オレグストは笑う
【変相】の天恵というのは、あまり想像できない。
自分以外の人間の顔を、変える事が出来るらしい。それも一時的では
なく、一度変えたら一生そのまま。痕跡を消したい人間にとって、実に
有難い能力だろう。後ろめたい事が多ければ多いほどだ。
正直、僕は何にも魅力を感じない。少なくとも今は、そんなもの絶対に
願い下げだと即答するだろう。己の姿を捨てたいなどとは思わない。
それはポロニヤ様も同じだ。
大変ではあるけど、そこまで自分の姿に醜い汚点はついてない。
この男とは違って。
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とりあえず、いったん落ち着こう。
この客車は、通路を挟んだ東側席が対面六人掛け。西側席が四人掛けに
なっている。なので西側の席に男―オレグストを南向きに座らせた、
「ケイナさん、サトキンさん。」
ずっと事の成り行きを見守っていた同行者の男女に呼び掛ける。
「あ、はい。」
「すみませんが、こいつを見張って下さい。縛っておくんで。」
「え?」
「あなた方でないと、妙な揺さぶりかけてくる危険がありますから。」
「そうなんですか。」
「おいおい説明します。」
「…分かりました。」
折った手首に添えの棒を当てて強く縛り、ついでに後ろ手に縛る。
観念したのか、抵抗はない。まあ、痛みでそれどころじゃないだろう。
「ポーニー。」
「あっ、はい!」
「誰も来てませんよね?」
「…ええ、今のところは大丈夫。」
車両の前後を確認したポロニヤ様がそう言って頷く。まあこの乗車率を
考えれば、今さら中でウロウロする人もいないだろうからな。
よし。
「んじゃ、話をしましょうか。」
六人掛け席に戻り、僕はオレグストに声をかける。
長旅のお供としては、最適だな。
幸先がいいと言うか何と言うか。
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何が何だか分からない…なんて事はさすがに言わない。
彼が教皇女の護衛か何かとすれば、今の俺の扱いに不思議は何もない。
事情をここまで知っていれば、次の瞬間に惨殺されてもおかしくない。
少なくとも俺は、彼らからそういう恨みを持たれててもおかしくない。
今になって、マルコシム聖教を併合したという事実の重さを感じる。
何と言うか、下手を打ったな。
それにしても…
どこまでも強気だな、この男は。
ここまでの事情に詳しいというのは認める。正直、肝が冷えるほどに。
しかしそこまで詳しいのなら、俺にこれだけの事をする危険については
考えられるだろう。聖都グレニカン蹂躙の顛末を知ってるなら尚更だ。
俺を無力化したところで…
「やり過ぎだと思ってますか?」
俺に目を向けながら、彼は言った。
「正直、僕も魔鎧屍兵とかいうのは怖いですよ。そんな恐ろしいのが、
ノータイムで来たらおしまいです。僕だけじゃ殺されるだけですね。」
「…………………………」
そこまで理解しているのかよ。
それでいて、迷わず俺にこんな事をするって事はつまり…
「もしもこの列車の中でなければ、声を掛けたりなんかはしなかった。
それは事実です。まあ巡り合わせが良かったって事でしょうね。」
「…どういう意味だ…?」
「現在この列車は時速100キロを超える速度で走っている。つまり、
この車内に【共転送】で応援を召喚する事は出来ないって意味です。」
「…………………………」
「もう少し転着の範囲を広げれば、車外に出す事は出来るでしょう。
だけど、やっぱり速度のダメージを受けるのは同じです。耐えられても
その後で追いつくなんて事は無理。周囲はずうっと田園地帯ですから、
まともに走る事も無理でしょう。」
答えられなかった。
そこまで具体的な指摘をされれば、否定の言葉など虚しくなるだけだ。
何もかも男の言った通りだった。
確かに、【共転移】にも【共転送】にも同じ弱点がある。転着地点が
高速移動する乗物だったりすると、現出した時点で速度のダメージを
受けてしまうという点だ。もし仮にこの列車の中に人を呼び寄せれば、
着いた瞬間に吹っ飛ばされて死ぬ。もし魔鎧屍兵だった場合、大事故を
引き起こして俺もあの世行きだ。
目的地までノンストップで走るこの列車内には、たとえゲイズだろうと
決して来られない。この男は、その事実を一瞬で見極めたって事だ。
…何だか、少し可笑しくなった。
俺も俺だ。この状況は想定できない訳じゃなかったのに、何を呑気に
鉄道旅なんかしてんだ。いくら顔を変えたと言っても、油断が過ぎる。
そして何より。
仮に【共転送】が使えるとしても、誰を召喚するって言うんだよ。
確かにカイは目的地のオロイクで、俺の到着を待っている。連絡をする
手段が無いわけでもない。だけど、連絡したからってどうなるんだよ。
もう、戦力のほとんどが転送済み。このイグリセには残っていない。
モリエナがいなくなった以上、もうカイ自身を送る事さえも出来ない。
そして何を送ったとしても、それを後で回収する手段も存在しない。
…あらためて考えてみれば、本当に片手落ちだ。どうにもならない。
モリエナの抜けた穴の大きさというものを、理解できていなかったな。
どうにかなると雑に考えた結果が、今のこの窮状って訳か。
本当に笑いそうになるな。
そうやって目を背け続けた、現状の致命的な欠陥。
それが今まさに、この俺にまともに振りかかって来たって事かよ。
どうしてよりによって俺に?
何で俺がこんな目に?
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……………………………………………………
「何がおかしいんですか?」
「自分が、だよ。」
目の前の黒髪女の問いに、俺はそう即答した。やっぱり笑ってたか俺。
そうだろうな。
よりによって、か。
何で俺が、か。
よく言えたもんだな本当に。
ゲイズだったらよかったのか。
それともネイルか、マッケナーか。
あるいはウルスケスあたりか。
何を勝手な線引きしてるんだ俺は。
マルコシム聖教の教皇女からすれば俺なんて、不倶戴天の仇敵だろう。
俺は聖都グレニカンの蹂躙の際も、マルニフィートへの偽者の謁見にも
同行した人間だ。ゲイズなんかよりよっぽど恨まれる立場じゃないか。
何だろうな、この感じ。
腕も目も耐え難いほど痛いけど。
何だかすっきりした気分だ。
そうだ。
俺はきっと、誰かにはっきり言ってもらいたかったんだろうな。
「悪いのはお前だろうがよ」って。