見放された者たち
チリリン。
ベルを鳴らしつつ入って来たのは、ケイナより小柄な老婆だった。
おなじみのローブではなく、あれと同じ柄の黒い服をまとっている。
ちなみに俺から見れば老婆だけど、実年齢が分かりにくい顔立ちだ。
この人が、リアジ村の長なのか。
思ったより普通だなと、割と失礼な事を考える自分が可笑しかった。
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「オーウェ様…」
「心配しましたよ、ケイナ。」
開口一番、「オーウェ」と呼ばれたその人物はケイナを気遣った。
声はやたらと若い。電話で話したら老人だとはまず思わないだろう。
でもまあ、俺のいう台詞は同じだ。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「え?…ああ、じゃあ紅茶を。」
ここが喫茶店だという事に、初めて気づいたようなリアクションだ。
注文したオーウェは、ケイナたちと少し離れた席に腰を下ろした。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
ネミルが出した紅茶を、オーウェはゆっくりと口に運ぶ。何と言うか、
上品な人だ。何かと余裕のなかったサトキンと、かなり雰囲気が違う。
ちなみにネミルは現時点で、指輪をはめてはいない。神託師と言えど、
あまり無遠慮に天恵を見るべきではない…という考えからだ。
「さて、と。」
慌てる風もなく紅茶を飲み干して、オーウェはケイナに目を向けた。
「ケイナ。」
「は、はい。」
「天恵を見てもらいたいらしいね。ここ最近、熱心に仕事していたのは
それが目的だったのかね。」
「……はい。」
怒っているのではなく、諭すような口調だった。ケイナ的には、もっと
怒られた方が反応しやすいのかも…などと考えてしまう。
「それでサトキン。」
「はい。」
「言って聞くような感じかい?」
「…正直に言うなら、難しいのではないかと思います。」
「あ、そう。」
頷いたオーウェは、しばらく黙って考え込んでいた。俺たちもケイナも
口を挟めず、次の言葉を待つ。
そして。
「分かった。じゃあ、いっそ天恵の宣告を受けなさい。」
「えっ!?い、いいんですか!?」
ケイナだけでなく、俺たちも驚きを隠せなかった。まさかこの局面で、
天恵を見るという選択になるとは…
「あなたが神託師ですか?」
「え?あ、ハイそうです。」
「ではお願いします。何でしたら、サトキンの天恵も見て下さいな。」
「えっ?」
「ちゃんと二人分の代金はお支払いしますから。」
「は…はあ…」
さすがのネミルも困惑顔だった。
無理もない。ここまでただひたすら「村の掟だからダメ」だったのが、
いきなり二人とも天恵を見るという話になってしまったのだから。
当人であるケイナは、ネミル以上に困惑の表情になっている。
「いいね、サトキン?」
「………はい。」
ん?
なんだその表情は。
サトキンは、村の掟を受け入れたと言っていた。若者たちはいずれ皆、
同じように説明を受ける事になる…とも言ってたっけ。だとすると、
村の人間は何かを「共有」している事になる。
それが、今の彼に繋がるのなら。
その思い詰めたような表情に繋がる事なら…
「では、どうぞよろしく。」
俺の懸念など置き去りにしたまま、オーウェがネミルにそう言った。
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「…それでは。」
並んで座ったケイナとサトキンに、ネミルが遠慮がちな声をかける。
多分俺と同じ迷いがあるんだろう。指輪をはめる動作もぎこちない。
だけど、ここまで来れば天恵宣告をするべきだ。結果が何であっても。
望み通りとは限らないのが、天恵の本質なんだから…
………………………………
「……え?」
いつもの光を瞳に宿したネミルが、そこで困惑の声を上げた。
何だ、どうした?
「…ど、どうして…?」
「何だよ、何が見えたんだ?」
二人を凝視するネミルの困惑声に、思わず俺は声をかけてしまった。
こういう時は、黙っているのが俺の立ち位置だ。しかし今に限っては、
そうしないと話が進まないって気がした。
「見えない。」
「え?」
「二人とも、天恵の光が見えない。赤も白も何も見えてこないの。」
…何だと?
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「もう結構ですよ。」
オーウェのその声にハッと反応した拍子に、ネミルの目の光が消えた。
そんなネミルと二人の顔を見比べ、オーウェは深いため息をつく。
「つまり、そういう事なんです。」
「どういう意味ですか?」
「リアジ村に住まう者たちに天恵はない。ご覧になった通りです。」
「そんな馬鹿な!!」
ネミルの声が甲高く裏返る。
俺も信じられなかった。
ケイナはともかく、サトキンが既に成人しているのは間違いない話だ。
その歳になって天恵がないなどと、どう考えてもおかしいだろう。
しかも村ごとって、どういう事だ?
「…私たちは皆、恵神ローナ様から見放された存在。天恵を授かる事は
決してない。だからこそ、外界との接触は最小限に留めているのです。
それが変わらぬ、リアジ村の掟。」
「…………そんな…」
ケイナの声はかすれていた。
倒れそうになるその上体を、傍らのサトキンが支える。
「どうして…どうしてなんですか?あたしたちはどうして…」
「受け入れ難いでしょうが、それが現実なのですよ。」
オーウェは、そう言って首を振る。悲しげな老い顔と、妙に若い声とが
かなりミスマッチだった。
「世界が天恵を忘れつつある中で、恵神もまた世界を見放しつつある。
いずれ世界中の人間が天恵を失う。リアジ村は、言わば先駆けなのよ。
それを受け入れて生きていく事が、私たちの定め。」
「………………」
誰も何も言えなかった。
ケイナ個人の話かと思っていたら、世界中の人間の話になっている。
天恵が失われつつあるなんて事実、もし明るみになったら…
………………
なったら、どうだと言うんだ?
今ももう十分、天恵は世の人々から忘れられつつあるんじゃないのか。
だったらこういう事が起こっても、それほど大ごとにはならないと…
「分かったでしょうケイナ?」
「…恵神から…見放された存在…」
「それを受け入れてこそ見える未来もある。だからもう帰りましょう。
あなたの生きる場所はリアジ村よ。それが私たちの運命で」
『いや、それは違うでしょ。』
諭すようなオーウェの言葉を遮ったのは、ずっと奥の席に座っていた
ポーニーだった。
正直、存在をすっかり忘れていた。ここまで何も言わなかったから…
「何でしょうか?」
『どう解釈するのかは勝手だけど、少なくとも見放したりはしてない。
死んだ人間に天恵は授けない…ってだけの話よ。』
「!?」
何だ?
いきなりどうしたポーニー。
何を言い出すんだ!?