
己の予想が当たった事と、目の前の現実に驚くのとは根本的に違う。
================================
最初の言葉から違和感はあった。
そもそもポーニーが常識の範疇からはみ出している存在だ。この上に、
突拍子もない事が重なったとしても今さら驚きはしない。
だけど、これは無茶が過ぎる。
「…あなたは、本当に恵神ローナ様なんですか?」
『そうよ。』
ネミルの問いに対する答えも軽い。どこまでも何気ない。それが逆に、
形容し難い説得力を醸している。
もはや信じるとか信じないとかいう段階ではなかった。
そう。
今の俺たちが見据えるべき問題は、彼女が本物かどうかなどではない。
何をしに来たのか、だ。
================================
「ちょっと訊きたいんですが。」
『はいはい。何かしら?』
「ポーニーは今この瞬間、どういう状態になってるんですか?」
『やっぱり心配?』
「当たり前です。」
俺に代わってネミルが即答した。
心強いその口調に、俺もほんの少し気持ちを立て直す。
そう、気後れしてる場合じゃない。
ローナは怒る風もなく、むしろ少し嬉しそうにニッと笑って答える。
『大丈夫。意識の空白になるけど、ちゃあんとここにいるから。』
「ホントですね?」
『仮にも神様が、そんなちっぽけな嘘つかないって。』
「………………」
どうやら本当らしい。ただしそれを確認する術は何もない。
不用意に「なら元に戻して下さい」などと言えば、どうなる事やら。
とにかくポーニーは無事という事でいい。むしろ、ここからが本題だ。
「それで。」
呼吸を整え、俺はできるだけ平坦な口調で質問した。
「あなたは、どうしてここに?」
================================
短いはずの沈黙は、ことさらに永く感じられた。
『どうして、ねえ…』
それまでずっと迷いなく答えていたローナが、初めて言葉を迷わせた。
と言っても、別に困っているような様子はない。どちらかと言うと、
どの答えにしようか選んでいる…という態だった。
やがて。
『方法が出来たから…って答えだと不十分かな、さすがに。』
「方法?」
もちろん不十分だ。しかし「方法」と言われれば、それも興味深い。
「つまり、ポーニーですね?」
『そう。』
頷いたローナは、ポーニーの両方の三つ編みをふわふわと持ち上げる。
『まさかこの世界に、人の形の天恵を定着させるなんて予想外だった。
で、観察している内に思いついた。この子、もしかするとこのあたしの
出力デバイスになるんじゃないか…ってね。』
「何ですそれ?」
『あーどう言えばいいかな。例えばあなたたちは、頭で考えた事を人に
伝える時、声で言葉にするでしょ?この時の口みたいなものよ。』
「ええっと…」
何と言うか、明らかにこの会話には異界の知に抵触する内容があるな。
正直、俺なんかが触れていい話かも分からない。だけどもう開き直る。
何と言っても相手は恵神ローナだ。
「つまりあなたという高次存在が、俺たちの世界の中で会話するために
ポーニーを窓口にしたと?」
『そう、まさにそんな感じ!』
何とか組み立てた仮説は、意外にもかなり大当たりだったらしい。
変なポーズを取りながら、ローナは何度も頷いた。
何だろう。
意外と話せば分かる気がしてきた。
================================
『ホージー・ポーニーって存在は、あなたたちには物語の登場人物。』
店の蔵書を手に取りつつ、ローナがゆっくりとした口調でそう言った。
『それと同じように、あなたたちもあたしにとっては登場人物なのよ。
もちろん小説みたいに完結している訳じゃないし、これからどんな事が
起こるのかも分からない。だけど、あたしは本を手に取る人間のように
世界全体をひとつの塊として外から見ている存在。要するに神様ね。』
「なるほど。」
呑まれるな委縮するな。話に必死で食らい付け俺。
これがピンチかチャンスかは、俺の受け取り方次第なんだから。
「ポーニーはエイラン・ドール氏と一緒に消えるという選択をせずに、
この世界に在る事を選んだ。言わばその逆って感じなんですか。」
『理解が速いねえ、さすが魔王。』
「…それはどうも。」
魔王とこの話は何も関係ないように思うけど、とにかく合わせておく。
卑屈になるのは好きじゃない。でも場合が場合だ。
「…それじゃ、オーウェたちは特に関係はなかったんですか。」
『もちろん。』
即答だった。
『チューニングが合った時に偶然、店に来たってだけの話よ。あいつは
あたしを毛嫌いしてたけど、それは別にどうでもいい。人間があたしを
どう思おうが勝手だしね。だけど、嘘だけは許せなかったって話よ。』
「…確かにそうですよね。」
身を固くしていたネミルも、そこで同意の言葉を口にした。
「いくら何でも、自分のしてる事をローナ様のせいにするってのは…」
『分かってくれる?嬉しいわぁ!』
軽いなあ。
どこまでも軽いな、この神様。
だけど少なくとも、これは僥倖だ。彼女は200年前の時のように、
己の扱いに気を悪くしているという訳ではないらしい。
…第二の「デイ・オブ・ローナ」の切っ掛けになるなんてのは御免だ。
怒らせるのは限りなく怖い。
相変わらず、俺たちはかなり危うい綱渡りだった。