船旅は事もなく
翌朝。
早くに起きたものの、俺は寝覚めの良さにちょっとばかり驚いていた。
直接目にしたわけではない。けど、グリッテが死んだのはほぼ確実だ。
さすがにうなされたりするかも…と思っていただけに、熟睡した自分が
信じられない。
「…いよいよ魔王なのか、俺。」
「何か言った?」
「いや、別に。」
寝ぐせ頭のネミルに問われたけど、適当に言葉を濁す。
結局、あれからジェレムたちと別れ当初の目的に戻った。帰りが遅いと
後で怒られたけど、爆弾騒ぎの事はネミルやタカネには話さなかった。
俺とジェレムたちで解決した以上、巻き込む必要はないと思ったから。
割り切り方が、昔とは違っている。少なくともそれは自覚している。
自覚だけは忘れまい、と思った。
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日が昇れば、もう対岸は見えてきている。到着まで3時間ほどらしい。
というわけで、ちょっとお仕事だ。
どうにか許可をもらい、船内販売という形で朝食セットを売り歩いた。
あまり本格的な調理は出来ないから軽食程度だったけど、思った以上に
好評だった。まとめ買いする団体もあり、あっという間に売り切れた。
いやあ、やってみるもんだな本当。
「何か、むしろ足りなかったね。」
「そうだな。」
いささか不完全燃焼だと言いたげなネミルに、俺は苦笑を返した。
と言っても、時間的にも材料的にももう打ち止めだ。あとできる事は…
「下船の時に、残ってるお菓子でも配ろうか。船旅の思い出に。」
「あ、それいいかも!」
『気前がいいわね。』
「どうせ日持ちしないんだ。パッと配った方が後腐れが無くていい。」
タカネの問いに答え、俺は気持ちを切り替えて立ち上がる。
そうだ、後腐れは無い方がいい。
身軽になって船を降りよう。
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下船準備をしている人たちの列で、小分けにした菓子包みを配り歩く。
今回は完全なサービスだ。利益にはならないけど、まあ気にしない。
客商売ってのは、ガツガツと稼ぐ事ばっかり考えるだけじゃダメだ。
こういう余裕も持たないとと、親がよく言ってくれてたっけな。
ちなみに、ジェレムとホルナさんは今この列にはいない。ついさっき、
隙をみて事情を話した。やっぱり、今回はネミルと顔を合わせない方が
いいだろうという話で結論付けた。事情が事情だし、もうすぐ下船だ。
この段階で、情報量を増やしたくはなかったから。
しかしあいつらはいた。もちろん、グリッテの仲間の四人だ。あのまま
放置する訳にもいかなかったので、とにかく戒めだけ解いた。ただし、
もう一度【魔王】の術中に墜として命令をしておいた。
まず何よりも、俺たち三人の存在を完全に忘れる事。
その上で、下船したらすぐに警察に出頭する事。もちろん今回の事件の
容疑者ではなく、過去にやらかした犯罪の自供をしろと強く命じた。
ざっと訊いたけど、四人とも犯罪者なのは間違いない。船に乗ったのも
ある意味、高跳びだったらしい。
そんな奴らが、道中でまでこういう罪状を増やすのは勘弁してほしい。
そういやこいつらは、天恵の宣告を受けていたんだろうか。まあ今さら
知りたいとも思わないけど。菓子を食ったら大人しく警察に行け。
そして。
「わぁ、ありがとう!」
大きな歓声と共に、三つ子の女の子が菓子を受け取って頭を下げた。
ご両親と思しき男女も、丁寧に礼を述べてくれた。立派な車に乗った、
いかにもなヤマン人の一家だった。
笑顔を返し見送りながら、俺は少し感慨に耽った。
間違いない。あの親子だ。
四人から聞いてた情報通りだった。
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実業家だったか、あるいは政治家の縁故の人間だったか。そのあたりは
はっきり聞かされなかったらしい。実に曖昧と言うかいい加減と言うか
聞いててうんざりした。あるいは、グリッテは詳しく知っていたのかも
知れない。今となってはもう、そのあたりは分からない。
とにかく五人は、あの親子を船ごと海に沈めようとした。上陸されたら
もう手が出せないので、この海上が最後のチャンスだったらしい。で、
ああいう手段に出た。首尾よく事が運べば、俺たちも沈んでいたのか。
あるいはタカネが何とかしてくれたかも知れない。だけど、それ以外の
乗客たちは助からなかっただろう。もちろんジェレムとホルナさんも。
それにしても、実に曖昧な動機だ。いくら誰かに依頼されたからって、
そんなざっくりとした話のまま人を大勢殺していいと思ってんのか。
殺し屋の事情なんて知らない。いや知りたいとも思えないし、それに
染まる気もない。俺たちはあくまで普通の人間として、そんな凶行には
許せないとしか言えない。ローナが言う、神の視点とはまた違う話だ。
あの一家が何なのか、詳しく知ろうとも思わない。だけど少なくとも、
菓子のお礼をちゃんと行ってくれる程度には普通の人間だった。
勝手な都合だけで大勢もろとも海の藻屑にしようってのは、許せない。
俺もジェレムもホルナさんも。
だから悔いない。引きずらない。
寝覚めが悪くなかったのも、今なら何となく腑に落ちる。少なくとも、
自分が【魔王】に染まったからとは考えなくていい気がする。
俺は俺だ。
グリッテの命はもう省みない。海の底で自分の罪と一緒に朽ちていけ。
黄金の棺の中で。
ヤマン共和国は、もうすぐだった。