エルベン・バイヤーは神託師
末子相続が原則?冗談じゃねえよ。
天恵宣告が廃れ切った今の時代に、何でそんなカビの生えたルールだけ
律儀に残ってるんだよ。どこの誰がそんなもん望んでるってんだ?
そんな俺の叫びは、伝統を重んじる家の中では誰にも聴こえなかった。
ただ末っ子だという理由で、俺には将来の夢も選択も許されなかった。
ふざけんじゃねえと言いたかった。だけど俺には、他に道はなかった。
親父も爺さんも神託師だった。頭にバカが付くほど真面目な神託師だ。
恵神ローナに対する畏敬の念を常に唱え、自分に与えられた職を神聖な
役割と信じて疑わない。今の時代にどれほど需要が残ってなかろうと、
そんな事は関係ない。己が神託師だという事実さえあれば、構わない。
自尊心で飯が食えないって現実は、婆さんやお袋の苦労を見てた俺には
骨の髄まで分かり切っていた。
流行んねえんだよ、こんな職業は。
だけど親父は、容赦なかった。
「お前が神託師を継ぐんだよ。」
微塵も揺るがないその言葉に、俺は従う以外の選択肢を持てなかった。
兄貴や姉貴たちのホッとした顔が、心底憎たらしかった。
そうして俺は、神託師になった。
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もちろん、名ばかりなんて許されるはずがなかった。複雑な特殊詠唱も
とことん叩き込まれた。出来なきゃ殴られた。飯抜きって日もあった。
とにかく出来るようになれ。それを繰り返す親父の顔に恐怖を覚えた。
何で俺がと自問しても始まらない。とにかく習得するしかない。幸い、
俺は意外と聡い方だった。記憶力も要領の良さも人並み以上だったし、
詠唱そのものは割とすぐ習得するに至った。やるしかないとなれば、
意外と何とかなるもんだ。神託師を継いで、そんな自信だけはついた。
皮肉と言うかバカらしいというか。
俺が神託師の資格を得た数か月後、親父はあっけなく病気で死んだ。
三年前に爺さんも死んでいたから、文句を言う人間がいなくなった。
ここまで来てそりゃないだろうと、俺は墓前でかなり愚痴った。
でもまあ、色んな意味で仕方ない。神託師は副業を持ってはいけない…
というルールはない。世の中的にもそれは現実的じゃないからだろう。
親父が生きてたらあれこれと文句を言っただろうが、もはや関係ない。
とにかく金銭的な不安を抱えたくはなかったので、色々と手を出した。
要領だけは良かったから、そこそこ収入は安定した。しかしその一方、
婆さんやお袋たちは渋い顔だった。副業なんかけしからんと、繰り返し
言われた。正直、ウンザリだった。
そこまで神託師という神職にしがみ付きたいか。自尊心が大事なのか。
何でそれで苦労しなきゃいけない。一度しかない人生だってのに。
正直、もうついて行けなかった。
だけど、世界ってのは気まぐれだ。
俺がそんな風に燻っていた、まさにその頃。
タリーニ王国の聖都グレニカンで、まさかの内乱が勃発した。…いや、
内乱と呼ぶべきかどうかはちょっと微妙だったけれど。いずれにせよ、
あのマルコシム聖教はロナモロス教に完全に併合されてしまった。
もちろん、それを聞いた当初の俺は「ああそう」程度の認識だった。
正直な話、俺は宗教にあまり興味がない。天恵宣告や恵神ローナは、
人間のひねり出した宗教の概念とは関係のないものだと思ってるから。
これに関してだけは、親父や爺さんとも意見が合っていた気がする。
要するに、どうでもよかったのだ。
しかし、その後の事態はどこまでも予想外の方向に進んで行った。
世界的な一大事だから、どこの国もタリーニの情勢は細かく報道した。
聖都グレニカンがどうなったかも、あれやこれやと情報が入ってきた。
そこに至り、初めて自分が神託師である事に感謝した。
グレニカンは変わった。
多神教であるマルコシム聖教の教義の中では、ローナも数ある神様の
一人に過ぎない。だから天恵宣告も推奨されない。しかしこの部分が、
大きく解釈を変えられた。要するにローナの唯一性が何より重要視され
天恵宣告というものの価値が大幅に高められたのだ。今までとは逆に、
宣告を受けて得た天恵こそが尊い。それを使ってこその救済がある。
ロナモロスともマルコシムとも違う独特の統一教義がまとめられた。
さすがに世界基準ではないものの、聖都グレニカンはもうこれ一色だ。
昔に戻ったという表現にはかなりの語弊があるけど、天恵宣告の価値が
爆上がりしたのは事実だ。理由など何でもいい。宗教観も何でもいい。
そこにある現実こそが全てだ。
というわけで。
俺は家を出た。
もちろん家族の同意は得ていない。事実上の家出と言ってもいい。
どこへ行くかも言わない。言えば、確実に止められただろうからな。
俺は別に、自分のこれまでの人生を投げ出したわけじゃない。むしろ、
親父や爺さんに近い存在になろうとしたんだ。つまり生粋の神託師に。
副業を持つのを嫌がっていたなら、俺の選択にあれこれ文句を言うな。
説得するのが面倒だったからこんな手段を選んだが、それほど親不孝な
事をしたつもりはない。何たって、俺は神託師なんだから。
俺が国を出て向かったのは、むろん聖都グレニカンだ。あそこに行けば
人生が変わる。確信があったから、迷わず国を出た。
流浪の神託師ってのも、悪くない。そんな生き方もあっていいだろう。
一箇所に定住しろなんて決まりは、時代錯誤もいいところだ。俺には、
そんなカビの生えた決まり事に従う義理なんてない。
俺には天恵の宣告が出来る。なら、その力を存分に生かすべきだろう。
違うか親父。違うか爺さん?
俺はあの聖都で、人生を豊かにするきっかけを掴んでみせる。
前途洋々。ロナモロスに感謝だ。