なかった事にはしない
その日は店を休んだ。
当たり前か。
話すべき事は、全て話し尽くした。俺もネミルもポーニーも、
さすがに三週間指輪をはめっぱなしにしていたせいで、ネミルの薬指は
皮がめくれて変色している。もはや動かすのもつらそうになっていた。
だけど、外すわけにはいなかった。外せばもう、世界はそのまま進む。
姉貴やドッチェさん、殺された人を救うための道は永遠に失われる。
受け入れるべきだ、という考え方もあるんだろう。否定する気はない。
理不尽に奪われる命というものは、今も昔も世界中で絶えない。
だけど、俺たち三人はそれを選びはしない。あくまでも抗う道を選ぶ。
手段があるからってだけじゃない。惨劇の引き金になったのはネミル、
その事実が揺るがないからだ。
天恵が自己責任だという事は、もう十分理解してる。ネミルも俺も。
その力で何をするかなんて、もはや神託師には関係のない事だろう。
だからと言って、関係ないと迷いもなく言い切る存在になりたくない。
ルトガー爺ちゃんを信じて、俺たち三人は挑む。
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「…もう間もなくですね。」
時計を確認したポーニーが告げる。彼女の記憶が唯一の頼りだ。
【死に戻り】の特性がどうであれ、「あの時間」に戻る手は尽くす。
目を向けると、ネミルは両手を固く握り締めていた。そこにある思いは
否応なしに伝わる。その怖れを誰が責められるだろうか。
これから死ぬ事への怖れを。
だけど俺は、もうその意思が揺らぐような言葉は口にしないと決めた。
今のこの俺が消えてしまうのなら、無責任は口にしたくなかった。
消えてしまうのなら。
俺は俺の務めを間違いなく果たす。それがネミルへの誠意だ。
張り詰めた沈黙ののち。
「トランさん。」
「ああ。」
「トラン。」
震えのない声で言い放ち、ネミルはまっすぐ俺の目を見た。
「悪いけど、お願いね。」
「分かった。」
即答した俺は、ネミルの首に両手をかけた。
その瞬間。
俺の中に、予想もしなかったほどの怒りの奔流が生まれた。
許さねえぞあの男。
絶対に許さねえぞ。
ネミルはこれから、俺に殺されたという記憶を抱えて生きる事になる。
それを知らない俺の顔を見ながら、一緒に生きていく事を強いられる。
どんなに事情を説明したって、俺がそれを実感する事はないだろう。
何でネミルがそんな運命を背負う。
神託師だからか?
違う。
冗談じゃねえ。世の神託師がそんな過酷な運命を背負ってるもんかよ。
ほとんどの奴らは、名ばかり世襲に胡坐をかいてるだけなんだろうが!
天恵は自己責任。
死に戻りだろうが何だろうが、別にこんな凶行に走る必要ないだろう。
お前は一体何なんだよ。神になったつもりか?
許さねえぞエゼル・プルデス!
「トランさん!」
「あああぁぁぁぁぁ!!!」
究極のお門違いなのは分かってる。
それでも俺は、湧き上がった怒りのまま、首を絞める手に力を込めた。
俺のネミルを
この手で
せめて迷いなく
長引かせず
叫びながら、渾身の力を込めた。
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………………………
………………
「エゼル・プルデスさん。」
自分の声で、意識がはっきりした。「今」の状況も一瞬で把握できた。
ああ。
戻って来たんだ。
紛れもない、この瞬間に。
「…トランさん、話を合わせて。」
すぐ背後で、ポーニーが押し殺した声でトランに呟くのが聞こえた。
全ては数秒の出来事だ。これ以上、言葉の空白は許されない。
お願い、前と同じように遮って!!
「あなたの天恵は…」
………………
何で?
知ってるはずなのに。
どうして遮らないの?
ポーニーの言葉が疑われたの!?
あたしの沈黙がまずかったの!?
このまま天恵を告げてしまったら、今度こそこの男は…!!
………………
永遠を思わせる、数秒後。
「そう言えば、あのキャリナ・ミンとかいうくだらねえ女な。」
「えっ?」
背後で、トランがポーニーにそんな話を振り始めていた。
え?
どうしてあなたが、その名前を…?
「股くらもだらしない女だったが、頭の方もどうしようもなかったぜ。
馬鹿みたいに次から次に男にしっぽ振りやがって。まあ、あんな女に
熱を上げてた野郎こそ、本物の馬鹿だろうけどな。どう思う?」
「い、いや、どうと言われても…」
「お客さんはどう思う?」
え?
何?
お客さんってまさか、この男?
それってつまり…
ゾッとするような殺気を、目の前の男から確かに感じた。
狂気に満ち満ちたその目に、確かに見覚えがあった。
立ち上がるエゼルの右手に握られていたのは、あの時のナイフだった。
そう、ディナさんの命を奪ったあの忌まわしい凶器だ。
「ああ、馬鹿な女だ。そしてお前も同じくらい馬鹿だぜ。」
裏返った声でそう言ったエゼルが、目の前のあたしを睨み据えて高々と
ナイフを振り上げた。
その瞬間。
全く奇妙な話だけど。
あたしの心をいっぱいに満たしたのは、達成感と深い安堵だった。
ああ。
そうだったんだ。
ありがとね、トラン。
あたしを
見失わないでいてくれて。
「動くんじゃねえエゼル!!」
ガキィィン!!
怒りのこもった叫びが店内に轟き、エゼル・プルデスの体は硬直した。
形容し難い表情を顔に貼り付けた、物言わぬ醜悪な彫像と化した。
どうだ人殺し。
思い知ったか。
あたしの大好きな許嫁はね
魔王の力を持ってるんだよ!!