戦慄の帰還者
「えっ!!?」
皿の片づけをしていたポーニーが、前触れもなく驚きの声を上げた。
もちろん、傍らにいた俺も驚いた。
「どうした!?」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。今日って…!?」
脈絡なく取り乱すポーニーは、壁のカレンダーをあわてて確認する。
数瞬前までは普通にしていたのに、何故か完全にパ二クっていた。
「今日がどうしたんだよ。」
「いや、あの…」
そんな厨房の奇妙な騒ぎをよそに、ネミルは客に向かって天恵の宣告を
しようとしている。初めての客で、珍しく天恵宣告の方が目的だった。
「騒ぐなって。」
「え…」
何とかポーニーを落ち着かせている間に、天恵は見えたらしい。
ネミルが居住まいを正した。
「エゼル・プルデスさん。あなたの天恵は…」
「いや、やっぱりもういい。」
「えっ?」
ネミルの言葉を遮ったエゼル氏は、そのままふらりと立ち上がった。
何だ、何で今さらやめるってんだ?…まさか金が惜しくなったとかか?
「どうしてですか?」
「必要なくなったんだ。ま、代金は置いていく。手間かけたな。」
そう言って、エゼル氏はポケットを探り財布を取り出す。それを丸ごと
テーブルの上に置き、ニッと小さな笑みを浮かべた。
「………………」
疑問の言葉をぐっと呑み込むネミルの気持ちが、よく分かった。
気安く声をかけられない、どうにも形容し難い異様な笑みだった。
来た時はこんなじゃなかったのに、どんな心境の変化があったんだ?
「それじゃ。」
「あの…」
直感的に引き留めようとした声は、そのまま流された。俺としても、
あまり強く引き止めたくない。その思いが勝り、出て行くに任せた。
…正直、もうあまり関わりたくないという気持ちも強かった。
まあ、滅多な事は起きないだろう。それよりさっきのポーニーは何を…
悲鳴が聞こえてきたのは、それから一分も経っていない時だった。
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「ごめんねエゼル。」
告げる彼女の声にも顔にも、さほど申し訳なさそうな気配はなかった。
むしろ清々したとでも言いたげに、嫌味なほど俺の目を直視してくる。
まるで、全ての責任が俺にあるかのように。
どういうつもりだ。
プロポーズしたのはほんの十日前。その場で受けたのはお前のはずだ。
それとも人違いでもしているのか。彼女は本当にキャリナなのか。
「あなたが嫌いになったというわけじゃない。それだけは分かってね。
あたし、やっぱり後悔はしたくないからさ。」
「…そうか。」
もっといい男が現れたからそっちに乗り換える。そういう事なのかよ。
「…そんな風には取ってもらいたくないなあ。」
「じゃあ何だよ。」
「怒らないでよ。」
怒るな?
怒るなだと?
どこまで勝手なんだこの女は。
もはや未練など欠片もない。ただ、目の前の女が憎かった。
自分に非があるとは、欠片も考えていないのだろう。その顔が憎い。
「君もいい相手を見つけてくれればいい。そうだろうプルデス君?」
「………………」
引け目も何もないから、俺に対してそんな風に堂々と物申せるのか。
新しい男は、俺より明らかに金持ちであり、社会的な立場も高かった。
つり合いが取れないと、そんな風に言われている気がした。
「分かりましたよ。」
言い捨て、俺はその場を後にした。もう、こいつらの顔は見たくない。
ただその思いだけが心を満たした。
「悪いけど、あたしの荷物そっちで全部処分しておいて。ね?」
「分かった。」
振り返らずに答える。
ああ、もちろん処分してやるとも。全て燃やし尽くしてやる。
勝手にしろ。
破局など、呆気ないものだった。
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婚約破棄された噂は、あっという間に職場にも広まった。もちろん、
同僚たちは同情的だった。しかし、慰めも励ましも激しく癇に障った。
皆の気遣いには感謝したが、やはりほっといてくれという思いが勝る。
腫れ物に触るような扱いは、むしろ俺の神経を逆撫でした。
そのうちに忘れるだろうと思った。が、憎悪も苛立ちも日を追うごとに
強まっていく。こんな生き方などは望まないと思いながらも、今の俺は
もはや憎しみの塊だった。
そんなある日、久し振りに再会した知人から妙な話を聞いた。
ミルケンの街に、若い女の神託師がいる喫茶店があるらしい。そして、
そこでは格安で天恵の宣告を受ける事が出来るとか。
何かを期待したわけではない。が、とにかく己の何かを変えたかった。
だから俺は、わざわざミルケンまで足を運んだ。話の通りの喫茶店を
見つけ、神託師にも会えた、想像と違い、まだ子供とも言えるくらいの
少女だった。…この際何でもいい。値段も安いし、試さない手はない。
これで何かしら景気のいい天恵でも得れば、俺の人生も少しは…
「エゼル・プルデスさん。あなたの天恵は【死に戻り】です。」
…はあ?
