来店した女の子
…ううん、どういう気持ちでいればいいのかが分からない。
確かに悲しい事ではあるけど、別に知り合いだったってわけじゃない。
子供の頃に熱中した本の作者さん。それ以上でもそれ以下でもない。
もし何日か前だったら、新聞記事を見て「そうなんだ…」とでも言って
終わりにしてただろう。別にそれを薄情だとも思わない。
だけど、こんなタイミングで訃報を聞かされると、さすがにモヤモヤが
胸に残る。…言われてみれば確かに気が早いけど、それでもお子さんの
誕生祝いとして選んできたのに。
これでエイラン・ドールさんに対し変な感情を抱くのは、お門違いだ。
亡くなったばかりの人に対しても、この上なく失礼な話だろう。
それは頭では分かってるんだけど、やっぱりモヤモヤするのも事実だ。
…どうしようかなあ、この本。
買ったその日に作者の訃報を聞いた著書なんて、正直少し縁起が悪い。
いくら何でも、これをディナさんにあげるってのはなあ…
パラパラとページをめくりながら、あたしはあれこれ考えていた。
トランはすぐそこのお店まで出前に行ってるから、話す相手もいない。
堂々巡りを繰り返す考えをいささか持て余しながら、あたしは襟口から
指輪を取り出して指先でクルクルと回す。…知らない間にこんな手癖が
ついていた。やってると、ちょっと落ち着く感じだ。
こうやって読み返すと、子供の頃を思い出すなあ。特にこの辺とか…
………………
ん?
知らず知らずの間に読み込んでいたあたしは、不意に目の前に気配を
感じていた。
え?
誰もいないはずなのに?
玄関のベルも…
ハッと顔を上げた瞬間。
「こんにちはー!」
いきなりの至近距離で元気な挨拶が響き、あたしは飛び上がった。
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カウンター越しに立っていたのは、赤毛の女の子だった。左右不揃いな
三つ編みが、何となく可愛らしい。でも実際のところ、それどころじゃ
ないって話だ。いったいいつの間にここに来たの、この子?
さいわい、危険な相手ではなさそうだった。…まあ、どこかに爆弾とか
持ってないという保証はないけど。
「い、いらっしゃいませ。」
自然に言ったつもりだけど、露骨に声がぎこちなくなってしまった。
でも、女の子は気にする風もない。歳はあたしより少し下くらいかな…
「ええっと」
「ちょっと訊きたいんですけど。」
「はい、何でしょう…。」
「ルトガー・ステイニーさんという方とあなた、どんな関係ですか?」
「え?」
気後れも怖れも一気に吹っ飛んだ。
代わりに、大きな困惑と疑念が心と満たすのを感じた。
…何でここでお爺ちゃんの名前が?
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「祖父をご存じですか。」
「あっ、なるほどお孫さんだったんですね。どうりで…」
「どうりで、って?」
どうりで何なんだろうか。この子の納得が何ひとつ分からない。
「祖父とあたし、何がどう繋がると言うんですか?」
詰問口調になっているのは分かっているけど、実際そういう心持ちだ。
混乱させるような事を言うのなら、ちゃんと説明も果たして欲しい。
そんなあたしの言葉に対し、目の前の女の子はちょっと笑みを返した。
「天恵ですよ。」
「え?」
「あなたもルトガーさんと同じで、天恵を見る事が出来るんでしょ?」
「そ、それはその…」
じっと見返され、あたしはますます混乱した。どう答えればいいのか…
いや違う。ちょっと落ち着こう。
秘密を見透かされたみたいな感じになってるけど、あたしが神託師の
お仕事を継いだのは周知の事実だ。別に隠してるわけでも何でもない。
認めたところで何の不都合もない…たぶん。
「…ええ、確かにそうですけど。」
「そっか、お孫さんだったんだぁ。ずいぶん経ってるんだなあ…」
ん?
口を開くたびに変な事を言うなあ、この子って。
ずいぶん経ってるって、どう見てもあたしより年下っぽい子なのに。
お爺ちゃんを知っているというのはまあいいとして、どうしてそんなに
年寄じみた事を言うんだろうか。
ってかこの子、どっかで見た事が…
「ずいぶん前の話になりますけど、あなたのお爺さんのルトガーさんに
天恵を見てもらったんですよ。」
「え?」
ちょい待ち。
それはいくら何でもおかしい。
恵神ローナから天恵を授かるのは、15歳以降だ。それは大前提だ。
「ずいぶん前」という割にこの子は若い。いや、むしろ幼いって感じ。
お爺ちゃんがこの子の天恵を見たという仮定は、絶対に成り立たな…
いやいやいやいや違うって。だから落ち着けあたし。
何もこの子の天恵とは限らないじゃないか。親御さんとかそういう事も
普通にあり得る。とにかく落ち着けあたし!
「えと、ちなみに祖父は誰の天恵を見たんですか?」
「あたしの生みの親です。」
「つまりお父さんかお母さん…」
「ってわけでもないんですが。」
「え?」
何だろう。
この、どうやっても正解に辿り着く気がしない問答は。
わざとやってるって感じでもない。からかわれているとも思えない…
いや、思いたくない。
「つまり、どういう事?」
「明日の3時、イェールニー霊園に来て。そこでお話ししますから。」
「…霊園って…」
やっぱり全く理解できないあたしにフッと小さく笑い、その女の子は
カウンターに何か丸い物を置いた。
「お待ちしてますね。」
そう言って踵を返し、女の子は入口へと向かう。え、このまま帰るの?
声をかけようと思った瞬間、ベルの音と共にドアが開いた。
「ただいま。」
「え?」
女の子が出て行った…と思ったら、トランが帰って来たらしい。…え?
…いや、今ドアを開けて出て行ったはずのあの子は?
「どうした?」
「…今出て行った女の子、見た?」
「女の子?」
怪訝そうな表情を浮かべ、トランは入口に向き直った。
「いや見てないぞ。開ける前も。」
「ええ―…?」
最後の最後までわけが分からない。
…あの子、一体何だったの?