ジェレムの選択
迷いなく踵を返した俺は、そのままハンガーデッキを後にした。
逃げたグリッテは、もう省みない。今は爆弾を処理する方が重要だ。
とにかくジェレムたち二人を追う。
やるべき事は、ひとつずつだ。
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さすがに「中央機関室」というのはすぐに分かった。人の姿が無いのは
単純に時刻的な関係だろう。階段を駆け下り、数分で最底部に至った。
「ジェレム!」
「こっちだ。」
声を上げると、思ったより近くから返答が上った。ホルナさんと思しき
細い手も上がる。駆け寄って見るとそこには、厚いシリンダーのような
数本の管が並んで設置されていた。長さは…各70cmってところか。
「これだよな。」
「そうだな。」
爆弾の実物を見た経験なんてない。…店に持ち込まれた事はあるけど。
当然、どんな形だとかそんな知識も持ってはいない。だけど俺たちは、
少なくとも今回の爆弾にだけは割と詳しい。見て確信できる程度には。
もちろん、あの見捨てられた四人にあらかじめ聴いていたからだ。
実際に仕掛けるのはグリッテに一任したのだとしても、持ち込んだのは
間違いなくあの女を含めた五人だ。なら、形状や構造くらい知ってる。
おぼつかない記憶も、四人分ならばどうにかまとめられた。
これが爆弾なのは分かってる。
どんな仕掛けかも分かってる。
もう、起爆を止められない事も。
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シリンダーの内側には、上半分近く赤くなった黒い液体が詰まってる。
いわゆる液体火薬だ。このままでも然るべき処理をすれば、爆発する。
これを時限爆弾にするには、とある液体を混ぜ合わせればいいらしい。
本来の色が黒だった火薬は、混合による化学変化で赤く変色していく。
媒体の量はわずかでいい。そして、真っ赤に変色した時点で爆発する。
そして反応は連鎖するため、今さら赤くなった部分だけを取り除いても
止まらない。機械的な仕掛けを使う起爆と違い、解除する方法がない。
要するにもう、これを止める方法は存在しないって事だ。
グリッテはもう一線を超えていた。仲間がどうなろうと「船を沈める」
という目的を優先し、自分だけ脱出する道を選んだ。選んだからこそ、
あっさり爆弾の場所を俺に告げた。もはや止められないから、その場で
絶望しながら死ねという事だろう。振動は禁物だから持ち出すのもほぼ
不可能って事になる。
救いがない。
今のこの状況にも、あの女にも。
何なんだかなあ、俺たちの旅は。
どうしてこう、行く先々で妙な問題ばかり目の前に立ちはだかるんだ。
いい加減、一度くらい普通に目的地に行きたい。これ贅沢なのかなあ。
俺もジェレムもホルナさんも、ほぼ同時に深いため息をついた。
シリンダーの中身は、ほぼ半分まで赤く染まりつつある。
さて、と。
もういいか。
「ジェレム。」
「ああ。」
「頼むな。」
「分かった。」
こいつは、成す術もなくここでこの爆弾を見ていたわけじゃない。
俺が来るのを、そして確認するのを待っていただけだ。処理の後だと、
確認しようがないから。だけどもう確信は得られた。
「んじゃ、行くぜ。」
そう言ったジェレムが、シリンダーの上部に軽く両手を触れた。
次の瞬間。
ガキィン!!
コンマ数秒で、シリンダーは丸ごと鈍い輝きを放つ黄金に姿を変えた。
変化と同時に、その大きさはほんの少しだけ収縮していた。
…なるほど、これが前に言っていた「比重保存」とかいう現象なのか。
興味深いな。
「お疲れさま。」
手を離したジェレムに、ホルナさんがそう言って軽く肩を叩く。
処理完了。
どうにか、騒ぎにならずに済んだ。
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はっきりとは分からないけど、起爆までの時間はまだ少しあるはずだ。
爆弾がこの1セットだけというのは四人にしつこく確認した。ならば、
後は捨てるだけ。
「重いな…!」
「純金ってこんなもんだ。」
「気を付けて!」
ボロ布に包んだ元・爆弾の金塊を、苦労して三人でデッキまで運ぶ。
…何と言うか、密輸犯か泥棒にでもなった気分だ。何やってんだかな。
これ、価値にしたらいくらなんだ?まあ、もう全てどうでもいいけど。
出来るだけ人目を避け、船の右側のデッキに到着。さいわい無人だ。
さっさと済ませよう。
「いくぞ。」
「せえの!!」
ドッポオォォォン!!
さらに苦労して、三人で忌まわしい金塊を海に捨てる。…何と言うか、
ロックな事してんなあ俺たちって。普通の船旅に心底憧れるよ。
「あー疲れた…」
思わず座り込んでしまった。二人も俺に並ぶようにへたり込む。
しばし、誰も動けなかった。純粋に疲れ切ってしまった。…やれやれ。
だけど、終わりじゃない。
まだ終われない。
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「…で、どうする?」
沈黙を破ったのはジェレムだった。
俺は、しばらく答えられなかった。
無責任だとは思う。だけど、下手な事は言いたくなかった。背負うのは
ジェレム本人なんだから、あんまり軽い言葉は口にできなかった。
そして。
「いいんじゃない?」
ジェレムの顔を見ながら、ポツリとそう言ったのはホルナさんだった。
何が「いい」のかは、さすがに俺もハッキリと察した。
「あたしも全てを見たよ。だから、全てをあなたと一緒に背負う。」
「……………………そうか。」
「俺もだよ。」
本気でそう思うからこそ、俺もそう言い添えた。ジェレムの顔を見て。
いいんじゃないか。そう俺も思う。【魔王】ではなく、この俺自身が。
「分かった、ありがとう。」
そう言ってジェレムが立ち上がる。俺たちも立ち上がって並び直した。
もうすっかり夜だ。暗い海面には、何にも見えていない。対岸さえも。
夜明けはまだまだ遠い。
「んじゃ、やるぜ。」
「ああ。」
「ええ。」
次の瞬間。
ジェレムの瞳が、ほんの一瞬金色の光を放った。
それだけだった。
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ガキィィィン!
「なッ!!?」
対岸の灯りが、遠くに小さく見えてきた頃。
ゆっくり進んでいた救命ボートが、突然金属と化して一気に収縮した。
「ゴブォッ…!」
中に乗っていたグリッテは、急激に無くなる内部空間で圧し潰された。
半分以下の体積にまで小さくなった元・救命ボートの金塊は、そのまま
海の底へと音もなく沈んでいく。
元・グリッテだった肉塊を、内側に封じ込めたまま。
どこまでも深く。
星の見えない夜だった。