シャドルチェの要求
「さて、と。」
最初から長くなりそうもない話が、一段落した時点で。
その声を上げたのは、シャドルチェだった。
「ここまであれやこれやと手伝ったわけだから、少しはあたしの要求も
聞いてもらえるかしらね。」
「要求?」
ネイルがそう答えるのに合わせて、何となく場の空気が緊迫する。
来たばかりの俺やカイにも、そんな空気になる理由は分かっていた。
どこまでも、当然の事だから。
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シャドルチェ・ロク・バスロ。
イーツバス刑務所に投獄されていたこの女の天恵は、ランドレと同じ
【洗脳】だ。視線を合わせた相手の意識を支配する、実に強力な能力。
後ろ暗い方法で勢力拡大を目論む、ロナモロス教には絶対必要だった。
だからずいぶん前、イーツバスまで今は亡きエフトポが会いに行った。
もちろん、その時は脱獄などという物騒な前提は持ち込まなかった。
司法取引なり金銭的な買収なりで、彼女を釈放させられないか…という
ごくごく真っ当な相談をしに行ったのである。だがその時は結果的に、
相談そのものは「無理」という事で終わっていたらしい。
要するに、彼女はこっちが想定する以上に危険視されていたって事だ。
罪状の内容より、むしろ天恵の方がヤバい代物だから外には出せない。
本人からそう言うなら、諦めるしかなかった…という顛末である。
代わりに、彼女の言葉を頼みにして姪のランドレに目を付けた。結果、
伯父のペイズドを人質にする事で、長い間ランドレを隷属させていた。
そのランドレを殺そうとした際に、ゲイズは何者かに敗れて死んだ。
復活したゲイズもといメイは、己が誰にやられたのかについてはあまり
口にしない。自分で復讐する気だ。それを察している俺たち周りの者も
わざわざ話題にはしない。ってか、ゲイズを瞬殺できる相手に対して、
俺たちにできる事なんてないから。そこはもう、言いっこなしの話だ。
…ともあれ、ランドレの抜けた穴を埋めるために、シャドルチェを再び
ロナモロスに招いた。今回は力ずくである。外ならぬメイが殴り込み、
イーツバスを地獄に変えた上で彼女を連れ出してきたのである。
もちろん、【洗脳】に対する危険は存在する。ランドレの時とは違い、
シャドルチェには人質にできそうな人間がいない。脅迫しようがない。
対応を誤れば、ロナモロス教自体を乗っ取られる可能性すらあった。
だからこそメイが赴いたのである。死から蘇り機械の体を得た彼女は、
そういった天恵をほぼ受け付けないらしい。要するにシャドルチェへの
強力な抑止力だ。誰に対しても容赦ないメイには、まさに適役だろう。
結果的に、この二人はコンビに近い関係になっている。俺なんかには、
とても想像できない関係だけど。
とまあ、そんな理由で。
傍らにメイがいるとしても、彼女が放つ言葉には常に危険が伴う。
ましてやそれが「要求」となれば。
皆が身を固くするのも、当然だ。
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「そんなに構えなくていいわよ。」
見えているのかいないのか判らないメガネ越しにこちらを見回した後、
シャドルチェは右の手をかざした。中指に当たる部分に、派手な装飾を
施された作り物の指が嵌っている。確か、メイに斬られたんだっけか。
「これ以上指は無くしたくないし、外に出してくれた事には感謝だって
してる。それは決して嘘じゃない。だから手伝ってるんだしね。」
「……………」
俺も含め、誰も答えない。もちろん彼女の真意を測りかねるからだ。
とは言え、別に嘘だとも思えない。イーツバスから連れ出したという、
事実そのものは彼女にとって大いに救いだっただろう。聞いた限りでは
メイに中指を斬られたのも自業自得だったらしい。言う事さえ聞けば、
そして与えられた任務さえきちんとこなせば、自由は保障されている。
事実、彼女はその天恵で、ネイルの要求をほぼ満たしているのだから。
「確かに、ここまで来ればあなたの要求も聞くべきでしょうね。」
そう答えたのはネイルだった。まあ答えるべきは確かに彼女だろうな。
「ただし、ロナモロス教を抜けたいというのは無理よ?」
「そのくらい分かってるって。」
即答だった。…分かってるんだな。
「現時点での役割は果たした。でもまだまだ後があるって事でしょ?」
「そのとおりよ。」
「危険な場所に行けとか言われると困るけど、そうでないのなら今後も
天恵くらい使ってあげるわよ。別に嫌々やってるんじゃないし、むしろ
あなたたちの目指すところはかなり面白そうだからね。」
あまりに明け透けなシャドルチェの言葉に、場の空気が少し弛緩した。
どこまで本音かは判らない。でも、少なくとも言ってる事に破綻などは
ない。俺たちの捉え方も、今までの経緯に関しても。少なくとも彼女は
それなりに筋を通して自分の要求を提示しようとしているらしい。
…何というか、少し見方が変わったような気がする。これも洗脳か?
いやいや、そういう考えを持つのはやめよう。キリがなくなるから。
結局、ここで考えるべき事はたったひとつだけだ。
「分かった。」
そういったネイルが、シャドルチェをまっすぐ見据えて問うた。
「あなたの要求って、何かしら?」
そう、それだ。
今ここでの結論を導き出すために、唯一必要な要素。
シャドルチェは一体、何を望む?
沈黙は一瞬だった。
「この手で殺す事よ。」
「誰を?」
「神託カフェの、あの店主をね。」