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ようこそ神託カフェへ!!  作者: 幸・彦
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鏡の前の彼

今朝は長いなあ。

まあ、ちょっと早起きしたからって事情もあるんだろうけど。

かれこれ5分以上、鏡とにらめっこしてる。と言っても、髪を整えたり

お化粧したりしてるわけじゃない。さすがにそれは気持ちが悪いよね。

ただじっと、自分の人相を確かめているだけだ。ものも言わずに。


あたしはただ、そんな彼の姿をすぐ傍らで見守るだけ。

すっかり今のこの生活にも、彼との関係にも馴染んだこのあたしは。



夫である、トランを見守る。


================================


「さてと。」


ようやく納得いったのか、トランがその視線を鏡からあたしに移した。

この後に続く言葉も、もはや毎日のルーティーンになってきている。

お互い、それは自覚している。


「大丈夫かな?」

「ちょおっとだけ痩せてきてるよ。もう少し食べた方がいいかも。」

「かもな。気を付けるよ。」


右手で自分の頬を撫でたトランは、そこであたしに二ッと笑いかける。

ここまで至って、やっと彼は笑う。起きてから、かなり経ってるのに。


「さあて、今日もお仕事だな。」

「この街は今日で最後だよね。」

「ああ。ほどほどに稼ごうぜ。」

「承知!」


こうして、朝の営業が始まる。

オラクモービルは、すっかり二号店としての風格を獲得していた。


================================


このヤマン共和国に入国してから、あたしたちの事情は少し変わった。

やってる事は変わらないんだけど、やっぱりアウェー感がかなり強い。

明らかに意図的な印象操作があったらしく、どこへ行っても風当たりが

かなり強い。その傾向は、今ここに至ってもあまり変化していない。

この国に入ってから、ずっと逆風が吹いている。

だけど、少なくともあたしとトランは現状への打開策を既に持ってる。

ローナやタカネの力を借りずとも、気持ちを維持できるだけの手段を。


それがトランの天恵【魔王】だ。

自分に対する悪意を持つ相手の心を支配し、その行動を操れる能力。

人のいいトランは、この「悪意」という条件を満たすため過去に色々と

苦労をしていた。自分から嫌われにいくなんて、どう考えたって彼には

ストレスでしかないだろう。少なくとも、あたしには確信がある。


だけど、この国での事情は違う。

何も言わずとも、あたしたちは最初から敵意を向けられている。一体、

誰がそう仕向けているのか。それはもう、細かく考えない事にした。

他ならぬトランが、その事に関して詮索するのはやめようと言った。

納得いかない様子だったタカネも、最終的には彼の判断を受け入れた。

少なくとも、それで決定的な不都合は生じないと分かったからだ。


その時から、トランはずっと自分の天恵を開放したままの状態らしい。

彼に対する悪意を一切持っていないあたしには、全く実感できない。

その点はタカネもローナも同じだ。まあ、この二人が【魔王】の影響を

受けるとはどうにも思えないけど。

とにかく、トランの天恵によって、悪意や敵意を持つ人たちはたちまち

術に墜ちる。もちろん、意のままに操ったりするわけじゃない。ただ、

注文を言ってもらって応じるだけ。押し売りをする気もない。もし特に

何も欲しくなかったら、相手もただそう言うだけだから。このあたり、

数をこなした事でトランもそこそこ自在に調整できるようになった。


もう今では、彼が天恵を使っているという事実自体が認識できない。

どの街へ行っても、悪意を持つ人の顔からはたちどころに険が消える。

ごくごく普通のやり取りの後、皆がお店のコーヒーを飲んで満足する。

その光景の中に異物感を覚えているのは、多分あたしたちだけだろう。

トランは、明らかに自分の天恵への習熟を、加速度的に深めている。


いつ頃からか、トランは店を開ける前に鏡を見るようになっていた。

常に身綺麗にする習慣は、結婚する前からちゃんと持っていた。彼も、

飲食店経営を生業とする心づもりを以前から持っていたからね。でも、

だからって毎朝鏡を眺める…なんて習慣、間違ってもなかったはずだ。


彼は、何も言わない。

だけどあたしは知ってる。

どうして彼が、毎朝自分の姿を鏡で確かめているのかを。


【魔王】の天恵は、もはや彼の一部と言ってもいいものになり果てた。

持て余しているわけでもなく、既に無意識の微調整すらできつつある。

以前は扱いに四苦八苦していた感もあったけど、すっかり遠い過去だ。

宣告からずっと見てたあたしだからこそ、その変化は断言できるよ。


だからこそ、トランは鏡を見る。

朝目覚めてそこに映る自分が、まだ人間である事実を確かめるために。

だからこそ、あたしは毎朝答える。

あなたはちゃんと、あたしの優しい夫だよ…と、心から告げるために。


あたしは神託師だ。

その事を承知の上で、トランはこのあたしと共に生きる道を選んだ。

何度も危ない目に遭ったし、今この瞬間も一つの目的に向かって一緒に

不条理な道を突き進んでいる。その事実は、もう消す事など出来ない。


もうすぐ、あたしたちは目指す人の許にまで辿り着く。ロナモロス教の

副教主、ネイル・コールデンの許に辿り着く。きっとそこには、天恵に

深く絡み合った争いがあるだろう。その渦中に、ネイルを探しに行く。

タカネは強いけど、彼女の力だけに頼るって訳にもいかないんだろう。

そこには、確信めいた予感がある。きっとトランも、魔王として臨む。

あたしは、どこまでも無力だ。でも今さら、卑屈になったりはしない。

ここまで来たんだし、トランたちを信じて行くところまで行くだけだ。


そこに至るまでに、どれほどの血が流れようとも。

ローナに言わせれば、それは天恵を得た人間たちが自ら選んだ道だ。

全て救済しようなんて考えはもう、あたしもトランも抱きはしない。

ただひたすら、トモキを元の世界に戻すための目的を果たすってだけ。


大丈夫だよ、トラン。

あなたはトラン・マグポットだよ。

あたしの大好きな旦那さまだよ。


心配するなとは言わない。そんなのただの無責任だ。

だからあたしは、何があっても絶対あなたの傍にいるよ。


魔王でも何でもいい。

あなたがトランである限り、ずっと傍にいるよ。



鏡に映るあなたの、すぐ傍にね。

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