ミクエを待つ者
あたしは、変わらず無力な存在だ。
あんな事があってなお、今の日常を抜け出すきっかけを掴めないまま。
二羽の鳥がメモで指示した場所は、確かにここからはほど近かった。
おそらく歩いて行ける。あたしでも問題なく、迷わずに辿り着ける。
行ってみたいという思いは確かだ。…正直、怖れも無くはないけれど。
ここで何もしないより、怪しくても足を踏み出す方を選びたい。それは
紛れもなく、今のあたしの本音だ。
だけど。
無力なお飾りであればこそ、今なおあたしには護衛が常についている。
あらゆる意味で敵を作り過ぎた今のロナモロス教の教主という事実は、
あたしにとってもそれなりに重い。暗殺される危険性も自覚している。
いかに人としての認識が軽くとも、ネイルたちにとってあたしはずっと
重要なコマだ。守ると同時に手元に留めておく。それは大事な事だ。
要するに、ここを離れるには護衛を振り切る必要がある。
あたしにどうしろと?
================================
簡単に他所に行けないと言っても、あたしは軟禁されてる訳じゃない。
どっちかと言うと、教団の今の活動から遠ざけられているという感じ。
はっきり聞いたわけじゃないけど、多分ネイルは「事が済んでから」、
あたしという存在を欲するだろう。事後処理というか、とにかく体裁を
整えるためのピースという感じだ。その点にもう、思うところはない。
ここにいるのは、教団の中でも特にネイルたちに忠実な信者たちだ。
天恵を得ているかどうかは知らないけど、いずれにしてもこのあたしを
預けるに値する忠誠心の持ち主。
つくづく思う。
もしあたしが、今ここで自分の命を絶ったとしても。
ネイルたちは、その事実に対応する策を講じて乗り切るのだろうと。
あたしという存在は、戦略という面において限りなく軽い。もはや、
まともに話そうという人すら滅多に顔を見せない。そんな気がないのか
または死んでしまったのか。そんな事すら、まともに知らせられない。
教主である今のあたしは、誰よりも教団の内情から遠ざけられている。
本気で逃げようと思えば、おそらく逃げられる。それがここの現実だ。
きっとネイルだって分かっている。分かっている上で、これでいいと
思ってるんだろう。このあたしが、本気で逃げるだろうとは考えない。
それは限りなく正しい。あたしが、どんな人間なのかを十分過ぎるほど
理解した上での合理的判断だ。
きっかけは得た。自分の中に在る、これからに対する思いも確信した。
ここにいたくないという気持ちも、紛れもない本心である。だったら、
あたしはどうすればいいのか。
教えてよ、二羽の鳥さん。
================================
翌日の午前。
あたしは護衛の者たちと共に、裏の庭を散策していた。その程度の事は
もちろん許されている。とは言え、妙な事をすれば護衛が黙ってない。
その事は十分知っている。なら…
「チチッ!」
出し抜けに聞こえてきたその声に、あたしはハッと思わず顔を上げた。
道の右前方にある木の枝に、憶えのある鳥が並んでいる。間違いなく、
昨日のあの喋る鳥だ。何だ、ここであたしに何をさせる気だろうか?
「どうしました教主。」
「いえ…」
問われて答えてから気付いた。今の自分が、立ち止まっている事に。
怪訝そうな護衛の視線が、あたしの見上げる方に向けられる。マズいと
一瞬思ったけど、見ているのは鳥。珍しくもないし、不自然でもない。
言い訳をする必要すらも…
刹那。
「「ジャアイコウヨ、ミクエ」」
護衛が視線を向けたと同時に、その鳥は声を揃えてハッキリ言った。
明らかに護衛に聞かれても構わないという態で、あたしに声をかけた。
一瞬の沈黙ののち。
「何だ、誰の差し金だこの鳥は!」
そう言いつつ、護衛は素早く腰から拳銃を抜いて構えた。狙うのは左の
鳥だ。それを目にしつつ、あたしはどうすればいいか見当もつかない。
ここで今、あたしが身を挺するってのはどう考えても違う。庇う義理が
何もないし、もし下手な事をすればさらに関与を疑われるからだ。
悪いけどあたしには、不用意な声を発した鳥を見捨てる選択しか…
「うぐぉっ!?」
次の瞬間。
護衛はくぐもった声を漏らし、糸が切れたかのように倒れ伏した。
見開いたあたしの目に、彼の足元をゆっくりと這う小さなヘビが映る。
まさか、あれがこんなとんでもないタイミングで彼に何かしたと!?
「コレデイイデショ?」
屈みこんで彼の胸に触れたあたしに対し、もう一方の鳥が問いかけた。
それに合わせるように、小さなヘビも動きを止めてあたしを見つめる。
「カレハネムラセタ。イマナラコノイエヲデテイケルヨ。」
「分かった。」
即答しつつあたしは、立ち上がってスカートの埃を払った。もちろん、
荷物を取りに戻る気などなかった。こうなってしまった以上、動くしか
選択肢がない。だったらもう地図を信じてここから離れるまでだ。
「行こう。」
「キヲツケテネ。」
裏庭から走り出たあたしに、二羽の鳥がふわりと近づいてきた。
もはや何も言わない。ならあたしも何も訊きはしない。少なくとも今、
問い詰めても何にもならないから。あたしはもう、前に進むだけだ。
早足で歩きながら、あたしは小さな覚悟を胸に抱いていた。
もう、ここには戻れないだろうと。
眠らせた?
違う。悪いけど、あたしは己の得た天恵についてはけっこう知ってる。
知っているからこそ、触れた手から伝わる情報もかなり正確だ。
倒れ伏した瞬間に、彼の呼吸はほぼ停止していた。あたしの【治癒】で
治す事さえもできなかった。つまり彼は、奇跡でもない限り死んでる。
眠らせると言って殺した。これは、紛れもない事実だ。小鳥たちのね。
与しやすいとか思って、そんな嘘をついたのだとすれば。
もう、後戻りは出来ない。
結果が何であろうと、ここにはもうあたしの居場所なんてない。
鳥の主に、会いに行くまでだ。