シャドルチェの末路
ほどなく、伯母さんはひと声呻いて目を覚ました。殴ったくらいじゃ、
この人は参らないだろうからね。
「気が付きましたか。」
「…ランドレ。」
あたしを呼ぶ声に殺気がこもるのが分かったけど、もう気にしない。
あたしがこの人と分かり合う日は、たぶん来ないと思っているから。
あたしの隣に屈みこんだ伯父さんの顔にも、諦めの表情があった。
「すまんな、手加減できなくて。」
「…本気で言ってるわけ?」
伯父さんの謝罪に、伯母さんは侮蔑のこもった言葉を返す。おそらく、
甘いと思ってるんだろう。あたしも伯父さんも。
確かにそのとおりだ。
とりあえず両手は縛っているけど、がんじがらめにした訳じゃない。
そして何より、伯母さんはあたしと伯父さんを今も「睨んで」いる。
つまり、視覚を維持しているという事だ。
【洗脳】の天恵がどれほど危険かを知っている者の処置だと考えれば、
確かに甘過ぎると思われるだろう。
あたしにも伯父さんにも、その力はもはや通用しない。だとしても、
伯母さんが危険であるという事にはいささかも変わりない。
「で?」
口を歪めて笑った伯母さんが問う。
「お優しいあなたたちは、あたしをどうするおつもりかしら?」
「もちろん、警察に引き渡すよ。」
淡々と答えたのはあたしではなく、伯父さんだった。
「ネイル・コールデンが、ヤマンで何をしようとしているのか。それを
話してくれるなら、引き渡す際にも情状酌量を願う。それを」
「ハハッ!!」
皆まで聞く前に、伯母さんは甲高い笑い声を上げる。その気持ちは、
あたしにもはっきり判った。きっと聞くに堪えないと思ったんだろう。
無理もないと、あたしも思うから。
「このあたしに、そこまで生ぬるい情けをかけるってのか。バカなの?
あんたたち、どこまでおめでたい事ばっかり考えてんのよ?」
「悪い?」
あたしは、素でそう言った。
もう、丁寧に言い繕う気にはとてもなれなかったから。
「あたしにとっては、たった一人の伯母さんなんだよ。」
「は?」
「あなたがあたしをどう思おうと、その事実は変わらない。だったら、
残酷な報復なんてしたくない。その気持ちを否定される覚えはない!」
言いながら、あたしは涙を零した。
もう光を宿さない目から。
そうだ。
あたしは、伯母さんとは違う。
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「吐き気がするわね。」
伯母さんからの返答は、どこまでも予想の枠の中だった。もう今さら、
期待なんかしてなかったけど。
「まあ、んじゃ好きにしなさいよ。メイをどうにか出来たらだけど。」
「そうします。」
落ち着いた。我ながら、ずいぶんと切り替えが早くなったなと思える。
じゃあ、宣告通り警察に引き渡す。まだ刑期は残ってるだろうからね。
だけど、その前に。
伝えるべきは伝えとかないと。
あたしは伯母さんの顔を見据えて、トントンと自分の目の横を叩いた。
「……………?」
怪訝そうだった伯母さんが、やがてハッと自分の目の横を縛られた手で
確かめる。やっぱり、全然気づいていなかったらしい。それだけ視界に
違和感が無かったんだろうね。
さすがは、タカネさんだ。
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「何よこれ。」
「偏光グラスです。」
伯母さんの問いに、あたしは事務的な口調でそう答えた。
そう。
気絶している間に、伯母さんの目は薄い透明結晶に覆われていたのだ。
もちろん、あたしが常時かけているトライアルεのタカネさんの仕業。
竜皇玉という、ものすごく硬い物質を使って作ったメガネである。
「くっ…!!」
「あ、外せませんよ絶対に。」
透明な側部フレームを掴もうとする伯母さんに、あたしはそう告げる。
仕様はもうタカネさんに聞いてる。
「外側から頭蓋骨に融合してます。外そうと思えば骨を削るしかない。
割ろうと思っても、通常の鈍器とか弾丸じゃ無理です。大砲の砲弾か、
削岩用ハンマーを使わないと。」
「何ですって!?」
「もちろん、そうして割った瞬間に目も頭も間違いなく砕け散ります。
その覚悟がないなら諦めて下さい。まあ、すぐに慣れますから。」
「何でこんなモノを…!」
「決まってるだろうが。」
あたし以上に事務的な口調で、隣の伯父さんがそう言い放った。
「そうしている限り、お前の天恵の光は分解されて散る。つまりもう、
二度と洗脳は出来ないという事だ。そのくらい、当然の措置だろう?」
「………………ッ!!」
ギリッという歯軋りの音が響いた。だけどもう、何とも思わなかった。
いや実際、当然でしょ?
むしろ視覚そのものを失うわけじゃないんだから、温情だと思ってよ。
伯母さんから、天恵を奪ったら何が残るのか。もうあんまり興味ない。
これ以上関わる気もない。だから、勝手に生きていってくれればいい。
これでさよならです、伯母さん。
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「ありがとうございました。」
あらためて昏倒した伯母さんの姿をレンズに映しつつ、あたしはお礼の
言葉を述べた。もちろん伯父さんにじゃない。トライアルεに、である。
ここには紛れもなく、タカネさんが宿っているから。
『ま、こんなのは慣れっこよ。』
骨伝導で、そんな言葉が伝わった。
『ニアデの亜流だと考えればね。』
「ニアデ?」
『ずっと昔に手を焼いた、隷縛呪法ってやつよ。気にしなくていい。』
「了解です。」
短く答え、あたしはちょっと笑う。
そう、もうあんまり気にしないよ。何もかも過ぎた事なんだから。
それで…
「ポーニーさんが戻ったな。」
伯父さんのひと言に振り替えると、確かに彼女が駆け寄って来ていた。
「大丈夫だった?」
「ええ、もちろん。」
「このとおりです。」
足元に転がる伯母さんの姿を見て、ポーニーさんは肩を竦める。
「なるほどね。それで…」
言いながら、その視線はお店の方に向けられた。
「あっちは?」
「来るな、との事らしいです。」
タカネさんの言葉をあえてそのまま伝えると、伯父さんとポーニーさん
両方の表情が少し険しくなる。でも抗議の言葉などはなかった。
そう。
モリエナは、決して独りじゃない。
そして。
彼女もまた、過去と向き合う覚悟を持っているのだから。