特別な彼女
ホージー・ポーニーは、児童小説の主役キャラクターだ。
もちろん、本来であれば現実世界に存在するなんて事はあり得ない。
だけど、作者のエイラン・ドールが持っていた天恵が奇跡を起こした。
ルトガー爺ちゃんとネミルが天恵の宣告を生前と死後の二度に渡って
行った結果、作者の夢の結晶であるポーニーが現実に現れたらしい。
何と言うか、理解が追い付かない。天恵の持つ可能性は、俺なんかには
とても想像し切れないものらしい。
とは言え、ポーニーは小説の通りの快活な女の子だ。それに正直な話、
子供の頃に愛読していた児童小説の主役が、目の前にいるのは楽しい。
神も異界も存在が確実である以上、そこらへんは呑み込んでもいい。
まあ俺たちからすれば、ポーニーは愉快なアルバイト店員なんだから。
それでも彼女は特殊な存在だ。
そう、俺たちが思っている以上に。
================================
ネミルが姉貴のお祝いに買ってきた「三つ編みのホージー・ポーニー」
は、今では店の蔵書になっている。と言っても、客が読む用じゃない。
これはポーニーの「家」だ。
現実世界に定着したとは言っても、ポーニーはまだまだ曖昧な存在だ。
俺たちにも本人にもよく分からないけど、どうやら現在の彼女の存在は
原作の読者である俺たちの、記憶が投影されたものらしい。とすれば、
本がある限りはこの世界に存在する事が出来る。実像としてこの空間に
ちゃんと定着している反面、物語の世界への出入りは今も自由らしい。
そして、その入口が本なんだとか。
もちろん、俺たちはその世界に行く事はできない。当たり前の話だな。
ちょっと行ってみたくはあるけど。
================================
「やべえ寝坊した。」
「遅れちゃったね。」
よく晴れた朝。
寝坊した俺とネミルは、慌てて朝食を済ませ店に降りた。
誰もいない店内で耳を澄ませると、ほんのかすかな声が聞こえてくる。
『開けて下さーい!』
考えるまでもないポーニーの声だ。棚に差した本から聞こえている。
「悪い悪い。」
急いで本を棚から出し、最初の挿絵ページを開く。描かれているのは、
シリーズを通しての作品舞台であるポーニーの生家だ。
シュン!
かすかな音と共に、ポーニーが店の中に出現する。これが彼女の出勤。
本の中の家に帰り、翌朝はそこから再び現れる。何とも不条理だけど、
さすがにもう慣れた。
もちろん、開かないと出られない…というわけじゃない。本人いわく、
視界の中に本さえあればほぼ自由に出入りできるらしい。あえて俺が
挿絵ページを開く手間を挟むのは、互いのプライバシー維持のためだ。
言うまでもなく、本人もこの形式に納得している。
不思議なバイトもいたもんだ。
さあ開店準備。遅れてる!!
================================
月末最後の平日という事もあって、午後からの客足は少し鈍かった。
とは言え、昨日まで割と忙しかったから逆にありがたい。俺たち三人は
心地良い眠気と戦っている感じで、午後の時間を過ごしていた。
だけどこんな時にこそ、いつもとは違う事が起こったりする。
チリリン!
やや慌ただしい入口のベルの音が、俺たちの意識をしゃんとさせた。
「いらっしゃい…」
向き直った俺は、お客の出で立ちを目にしてちょっと身を引いた。
部分的に刺繍が施された黒いローブをすっぽりと被った…多分女性だ。
入って来た勢いのままに、荒い息をついているのが分かる。割と若い。
恐らく、俺たちよりも年下だろう。
前に、爆弾を持って来店した少女がいた。何とか穏便に帰らせたけど、
あれからしばらくは客が怖かった。今でも若い子はちょっと警戒する。
あの子は見た目は全く普通だった。対して今回、見た目があからさまに
怪しい。…ってか、よくこの店まで職質もされず辿り着けたもんだな。
「お席にどうぞ!」
動じないネミルが明るく接客する。その一方、客はしばし黙っていた。
…いや、黙ってるのはやめてくれ。何でもいい、行動を起こしてくれ。
そうでなきゃ対応できないし怖い。いいから顔くらい見せてくれ。
リアクションに困る沈黙ののち。
「…あのう。」
声を上げたのは客だった。予想通りの若い女の子の声だ。
遠慮がちに言いつつ、目深に被ったローブのフードをゆっくり上げる。
「…ココアってあります?」
「あります。」
いきなり注文かよ。
それでいいのか本当に?
「それと、天恵を見てもらえるって聞いたんですけど。」
やっぱりそっちか。
言い終えた少女は、フードを後ろに跳ね上げて顔を露わにした。
さいわい普通の顔だ。あまり見ない黒髪と黒目が若干目を引くものの、
危険な気配などは感じなかった。
奇抜な服装は、単なる好みなのか。出来ればそうであって欲しい。
変な問題に発展させず、穏便に…
チリリン!
って、ここでまた来客なのかよ。
こんな目立つ子の後だと、さぞかし困惑して…
「え?」
「は?」
「ええっと…」
困惑したのは俺たち三人だった。
入ってきた相手は、少女と全く同じ黒のローブをすっぽり被っていた。
しかも背が高く体格もいい。恐らく成人男性だ。
俺たちの視線を追って振り返った、少女の目が大きく見開かれる。
ああ、予感的中だ。
やっぱり何かのトラブル込みだな、今回も。




