ドアのこちらと向こう
正直な話、今日の間にここまで話が進むとはあまり思っていなかった。
やはり、あの天恵のないローブ女の隙を突けたのが大きかったんだな。
相手の潜伏場所がほぼほぼ判明し、女の身柄を拘束。さらに【催眠】の
天恵持ちまで来てくれている状況。はっきり言って、整い過ぎている。
「ここまで来れば、今日中に決着をつけてしまうってのもアリだな。」
「決着って、どんなのだよ。まさか全員殺すとか言わないよな?」
「当たり前だろが。とにかく全員の素性を知りたい。そのためには、
とにかく先手を取って生け捕りだ。後の事はそれからでいいだろう。」
「…………………まあ、そうか。」
雑だな本当に。行き当たりばったりというか、何しろ計画性が乏しい。
確かに予定が狂ったのは事実だが、そのせいでむしろ進展したんだ。
引き返して後日…とすると、下手を打てば逃げられてしまうだろう。
どのみち、女を拘束した時点でもう引き返せないところまで来ている。
よし。
じゃあ、腹を括るとしようか。
================================
とは言え、狙う相手は現在、宿屋に逗留している。いくら【催眠】の
天恵があったとしても、殴り込みをかけたりすれば反撃もあり得る。
いくら何でも、そんな騒ぎを街中で起こすのは論外だ。下手をすれば、
俺たちの方が罪に問われかねない。出来る限り静かに済まさないと。
しかし、そんな事が俺たちに出来るだろうか。戦いなんか専門外だし、
そもそもそこまで危険な事を望んだわけでもないのに…
「それじゃ、ここで判断しよう。」
そう言ったのは、ヤマン共和国から来たという若い神託師だった。
「宿の主人に、我々が誰か明かした上で協力を仰ぐ。それが無理なら、
強攻策は諦めよう。ただし通れば、もう最後まで押し込む。どうだ?」
「…うん、いいんじゃないか?」
「なるほど、それなら。」
皆、その提案に乗った。
無理なら潔く諦める。神託師という事を明かしても、その時点までなら
問題ない。女がこちらの手にあると考えれば、交渉の機会はまた来る。
逆に宿屋の主人がそこまで協力する展開になったら、多少の荒事には
目をつぶってくれるはずだ。判断はそこで下せばいい。うん、妙案だ。
ここまで来たのなら、ためらうな。
================================
話は、あっさり通った。
最年長の神託師が交渉をした結果、宿屋の主人は問題の客の部屋番まで
教えてくれた。神託師という肩書きは、俺たちが思う以上に力がある。
あるいは目指す連中は、今日に至るまでに怪しまれていたのだろうか。
どっちにせよ、これで先手を打てる算段が整ったという事だ。こっちの
人数なら、出口は全て押さえる事が出来る。宿の二階にいるとすれば、
逃げ道はない。反撃してきた時には【催眠】の天恵で無力化できる。
「よし、行こうぜ。」
「ああ。」
俺も含めた皆、目が据わっている。気が大きくなっていると自覚する。
きっとそれは、神託師としての力をあらためて実感できたからだろう。
だとすれば、俺たちを惑わせる輩は徹底的にあぶり出さないとまずい。
この聖都での地位を守りたいなら、ここでためらうという選択はない。
足音を殺し、俺たちは宿の階段へと向かう。息を詰めている周りの顔に
殺気のようなものを感じた。いや、それは俺も傍から見れば同じだな。
危険な事をやっていると思う反面、これほどスリルを楽しめる機会も
そうそう巡ってこないだろうから。
俺たちは何だ?
そう、神託師だ。だけどその職は、清廉潔白でなければいけないという
代物ではないはずだ。だからこそ、副業も認められているんだからな。
だったら誰にも文句は言わせない。元凶は向こうだ、恨むなら己をだ。
よし、じゃあ行こう。階段を上って突き当りの部屋。目指す相手は、
間違いなくそこにいるはずだ。俺も他の連中も、早く会いたいと思う。
会ってどうするかなど、今わざわざ考える事じゃないだろう。とにかく
捕まえてしまえばどうとでもなる。
どうとでもな。
================================
================================
「いくら何でもケイナが遅過ぎる。ちょっと様子を見に」
「待って下さいサトキンさん。」
腰を上げかけた俺の言葉を遮って、アースロさんがスッと立ち上がる。
その顔には、いつになく険しい色が満ち満ちていた。
「ど、どうしたのアースロ?」
「誰か来ます。少なくとも、十人はいるでしょう。」
「え!?」
言われて初めて、かすかに廊下から足音のような音が聞こえてくるのを
察した。確かに複数人だ。しかも、まっすぐこっちに来ているらしい。
「まさか、ケイナが?」
「今は分かりません。音を立てないように、窓の外を見て下さい。」
言われた俺は、座ったまま窓際まで移動する。ほんの少しだけ窓を開け
外を窺うと、通りの向こうに数人の男が立っているのが小さく見えた。
しかも…
「まずいですね。」
「どうしました?」
「外に男が数人。その中の一人は、俺が訪ねた神託師に間違いない。」
「神託師…!?」
身を固くしていたポロニヤさんが、そこでかすれた声を上げた。
「ここに神託師が来たんですか?」
「そうみたいですね。下手すると、廊下の連中も同じなのかも。」
「…………………………」
アースロさんもポロニヤさんも何も言わなかった。…いや、言えないと
いう方が正しいか。あまりに唐突な窮地に、頭が追いつかないのは俺も
同じだから。だが確信だけはある。どうにもならないひとつの確信が。
「ここを知られたという事は、もうケイナは捕まったんでしょうね。」
「そ、そんな!」
「静かに。」
ポロニヤさんを制したアースロさんの手に、護身用の剣が握られる。
今の窮状より、彼がそれを手にした事実に俺は耐え難い戦慄を覚えた。
どうなるにせよ、誰かの血が流れる展開は避けられないのだろうか。
そこまでの事態になってしまったとすれば、原因はやはり俺たちか。
状況は待ってくれない。
次の行動を迷っては、先がない。
どうなる。いや、どうする。そしてケイナはどこにいるんだ。
先が見えない不安が、狭い部屋中に満ちていくのが見えるようだった。