ポロニヤたちの選択
いつの間にか、そこそこ時間が経過している。
底なしに長いと覚悟していた列車の道程も、もう七割方を過ぎた。
オロイクの街には、日暮れ前に到着する予定だ。
つまり、もうあまり時間がない。
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つくづく、一般の乗客が少ない。
今に至るまで、前からも後ろからも一人も人が来ていない。たった一人
現れたのがオレグスト氏だったのはもはや、天文学的奇縁だったのね。
どうやら彼は、本当に単独で列車に乗車していたらしい。オロイクには
ロナモロス教の根城があったらしいから、そこへ向かう途中なのか。
だけど話を訊く限り、そこの根城がまともに機能してる可能性は低い。
マルニフィート陛下は、かなりの事を暴いているらしい。だとすれば、
呑気に国内の根城で悪だくみなんかしてる場合じゃないだろう。
つまり彼は…
「もしかして、置き去りですか?」
「そういう訳じゃないよ。」
あまりに遠慮のないあたしの問いに対し、オレグスト氏は苦笑しながら
そう答えた。何だろう、毒の抜けた表情と言うか何と言うか…
この人は顔を変えてるはずだけど、それでも感情は明確に読み取れた。
「確かに主だった面子は国を出た。そのあたりは知ってるんだろ?」
「ええ。」
話を振られたポロニヤさんが答え、小さく頷いた。知ってるんだよね、
やっぱり。
「俺は、最後の後片づけをしていただけだ。オロイクまで戻ったら、
船で出国する予定だった。」
「船?」
反応したのはアースロさんだった。
「【共転送】じゃないんですか。」
「何でもお見通しだよなホントに。俺も呑気が過ぎてたらしいな。」
何となく自嘲的な口調で言いつつ、オレグスト氏はちょっと首を振る。
気持ちは少し分かった。今になって状況が予想を超えてたというのが、
はっきり実感できてるんだろうな。そりゃ自嘲もするよ。
「そこまで知ってるって事は、もうカイの事も認識してるのか。」
「カイ・メズメですよね。」
「そう、そのカイだ。あいつは自分自身を転送する事は出来ないから、
出国は船を使う事になる。だけど、独りで…ってのは不安だからな。」
「だからあなたが一緒に行くと?」
「そういう事だ。オロイクの駅で、奴が待ってる。そのまま港に行く。
予定ではそうなってるよ。」
「…………………………」
スラスラ話すオレグスト氏に対し、誰も何も言おうとはしなかった。
ずいぶん抵抗なく話しているけど、デタラメを並べてる感じじゃない。
何の根拠もないけれど、少なくとも本当の事を言ってるように思える。
正直、信じるも疑うもあたしたちに出来る事じゃない。ハッキリ言って
何の関わりもなかったから、目の前のオレグスト氏を判断できない。
信じるかどうかを決められるのは、ポロニヤさんとアースロさんだ。
その上でどうするかを決めるのも、二人だろう。あたしたちはただ、
それを見届けるだけだ。
自分でも驚くほど、その事に対して冷静でいられている。
見方を変えれば、割とピンチがすぐ目の前にあるかも知れないのに。
やっぱりあたし、記者に向いてる?
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「もう、あんまり時間はないぜ。」
しばしの沈黙ののち。
粛々とそう言ったのは、他でもないオレグスト氏だった。
「オロイクの駅に着けば降りなきゃいけない。その後はどうする?」
「…………………………」
「一応、カイには護衛が付いてる。俺よりよっぽど重要人物だからな。
少なくとも、この車内で俺を捕えた時ほど簡単にはいかないだろう。」
「そうでしょうね。」
アースロさんが淡々と答える。
「どこで何をするにせよ、共転送が重要なのは想像に難くありません。
状況を知れば迷わず、あなたという存在を切り捨てて逃げるしょう。」
「だろうな。」
迷いのない即答に、あたしは思わずサトキンと顔を見合わせた。
つまりオレグスト・ヘイネマン氏の命運は、今まさにあたしの目の前で
尽きようとしているって事だ。もしこのまま駅で警察に突き出せば、
少なくとも彼は逮捕される。そしておそらく、騎士隊の許に送られる。
一体、どうなるんだろう。
状況から見て、オレグスト氏に逆転できる可能性はほとんどない。
アースロさんが指摘していた通り、ここに増援を召喚するのは無理だ。
だけど駅に着けば、否応なく状況は移行する。…どんな形に?
あたしはどこまでも部外者の感覚が抜けないけど、ここまで来ればもう
そうも言ってられない。もし戦いになれば、知らん顔なんか出来ない。
本当に、どうなるんだろうなコレ。
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しばらく、誰も何も言わなかった。
だけどあたしには、ある種の予感があった。この沈黙を破るのはきっと
ポロニヤさんだろうなって予感が。
そして。
「駅に着いたらお別れしましょう。それが一番いいと思います。」
やっぱり、口を開いたのはポロニヤさんだった。
何なら、何を言うのかという予想もある程度的中した。だからあたしは
驚いたりはしなかった。
「…本気で言ってるのか?」
「ええ。」
オレグスト氏の問いに迷わず答え、ポロニヤさんはフッと笑った。
「勝手な言い分ですが、あなたへの報復はもう済んでいます。だから、
これ以上何かしようとは思わない。それがあたしの判断です。」
ゆっくり言い放った彼女の言葉に、アースロさんも黙って頷いている。
ああ、本当にそれでいいんだな。
「カイはどうする?」
「どうもしません。」
「奴は聖都グレニカン蹂躙の際に、戦力を呼び込んだ当人だぞ。」
「だから何ですか?」
やはり、ポロニヤさんの返す言葉に迷いの響きはなかった。
「あなたたちの成した事は、確かに許し難い。だけどあたしたちは、
ロナモロス教への復讐に己の全てを懸ける気などありません。そんなの
疲れるだけですから。」
「…本気で言ってんのかよ。」
「ええ、もちろん。」
上体を乗り出したポロニヤさんは、もう一度ニッと不敵に笑った。
「誰に仕返しするかなんて、その時その時の気分次第ですよ。あなたは
ちょうどいい時に目の前に現れた。だからそんな目に遭ったってだけ。
ただ単に運が悪かったんですよ。」
「…………………………」
オレグスト氏、さすがに絶句。
その気持ちはよおく分かります。
だけどあたしは、ポロニヤさんたち二人の気持ちの方がよく分かった。
無茶苦茶な事を言っているようで、二人の心はどこまでも自由だ。
何かしら仕返しがしたいと考えて、実際にこんな風に行動を起こした。
正直、ハードな道になるだろうなと覚悟もしていた。
だけどポロニヤさんは、その目的に自分自身を沈める気はないらしい。
条件が同じでも、仕返しするか否か決めるのは自分自身。気分次第だ。
何ともふざけた判断だけど、文句を言えるオレグスト氏じゃない。
律儀に条件を揃えて行動するいわれなど、何にもないのである。
理不尽な蹂躙を受けた人が、相手に対し全く違う理不尽を突きつける。
こんな報復もあるのかと、あたしは少なからず呆れていた。
そして。
何だか、スカッとしていた。