ケールソンの後悔
ポーニーが店を出ると同時に、場は動いた。
一瞬だった。
「会いたかったわよ、あなた。」
艶めかしくそういい放つと同時に、シャドルチェの瞳が紫の光を放つ。
何か言う間さえなく、カウンターの奥のペイズドの動きが止まった。
「トラン・マグポットは、ここには居ないのよね?」
「ああ、いない。」
「分かった。」
抑揚のない口調で己の問いに答えたペイズドに頷き、シャドルチェは
すぐ傍らに立つメイに向き直った。
「悪いんだけど、夫婦の話ってのがあるからさ。ちょっと出ていい?」
「ええ、別に構わない。だけど…」
そっけなく即答したメイが、口調にほんの少し凄みを込める。
「遠くには行かないでよ。」
「了解。」
笑いながら答えたシャドルチェが、ゆっくりとペイズドに手招きした。
「さ、いらっしゃい。外で思う存分愛を語り合いましょう。」
「…ああ、わかった。」
「伯父さん!!」
「動くな。」
駆け寄ろうとしたランドレを、低い声が制する。洗脳の天恵ではなく、
殺気のこもった恫喝の言葉だった。それを受けランドレは立ち止まる。
死を思わせる沈黙ののち。
「ってか、あなた見えてるの?」
興味深げに問うたのはメイだった。
「確かに冷気で眼球を凍結させたと思ったんだけどさ。」
「…………」
ぐっと拳を握り締めたランドレが、低い声で答える。
「…どうにか視野は回復しました。天恵は使えなくなりましたが。」
「ああ、そうだったんだ。ゴメンね邪魔して。」
「もういい?」
「どうぞ。」
「じゃ、行きましょうかあなた。」
「ああ。」
ゆっくりとカウンターの奥から出たペイズドの両目に、ランドレの姿は
映っていなかった。そのまま彼女の前を横切り、シャドルチェの傍らに
歩を進める。
「悪いわねえ、ランドレちゃん。」
「…伯父さんをどうする気です。」
「あなたには関係ないでしょ?」
「ありますよ!」
傍らにメイ、もといゲイズがいるという事実に怯む事なく、ランドレは
厳しい声を張り上げる。しかしその言葉を、シャドルチェは流した。
「だったら、あなたも来なさいよ。別にいいわよね?」
「逃がさないならね。」
「もちろん。」
それだけ言い捨てたシャドルチェは踵を返し、さっさと入口に向かう。
手招きされたペイズドも後に続く。下唇を噛み締めていたランドレも、
やがて二人を追って店から出た。
チリリン。
涼やかな音が響き、やがて店内には冷え切った静寂だけが満ちる。
残ったのは三人だけ。距離を置いて睨み合うメイとモリエナ。そして、
【共転送】でメイとシャドルチェをこの場に呼び込んだこの俺だ。
「さて、再会のお祝いでもする?」
「結構です。」
パキン!
空気が乾いた音を立てる。
吐く息がかすかに白くなっていた。
「……………マジかよ。」
ポツリとそう呟いた俺は、目の前で向き合う二人を交互に窺う。
まずい。
この状況は限りなくまずい。
もちろん、二人の細かい因縁などは全く知らない。興味さえなかった。
今となってはもう絶対に知りたいと思えない。命にかかわるだろう。
しかしもう、手遅れだ。
おそらくこの店の現状は、ヤマンにいるオレグストにも想定外だった。
そもそもブリンガー・メイがここに来たのは、シャドルチェを監視する
役割を持っているからだ。つまり、彼女には確たる目的などなかった。
しかし結果として、ここにはトランはいなかった。代わりにランドレと
モリエナがいた。カウンターの奥にいたのは、ランドレの伯父らしい。
期せずして、当初の目的よりずっとオイシイ獲物がいたって事だろう。
正直、俺にとってはまずい状況だ。
まともに考える余裕が無かったから連絡を入れた。その結果がこれだ。
ハッキリ言って俺は、完全に逃げる機を逸した。状況の急変に戸惑い、
動けなかった。本当なら、さっさと出ていくところだったのに。
モリエナは殺されるだろう。もはやその想定には確信がある。
ゲイズ・マイヤールを殺した人物については、少なくとも教団の中では
最後まで明確にされなかった。が、ある程度まで情報に通じていれば、
それなりに分かる事がある。恐らくゲイズを殺した相手は、何かしらの
形でモリエナに関わりがある。
この上ない状況が揃ったからこそ、メイは迷わずこの店にやって来た。
自分の死のきっかけの一端であろうモリエナを、自分の手で殺すべく。
まずい。
おおよその事情が分かってしまった今だからこそ、俺は報告した事を
後悔し始めていた。店主のトランはいなかった。それだけ言っておけば
この二人もわざわざこの店までは来なかっただろうに。
この期に及んで、モリエナの命ってものを惜しんでるんじゃない。
ゲイズに見つかれば殺されるって事くらい、覚悟はしていただろう。
もししていなかったのなら、今からすればいい。
だが俺はどうなるんだ。
これほどはっきり殺意を見せているメイが、俺に配慮するだろうか。
巻き添えで死ぬなんて、そんなのは絶対に御免だ。
どうなるんだ、この俺は。
一体、どんな結末が待ってるんだ。