錬金術師の憂鬱・1
正直、俺の人生はあまり恵まれてるとは言えないと思う。
生まれはそれなりに貧しかったし、幼い頃に母親を亡くしてもいる。
今年の初めに父も亡くした。家業は既に継いでいたけれど、だからって
「一人でやっていけ」と言われてもキツイ。食べていけるかではなく、
精神的な意味で孤独が身に堪える。何と言うか、浮かぶ瀬が欲しい。
こんな生き方こそ、実は誰より厄介なんじゃないか…と最近考える。
明らかに惨めであれば、他人からの同情や援助を期待できる。もし仮に
それが無くても、自分の境遇を嘆き諦める事も出来ただろう。いっそ、
犯罪に走る踏ん切りもついたのかも知れない。
だけど俺は、何もかも中途半端だ。惨めも不幸も孤独も、それらを嘆く
自分の気持ちさえも振り切らない。足りないものが何かも分からない。
だから不平不満の類を口にすると、ことごとく贅沢に聞こえてしまう。
家業は金物修理の請負い。限りなく地味であり、躍進は期待できない。
それなりに真面目に腕は磨いているものの、だからどうしたって話だ。
お礼を言われても、尊敬される事はないだろう。
不謹慎極まりないけど、これならばいっそ犯罪者とかの方が華がある。
俺の人生に、上向くきっかけなんか存在し得ないのかも知れない。
こういうの、手に負えないなあ。
================================
父が死からしばらくのち、神託師のルトガー爺さんが亡くなった。
俺も父も子供の頃から世話になっていたから、葬式にも参列した。
曲がりなりにも家長として、初めて参加したのがこの葬式だったっけ。
父の葬式の時と同じく、幼年学校の同級生だったトラン・マグポットの
家のレストランが仕出しをしてた。久し振りに会ったトランは、何だか
思い詰めたような表情をしていた。何となく声をかけづらかったけど、
後日になってその理由が分かった。ルトガー爺さんの神託師の仕事を
孫娘のネミルが受け継ぎ、トランがそのネミルの許嫁になったらしい。
何と言うか、純粋にビックリした。
別にネミルとは親しくない。まあ、顔馴染みと言った程度だ。だから、
彼女が神託師を継ぐという話は単に「現実味がない」ってだけだった。
だけど、トランとはそれなりに仲もいい。どんな奴なのかも知ってる。
それがいきなり許嫁とか喫茶店経営とか、聞いたこっちが追い付けない
激動の人生を選んだんだ。とにかく驚いた。
もちろん店にも行った。思ったより小さかったけど、いい店だった。
トランもネミルも、慣れないなりに自分の新たな道に向き合っている。
応援したいって気持ちに嘘はない。「常連客」とまではいかなくとも、
ちょくちょく出向くようになった。
…何と言うか、心地良い羨望を抱く自分がいた。
俺もこんな風になりたいと、そんな思いを胸に苦いコーヒーを飲む。
自分自身の地味さを嘆くでもなく、ただ羨望に身を委ねる。
悪くないと思いながらも、俺の目はひとつの拠りどころを見ていた。
壁のプレートに小さく書かれている一文。
「神託師在住。天恵を見ます」
================================
恵神ローナがもたらす天恵。
それは時代遅れの伝承であり、今の世界ではほぼ誰も求めない代物だ。
神託師が細々と残っているだけの、もはや存在意義すらあやしい力。
もちろん俺も、そんなものを求める気持ちは子供の頃から無かった。
爺さんの肩書きも、「シンタクシ」というただの言葉でしかなかった。
そんなあやしい力に頼らなくても、とりあえず俺は生きていける。
地味だけど堅実な仕事で、そこそこ普通に暮らしていく事はできる。
それで本当にいいのか。
誰よりも浮かぶ瀬を求めているのは自覚してる。自分の事なんだから。
だとすれば、天恵に望みをかけても別にいいんじゃないのか。
もちろん、時代遅れも神任せも十分承知の上だ。言いたきゃ言えよ。
そんなモノに頼る生き方は虚しいと言われれば、返す言葉もない。
だけど、全ては自己責任だろう。
15歳になると恵神から与えられる力。それは誰もが等しく得る機会。
宣告を受けない選択が普通なのだとしても、受ける選択が「悪い」とは
誰も言っていない。それも事実だ。当たり前の個人の権利だとすれば、
時代遅れだろうが知った事か。
ちょっとくらい、夢を見てもいい。
たとえすぐ覚める事になろうとも。
なあ父さん、母さん。
================================
そんなわけで、俺はオラクレールに行った。いつものコーヒーではなく
天恵宣告を求めて。
少し蓄えはあるから、代金は即金で払った。こういうのは思い切りだ。
「どういう風の吹き回しだ?」
「何でもいい、浮かぶ瀬が欲しい。ただそう思っただけだよ。」
トランの問いに、俺は至って正直に答えた。言い繕う間柄じゃない。
気心が知れているからこそ、余計な見栄も嘘も無しで行きたかった。
「なるほど、まあそういう考え方もあるよな。」
俺自身の事情を知っているトランはそれ以上、細かくは訊かなかった。
「じゃあこちらへどうぞ。」
ネミルに言われ、俺は彼女の対面に座る。さすがに少し緊張していた。
…って言うか、今さらながらかなり冒険してるなと思う。天恵宣告とか
どう考えても俺の柄じゃないなあ。…まあ、ここまできたら退かない。
「よろしく。」
さあて、一生に一度の機会だ。
================================
指輪をはめたネミルの目がかすかに光を放っている。何か荘厳だな。
光が収束すると同時に、その表情がほんの少しだけ変化を見せた。
おそらく今、彼女は俺の「天恵」を見ているんだろうな。さあどんな…
……
何なんだ、その形容し難い表情は。そんなに変なのが見えたのか?
いいから早く言ってくれ。生殺しはやめてくれ。俺の天恵は何なんだ?
「…ジェレム・マイダスさん。」
沈黙を挟んで、ネミルが言った。
「あなたの天恵は」
天恵は?
「【錬金術】です。」
「え?」
キュイィン!!
キョトンとする間もなく、放たれた光が文字を作った。まぎれもない、
「錬金術」と読める文字を。それはあっという間に形を崩し、俺の体に
吸い込まれてパッと細かく散った。
「…れ、錬金術?」
マヌケな裏声になったけど、それはどうでもよかった。…って言うか、
何なんだその凄そうな天恵は?
「……お前だったのかよ。」
は?
どういう意味だよトラン。
何だよその呆れたような笑いは。
どういう結果なんだ、これって?