何だそれは。
死んで戻るってどういう意味だよ。
「…すみません、勉強不足で。」
申し訳なさそうな少女を、さすがにそれ以上責める気にはなれない。
…結局のところ、何の気晴らしにもならない徒労に終わった。
だが。
死に戻りという言葉は、澱のように俺の心の中にとぐろを巻いていた。
死んで戻る。誰がどこに戻るんだ。いや、戻るのは俺自身なんだろう。
死んで戻る。
死んで戻る。
俺はその言葉に憑りつかれていた。
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三週間後。
あの女は、盛大な結婚式を挙げた。もちろん俺は招待されなかった。
だが、俺の友人は何人も招待されていた。ああ、あいつはそんな女だ。
いいさ。
俺はもう、決めていた。
死んで戻る。
面白いじゃないか。
それが自分の天恵なら、死んでみるのも悪くないかも知れない。
だったら、死ぬ前に自分がやりたい事をきっちりとやってやるさ。
そうだ。
死ぬ前に殺す。
俺を裏切った女を。
そんな女を肯定する奴らを。
もはや迷いも何もなかった。
俺は数本のナイフを懐に忍ばせて、式場に踏み込んだ。
ああ。
顔を見たら怖じ気づくかも…という考えは、薄っぺらな杞憂だった。
むしろ顔を見た瞬間、清々しいほど迷いがなくなった。恐怖に歪む顔は
いつよりも蠱惑的だった。目の前に立ちはだかったあの男をまず殺し、
次にあの女にナイフを突き立てた。聞こえる悲鳴は遠かった。
周りにいる奴を片っ端から刺した。結果は見なかった。興味なかった。
ただただ刃物を振り回した。そして警官が来る前に、自分の頸動脈を
迷いなく切り裂いた。他の誰よりも手応えの無い、それでいて快感を
覚える感触だった。
死んで戻る。
いいじゃないか。
さあ、俺はどこに戻るんだ?
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………………
………………
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「えっ!!?」
頓狂な声が、俺の意識を引き戻る。うるせえな、誰だ?
そんな事を考える間に、ゆっくりと視界が戻ってくる。
俺の目の前に座っていたのは、あの神託師の少女だった。
……………
なるほど。
ここへ戻ったのか。
確かに死に戻りだな。
「エゼル・プルデスさん。あなたの天恵は…」
「いや、やっぱりもういい。」
「えっ?」
戸惑う少女に、もう用はなかった。
ああ、もういいんだ。
俺は戻って来た。
「死に戻り」の意味も分かった。
いいじゃねえか。
最高だ。
クセになるねえ。
「どうしてですか?」
「必要なくなったんだ。ま、代金は置いていく。手間かけたな。」
もう金なんか必要ない。どうとでもなる。ならなけりゃ戻るだけだ。
さあて。
もう一回、殺して死ぬとするか。
とことん楽しんでやるよ。