トランの本領
朝に辿り着いたのは、ヤマン北部においても屈指の大都市・シルト。
もはや誰の顔色も窺わない。文句があるならかかってこいという気概で
一気に突き進む。当然の事ながら、街の手前にかかる橋で止められた。
既に噂が届いているのか、こちらのキッチンカーを見ただけで険悪だ。
近付いてくる二人のその背に、悪意がはっきりと見えるようである。
いや、違う。「ようである」どころじゃない。はっきり見えている。
他の人間ではなく、この俺にはな。
自動小銃を小脇に構えたまま近づく二人が、ヤマン語で何か言う前に。
「街で商売する。通してくれ。」
素っ気なく言った俺のその言葉に、二人はしゃんと背を伸ばした。
並んで見送るその目の前を、悠々と車に乗ったまま通過する。
ご苦労さん。
================================
そのまま街の中央の駅前へ。当然、色んな意味で目立ちまくっている。
キッチンカーってのも異様なのに、乗ってるのは明らかにイグリセ人。
何が気に入らないのか知らないが、相変わらず通りすがる人間の視線が
険しい。いや、敵意に満ちている。
望むところだ。
俺たちはただ、商売をするだけ。
後部コンテナから降りた俺は、手を口元に当てて声を張り上げた。
「移動店舗の喫茶店でぇす!各種、飲み物と軽食を揃えておりまぁす!
ご希望の方はどうぞ遠慮なくご来店くださあぁぁい!!」
ギュイン!!
まるで霧か何かのように俺の視界を漂っていた悪意の澱が、その怒声で
一気に弾ける。より正確に言えば、発生源たる周囲の人に粒子となって
解け戻っていく。何となく、天恵を宣告された時のエフェクトに近い。
もちろん見えているのは俺だけだ。ローナにさえ視認できないらしい。
霧が晴れたかのように、周囲の人の顔から険が取れるのが見て取れた。
そして足を止め、チラホラと店先に並び始める。おお、いらっしゃい。
ここでもうひと声。
「注文は英語でお願いします。」
「コーヒーをくれ。」
「モーニングセットを。」
「トールニージュースって何?」
さあて、忙しくなってきたな。
今日も稼ぐとしよう。
================================
さすがに入国前にあれこれ調べた。ヤマン共和国において、移動店舗の
営業は違法でないかどうかを。まあもちろん、調べたのはローナだが。
さすがに俺たちには、そんな事までわざわざ調べに行ける余裕がない。
図書館なり何なりに足しげく赴き、細かい法律を調べてきてくれた。
…本当にこの恵神、面倒臭がる時とそうでない時との差が激しいなあ。
結果的に、これといって問題になる要素はなかった。…とは言っても、
キッチンカーなんてものがそもそも想定されてないのが理由だろうが。
何にせよ、俺たちのやってる事自体に問題があるわけじゃない。なら、
堂々と商売をしていいはずだ。
由来の分からない悪意に関しては、もうあれこれ考えるだけ損である。
俺たち自身に嫌われる理由が無いのなら、嫌われ続ける必要もない。
俺たちはただ、商売したいだけだ。多少のズルはあっても、詐欺紛いの
事をやる気もない。ごく真っ当に、自分たちの味を売りたいだけの話。
じゃあもう、開き直ればいい。そう提案したのは他でもないネミルだ。
何か吹っ切れたように、俺に対して畳みかけてきた。
「【魔王】の天恵を使えばいいよ。それで商売をしよう。」
「は?」
「悪意を持つ者の意志を操れるならむしろ好都合。そうでしょ?」
「ええー…」
返答に窮した。
倫理的にどうなんだという葛藤と、それをネミルが言い出した困惑と。
ないまぜになった感情が、俺の心を迷わせた。
「うん、いいんじゃない?」
あっさりとそう言ったのは、案の定傍らに座るローナだった。
迷いがないなあ、この恵神…
「怒らせて従わせるのが嫌いなのは知ってる。つきあいも長いからね。
だけどこの国の人間は、最初っからあたしたちを嫌ってる。って言うか
敵意をむき出しにしてる。もしも、これが誰かの意図的な事なら。」
そう言いながら、ローナは俺の顔をきっかりと見据えた。
「あんたが天恵の力で対抗しても、文句を言われる筋合いはないよ。」
「あっさり言い切ってくるなぁ…」
どう反応すりゃいいんだよ、俺は。
倫理的な意味で言えば、俺なんかに断言できる問題じゃない。ってか、
そういう意味では俺は自分の天恵を完全に持て余してると言っていい。
宣告を受けた日から今日まで、俺はずっと天恵に名前負けしてるんだ。
本当にいいんだろうか。
恵神ローナが許可してくれるという現実は、確かに何より心強いけど。
何と言うか、それで簡単に決めたら後戻り出来なくなる気がする。
人間であろうと思うなら、そういう無茶をやるのはどうにも…
「無理強いしなきゃいいじゃない。そこはもう、あたしが許すから。」
「………………………本気か?」
「もちろん、本気も本気。」
「分かったよ。」
ついに俺は、笑い出してしまった。
そこまでネミルに断言されたなら、もはややるしかないじゃないかよ。
恵神ローナと神託師からの言質が、今まさにまとめて取れたんだから。
ここでやらなきゃ男が廃る。いや、魔王が廃るってもんだ。
開き直った途端、俺は己の天恵への認識が切り替わった感覚を得た。
よっしゃ、やったろうじゃんかよ。
================================
と言うわけで、まず小さな街で実験をしてみた。
何をどこまで操るかという部分は、本当に探り探りである。ただひとつ
法に抵触しそうな事はしないように心がけようと決めた。漠然としては
いるけど、それでまあ十分だろう。それこそ、考え出すとキリがない。
恐る恐るだったけれど、予想以上にこっちの想定通りに事が運んだ。
俺はとにかく、誰かを怒らせるって手順が嫌いだった。必要な事だとは
言っても、わざわざ他人に嫌われる言動をして気分が上向くわけない。
この部分で、俺は自分の得た天恵がどうにも好きになれないのである。
だが、今はその手順が不要である。顔を見せれば、相手は悪意を持つ。
可視化されるんだから、そうなればもはやただのカモでしかない。
しっかりと念を込めるまでもなく、俺の言葉に少しでも要望が混じれば
聞いた人間はそれに従ってくれる。いやはや、まさかこんな手軽とは。
あらためて【魔王】の威力ってものを痛感した。
後はもう、開き直るだけだ。
「これを買え!」なんて言わない。ただ注文を聞いて対応するだけだ。
注文を訊くのも広義に命令だから、相手はたちどころに従ってくれる。
おそらく、これを無効化できる人はペイズドさんだけだろう。
そもそも何も注文したくない人間は来ない。「何もいらない人」として
去っていくだけ。支配した悪意は、少なくともその場で再燃する事など
ないらしい。俺たちがその人の視界から消えれば、無かった事になる。
いいじゃないか、この状況。
入れ食いとまではいわないものの、商売としてはかなりウハウハだ。
俺もネミルも、ローナもタカネも。もはや完全に開き直っているから。
この調子で荒稼ぎしながら、一気にネイルの許まで辿り着いてやる。
…いや、気をしっかり持てよ俺。
【魔王】に呑まれないようにな。