ケイナの意地
そんなはずはない。
あらゆる意味で、今ここで聞こえる声には現実味ってものがない。
そもそもこの人、どこから来たの?入口は閉められているはずだから、
ここにいる事自体理屈に合わない。…もしかして、転移の天恵持ち?
だとしても、どうしてこのあたしのいる場所に転移できるんだろうか。
危険な行為だし、そんな危険を冒す意味がどこにもない。
そして、あの時聞いた声じゃないかという疑念。これも考えられない。
確かにあの声は忘れられないけど、今この場で聞こえるのはおかしい。
あの時見たあの人は、神託カフェの従業員だったはずだ。それがこんな
異国の遠い場所にいるなんてのは、どう考えてもおかしい。ましてや、
ここは誰も知らない監禁場所のはずなのに。わざわざあの人がここに…
「久し振りね。オラクレールに来た時以来かな?元気そうじゃん。」
「…………………………」
か細い疑念も自分を納得させようと捻り出した理屈も、一瞬で崩れた。
傍らにいる女性は、以前にあたしと会った時の事をそのまま口にした。
そしてそれは紛れもなく、あたしの記憶と同じだった。つまり彼女は、
やっぱりあの時のあの人なんだと。
ダメだ。
どこをどう考えても、状況が不条理過ぎて欠片も理解できない。まだ、
扉が閉められるまでの方が今よりは理解が及んでいた。普通に考えて、
普通に絶望できていた気さえする。
この人、何なんだろうか。
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「で?」
何気ないそのひと言と共に、女性はギシッと音を立てて隣に座った。
間違いなく実在している。柔らかな体の感触が、肌越しに伝わった。
「ネクロスとしての体質を利用した悪戯の結果、このピンチって事ね。
まったく何をやってるんだか。」
「……………………………」
「何とか言いなさいよ…って、ああ喋れないのか。ちょっと待って。」
直後、口を縛っていた布が解かれたのが判った。だけど、声を出す気に
なれなかった。身動きひとつせず、そのままじっと相手の反応を待つ。
しかし女性は、どこまでも何気ない態度を崩さなかった。
「なあに、まだダンマリ?まあ別にいいけどさ。」
相変わらず、彼女は座ったままだ。目隠しを取るといった気配もない。
あたしを助けに来たんじゃないって事だけ、何となく察した。じゃあ、
一体何しに来たのだろうか。もはやどうやって来たのかは、考えるだけ
無駄だ。なら目的くらい知りたい。
助けてもらえそうな気配がない…という事実に、あたしは逆にちょっと
落ち着きを取り戻した。というか、少なからず開き直った。と同時に、
少なからず腹が立ってきた。
確かに、あたしたちは愚かだった。考えなしの混乱を聖都にばらまき、
挙句にこんな窮地に陥った。これで一網打尽になったりしたら、もはや
愚か者の極みだろう。間違いない。閉じ込められたこの部屋の只中で、
嫌というほど自覚してますよ。
だけど、あなたは一体何なんだよ。
すっかり存在さえ忘れていたのに、こんな場面でどうしてまた現れた。
あたしを馬鹿にしたいのは分かる。だけど、時と場合を選んで欲しい。
勝手だと言われようと、この状況で他人事みたいな事を言われるのは
どうにも腹に据えかねる。せめて、聞こえない場所に行って欲しい。
そうでなきゃ、せめてもうちょっとまともな話をさせて欲しい。
だからあたしは、あえて素のままで言い放った。
「うるさいな。嫌味を言いたいだけならさっさと消えてよ鬱陶しい。」
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沈黙。
静寂。
だけど気配は消えていない。女は、確かにまだこの暗がりの中にいる。
あたしの放った言葉に、少なからず気を悪くしたのかも知れない。
それが何だ。
自分が馬鹿だって事くらい、誰かに言われなくても十分に知ってるよ。
これで何もかも終わりと言うなら、存分に泣きわめいて受け入れるよ。
だけど、こんな不条理を受け入れろと言われたって無理に決まってる。
まさか神様じゃあるまいし、悪趣味もいい加減にして欲しいって話だ。
不思議なほど、自分の中に居座っていた恐怖が根こそぎ消えた。
理解できない傍らの相手に対して、新たな恐怖も湧いてはこなかった。
言いたい事は言った。だからもう、ほっといてくれれば…
「いいね。やっぱ、喧嘩を売るならそのくらいの気骨がなくっちゃ。」
「は?」
あまりに予想外の言葉に、あたしは思わず間抜け声を返してしまった。
もっと予想外だったのは、女の口調がさっきより嬉しそうだった事だ。
本当に何なんだろうか、この人は。
あたしに何を求めてるんだろうか?
分からない。
分かるはずもない。
ならもう、率直に訊こう。
「何がしたいんですか?」
「もうちょっと、マシな成り行きを見たいってだけよ。」
「マシな成り行き…?」
何の事だろうか。
ここまでの成り行きが酷いのはもう言うまでもない。お粗末そのものと
言われても仕方ない。だけど、何をどうすればマシになると言うのか。
つくづく、相手の価値観というのが見えてこない。
「じゃあ教えて下さいよ。」
「何を?」
「どのへんが酷いんですか?」
「全体的なクオリティよ。」
即答だった。
いや聞いても分かんないんだけど。全体的ってのはつまり…
「あたしたちのやってる事全体って事ですか。だけどそれ」
「違う。」
今度は、食い気味に否定された。
明らかにこの人は、あたしの見解のズレに対し物申したいらしかった。
ならもう、はっきり言って下さい。
「何が違うんですか。」
「あんたたちだけじゃない。相手含めて全部お粗末って言ってんのよ。
外にいる奴らもひっくるめて。」
「…………………………」
返す言葉に窮した。
外にいる奴らって、つまり神託師の集団の事なのか。でもその言い方は
あたしに対する行動というよりも、もっと根本的な事への意見だろう。
つまり…
「ロナモロスがここでやらかした事に風穴開けたいなら、もうちょっと
大きな視野で見ろって話よ。」
「…大きな視野?」
答えは求めなかった。
何となく、彼女の言わんとする事が見えた気がした。
だけど…
やっぱりこの人、得体が知れない。




