いざなう鳥の声
コンコンコン。
「え?」
堂々巡りの思考は、窓の外から届く小さな音によって霧散した。
視線を向けてみると、窓枠の部分に小さな鳥が佇んでいるのが見える。
よく見直すまでもなく、その小鳥は再び嘴でコンコンと窓を叩いた。
何だろうか。
鳥籠の如きこの部屋に、本物の鳥が訪ねてくるというのは少し皮肉だ。
でも偶然とは思えない。少なくとも今のあたしにとっては。
歩み寄って窓に手をかけたけれど、逃げる気配はない。わざと音を立て
勢いよく窓を開け放った。さすがにこれなら…と思った鳥は、予想とは
逆に部屋の中に飛び込んで来た。
「ええっ!?」
一瞬どうなるかと思ったけど、鳥は部屋の中を飛び回ったりもしない。
テーブルの上に着地し、そのままの態勢で顔だけこちらに向けている。
何だろう、座れと言うんだろうか。明らかに何かしらの意志を感じる。
ちょっと迷ったけど、あたしは己の感覚に従った。窓は開けたままで、
小鳥の正面の椅子に座る。よくよく見てみると、けっこう綺麗な鳥だ。
ブンチョウだろうか。ここまで人に慣れているところを見ると、誰かが
飼っていたのが逃げ出したとか…
「ネエ。」
「え?」
確かに聞こえた。
その鳥が発した声。
いや、「言葉」が。
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息を詰めたのはほんの数秒だった。あたしはじっと、鳥を見つめた。
そして。
「アナタ、コノママデイイノ?」
「…………………………」
やっぱりだった。
小鳥は、紛れもない「人間の言葉」を発した。それも声真似ではなく、
明らかに意味のある言葉を。
まさに今あたしが考えていた事を、見透かしたかのようなひと言を。
驚きはなかった。怯えもなかった。むしろ、何だか変な納得があった。
これが現実であろうとなかろうと、あたしはこの問いを待ってたんだ。
自分で問うんじゃなく、誰かからの問いかけをずうっと待ってたんだ。
たとえ小さな鳥であろうと、これを問うてくれる相手を待ってたんだ。
「いいとは思ってないよ。」
声が震えていないのが嬉しかった。
たとえこれが、あたし自身の病んだ心が生み出した幻だったとしても。
今のあたしの答えは決まっている。こんなの、いいと思うはずがない。
そうだ。
以前なら、ネイルのやっている事に疑問や葛藤などは一切抱かなった。
ただ求められるまま、教主としての空虚な責務を笑いながら果たした。
だけどもう、そんな風に生きていく道は選べなくなっていた。それは、
あたしに残る最後の人間性が成した事だと思う。いや、そう信じたい。
こんなままで、いいはずがないと。
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今度の沈黙は、さっきより少しだけ長かった。
そして。
「ナラアナタハナニガシタイノ?」
再び問いかけてきた鳥に、あたしは無意識に立ち上がって答えた。
「あたしに出来る事。誰かにやれと言われる事じゃなくて。あたしは、
それをやりたいの。ここじゃない、どこか違う場所で!」
言いながら、馬鹿げてると思った。あまりにも漠然とし過ぎていると。
何だ、出来る事って。ここじゃない場所って、具体的にどこなんだ。
言われなくても知ってる。あたしがこの程度の人間だって事くらいは。
とにかく具体性がない。この歳まで生きてきて、何ひとつ知らない。
誰かの助言が無ければ、外出さえもままならない飼い殺しの愚か者。
だけどね、鳥さん。
それでもあたしは、こんなままじゃダメだって事だけは分かってるよ。
今のままここにいたら、何ひとつとして成せないで終わるって事もね。
分かってる。よく分かってる。
いくらそんな思いを抱こうと、今のあたしに出来る事なんてほぼない。
ネイルを止める事なんて出来ない。その先の悲劇を止める事も無理だ。
最初から、あたしにそんな力なんて微塵もなかったんだから。
だから今のあたしが言ってる事は、本当にただのワガママでしかない。
このままでいたなら、あたし自身が終わってしまう。それが嫌なだけ。
何が成せるかなんて、そんなの今は分かるわけがない。世の情勢すらも
ロクに知らないんだから。
ただのワガママだよ。
教主じゃなく、ただのミクエとしてあたしは何かがしたいってだけだ。
自分の足で歩いた先で、自分の天恵で何かを成してみたいと思うだけ。
薄っぺらだよね。
だけどね。
どれほど薄くたって、あたしの心は確かにこの体の内側にあるんだよ。
何かしたいと、弱々しい声をずっとあげてるんだよ。
あなたみたいに飛びたいと、ずっと思ってるんだよ。
本当だよ。
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何を言ってるんだろうか。
こんな小鳥を相手に。
あたしはやっぱり、お飾りとしての生を全うする以外に…
バサッ!
小さな羽音に、我に返ったあたしはハッと窓の方に視線を向けた。
小鳥が去ってしまった音かと思ったけど、どうやら逆だったらしい。
窓の下に、色違いの小鳥がもう一羽佇んでいるのが目に入った。
「…え、お友だち?」
「ソウ」
呟きに答えた鳥が軽くさえずると、新たに現れた一羽がそのすぐ隣まで
一瞬で飛んできた。そして、揃ってあたしの顔をじっと見つめてくる。
…本当に色違いだ。色以外に違いが全くない。何だか作り物めいてる。
何なんだろう、この鳥は。まさか…
「ジャア、コノバショニキテ」
「えっ?」
後から入ってきた方の鳥が、右足で掴んでいた小さな紙をテーブルに
カサッと置いた。丸めてあるけど、何か書かれているのは見て取れる。
一瞬、気を呑まれてしまった。
「あの…」
「「ソレジャア、マタ」」
声を揃えた鳥が、同時に飛び立つ。並んで飛ぶ二羽は、そのまま窓から
一瞬で飛び出していった。あたしはただ、それを黙って見送った。
夢だったのだろうか。いや、違う。
窓からの風で、丸められたあの紙がかすかに転がったのを目にした。
全て現実だ。
不思議な事だったのか、それとも。
誰かの差し金だったのか。
正直、今はどっちでもよかった。
何にもないあたしに、初めて訪れた選択肢だ。おそらくとても大きな。
言われるまま生きてきたあたしに、初めて突き付けられた「選ぶ道」。
あたしは、迷わず紙を手に取った。
それが何をもたらすのかについて、今は考える気にもならなかった。
あたしは選ぶ。
ロナモロス教の教主である以外の、何かしらの道を。
どうせなら、そんな後悔がいい。