モリエナの右手首
チリリン!!
「モリエナ!」
「大丈夫か!?」
我先に飛び込んだあたしたちの目の前に、腕を抑えてうずくまっている
モリエナの姿があった。もちろん、機械人間のゲイズはいなかった。
『急いで。』
あたしたちにも聴こえる声が、すぐ傍らにいるランドレのメガネから
届く。もちろんタカネの声だった。それを受け駆け寄ったランドレが、
慌ただしくメガネを外して目の前のモリエナに掛けさせる。もちろん、
手探りだ。トライアルεを外すと、ランドレは何も見えなくなるから。
それでも彼女は迷わなかった。
「お願いします!」
『任せて。』
ごく小さいけれど、タカネの言葉に迷いや気後れの響きはなかった。
その様子を見守るあたしもペイズドさんも、今さら不安など抱かない。
信じたからこそ、ゲイズとの決着を任せたのだから。
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既に、手首の出血は止まっていた。切断面も薄い組織で塞がれている。
顔色はまだ悪いものの、モリエナは激痛に耐えている風でもない。
理由はもう、場にいるあたしたちはきっちりと理解していた。
ゲイズの復活。
シャドルチェの脱獄。
それらの情報を鑑みれば、自分たちに復讐しに来る可能性は高かった。
だからこそ、どうすべきかについて本気で話し合っていた。二人同時に
来る可能性は低いと思ったものの、やはり想定はしておいた。結果的に
可能性は全て考えておくのが大事…という事だったね。
モリエナはまだ、手首の補助としてタカネの群体を身に宿している。
そしてその状態では、【共転移】を使う事が出来ない。その事はもう、
共通認識だ。だからキッチンカーに荷物を届ける際には、必ずタカネが
離脱してから天恵を使っていた。
しかし実際のところ、彼女の手首はほぼ完治していたらしい。ならば、
どうしてずっとタカネの機能補助を受け続けていたのだろうか。
その問いに対し、モリエナは迷いのない口調で答えた。
「あたしは、ゲイズの性格を誰より知っていますから。」
そこには、彼女なりの覚悟のようなものがあった。
ゲイズを知っているからこそ。
己との因縁を憶えているからこそ。
相手が何をするかを見据えた上で、落とし前をつけたいという話だ。
『分かった。』
無茶だとか何とか、あたしたちにはそんな事を言う間もなかった。
モリエナの覚悟を聞いた、他ならぬタカネが受け入れたから。もはや、
割り込む余地などなかった。
やっぱり吹っ切れてるんだなあと、感慨が湧くばかりだった。
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「おぉ…」
滅多な事では動じないペイズドさんも、さすがに驚嘆の声を上げる。
むろんあたしも、目の前の光景には圧倒された。
トライアルεを掛けたモリエナの手首が、音もなく再生していく。
生半可な天恵などでは成し得ない、神の御業と言ってもいい現象だ。
…いや、あの神でも無理かなと一瞬考えてしまったけど。
最初に骨が。そして神経が。続いて血管と筋組織が。段階を経て徐々に
形成されていく。現実味はないけど圧倒される、不条理な光景だった。
ずっと前にタカネから聞いていた。
この世界の人間は、かつての彼女の世界の人間よりも「近い」のだと。
生物としての起源などが彼女の言う「地球人」に近いため、じっくりと
解析すればかなりの事が出来るようになると。さすがに聞いた時には、
サッパリ実感が湧かなかったっけ。
だけど今なら、タカネが言っていた事の意味が否応なしに理解できる。
つまり、こういう事が出来るようになるという話だったんだね。
何度も聞いた話だけど、モリエナはタカネとの共転移が出来ない。
だからこそ、あえてゲイズに右手を「斬らせた」のである。もちろん、
機能補助をしていたタカネの大半は斬られた手首の方に宿っていた。
そして以前にもやったように、手首だけでゲイズを火山に転移させた。
何もかも常軌を逸しているけれど、それが彼女の落とし前だったんだ。
もちろん、今のモリエナの体内にも少しだけタカネはいる。しかし数が
きわめて少ないため、止血や痛覚の遮断といった措置しか出来ない。
だから、モリエナが常に掛けているトライアルεが必要だったんだ。
既にタカネは、モリエナの体組成を完全に解析している。ナノ処理さえ
行使できれば、こんな風に手首ごと再構築する事が出来る…という話。
いやはや、超越してるなあホント。
真似できないよ。
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『ハイ、完了。』
数分後。
皮膚の形成が成され、タカネの声があらためて小さく聞こえた。
じっと堪えていたモリエナもまた、大きな息をついて立ち上がる。
ずっと自分を支えていたランドレの手を取り、互いに支え合いながら。
「大丈夫?」
「何とか。でも疲れました…ってかお腹空いた…」
「何か作るよ。」
あたしに出来る事なんてそれだけ。ならさっさとやろう。
いつの間にかペイズドさんが、扉に「臨時休業」の札を掛けに行って
くれていた。ま、さすがに休みだ。こんな事があったんだからね。
「ありがとう。これ返すね。」
「うん。」
すぐ傍らの椅子にそっと座り直したモリエナが、トライアルεを外して
ランドレにそっと手渡した。それを掛け直したランドレが小さく笑う。
「よかった、みんな無事で。」
「だね。」
『とりあえずあたしは全てこっちに移った。あなたの体には、一個体も
残ってないからね。』
「お世話になりました。」
どこからか届くタカネのその声に、モリエナは迷いなくそう答えた。
ワキワキと動かす右手には、もはや違和感などは残っていないらしい。
色んな意味で、モリエナがタカネという存在から卒業したって事かな。
喜ばしいと言っておこう、うん。
さてと。
何とかトランさんたちの手を借りず解決できた。全員、生き残れた。
じゃあ、後始末にかかろうか。